第三章13 光喜の私室
露西亜軍人の引き渡しが終わり、隊長と別れた俺は光喜の部屋を尋ねた。光喜の部屋は俺の部屋の隣にあり、部屋の明かりは灯っておらずまだ部屋に戻っていないようだ。
さて、どうしたものか。夕食の時間の前に礼を言っておきたいのだが……。扉の前で右往左往としていると何か大きなものが倒れたような物音が部屋の中から聞こえてきた。
「光喜? いるのか?」
声をかけるが相変わらず返答がない。声を出せない状況とか?
「入るぞ?」
一応無駄とわかっているものの断りを入れて扉を開け放つ。鍵はかけられておらず驚くほどにあっさりと扉は開いた。
いざ部屋に入ってみれば想像絶する惨状が眼下に広がっていた。ぐちゃぐちゃに放られているだけの衣服。
「?」
ゴミだめの様な惨状の中にあって、一角だけやけに小奇麗になっている場所がある。机だ。その机の上には三部の新聞が置かれていた。
一つは四年前の記事だ。白い衣服を纏った少女が豪奢な衣服を纏った男の前に跪いている写真が大きく見だしに使われている。英語で書いてあるため何がなんだかわからないが。
「A、n、a、s、t、a、s、i、a? ……あ、ん、あ? す?」
ダメださっぱりわからん。恐らく名前であろう
こいつらが何をしてるのかもよくわからん。十字架が見える事から基督関係の儀式、なのだろうか? 向こうの文化は本当によくわからん。
他の新聞は日本の物だ。それも今年の物。皇紀二五七八年七月十七日の物だ。これは俺の記憶にも新しい。露西亜革命最大の汚点。ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ――ニコライ二世が処刑された日の記事。嘗ての栄華を誇った北方の覇者の落陽に多くの日本人が驚いたはずだ。
そして最後の新聞は、
「俺が逢魔ヶ刻から運ばれてきた日の新聞か――」
露西亜社会民主党を端に発するボルシエヴィキーが中心になって露西亜臨時政府を打倒し、革命を成した? また革命が起きたのか?
「ということは、つまりこれは、」
北法露西亜帝国の消滅と
社会主義? なんだそりゃ? 民主主義だって未だに曖昧だっていうのに。
かさり、新聞の間から何か走り書きが落ちてきた。日本語の単語とどこの国の言葉だろうか?
“
軽く小首を傾げるも思い出せなかった。しかし、なんでこんなものが光喜の部屋に? というか光喜は何を?
「——何をやってるの悠雅?」
背後から声が掛かった。振り向けばそこには銀糸の髪と小柄な少年の姿だ。普段は丸く大きな目をしているが今回ばかりは流石に目を吊り上げて睨んできている。どうやらそこそこご立腹のようだ。
「光喜か、悪いな勝手に入っちまって。部屋からすごい音がしてな。入ってみたらこの有様だったんだ。物取りかも知れねえ」
「……違う」
「そうなのか?」
「……元から……こんな感じ」
ボソリ、呻くように。とても恥ずかしそうに赤面して、いじけるみたいに。
「お前……掃除できないやつだったのか」
「うっさいばか!! いつもみんながやってくれてたんだ!!」
「はいはい、これからは自己管理できるようになろうな」
「ガキ扱いすんな!!」
「悪かったよ。それより夕食まで部屋、片付けるぞ?」
「いいって! 一人でやるって」
「掃除できないんだろ?」
「だって……はずいし」
まぁ、見られたくない私物もあるだろうしな。とはいえ、
「この惨状じゃなぁ」
改めて部屋の有様を見回す。
ゴミだめの様な環境が広がっている。
「本当にできるのか?」
「……わかんない」
「……本当に手伝いはいらないか?」
「………………いる」
消え入る様に、頷いて。
一先ず部屋の床の大半を埋め尽くしている大量の本を本棚に収めていく事にする。種別ごとに区分けして、更にそこからアイウエオ順に並べていく。欧州文字で書かれているのは申し訳ないが後で本人に整えてもらうとしよう。
しかし、意外と雑食なんだな、なんて雑な感想があった。歴史書、医療関係の書籍、辞書、呪術の教本、戦記。本の趣味が一定ではない事がわかる。
「んぅ? あれぇ? えぇ~……なんでぐちゃぐちゃになるのさぁ?」
「どうした?」
何やら衣服を片付けていた光喜がぼやいている。手元を覗いて見ればしわくちゃな衣服が丸まっていた。四角に畳もうとした努力の形跡はある――が、どうにも上手くいかなかったようだ。
「貸してみろ。ワイシャツはボタンを留めてから背中の方に折り込んでやるんだ」
極力無駄に皺が付かないように。折り込んでいく。
「はー、綺麗に畳むもんだね」
「無駄に折り目が付いてるとかっこがつかねぇからな。嫌だろ? 特にお前は。そういうの」
「まぁ、僕かっこいいしかわいいからね。服がしわくちゃじゃ魅力も半減だよ」
「相変わらず自信過剰なやつだな」
思わず笑って、次の衣類に取り掛かる。そうしながら、
「光喜」
「何さ?」
「昨晩は助かった。ありがとう」
光喜は少しきょとんとした顔をして、それでいて、どこか苦み走った顔を滲ませていた。
「何だよその顔?」
「いやー、さ、悠雅が真面目な顔して素直に謝るとか中々見られない光景だからさー」
「そんな事は無いと思うけどな」
「そんな事あるよ。だって、悠雅ってば仏頂面で中々謝ったりお礼できない人じゃん?」
「むぅ」
言われてみればそんなこともあるかもしれない。とは言え、真剣に礼を述べてる身としては笑われるというのは少しばかり面白くない。
一先ず仕返しに光喜の頭に梅干しだ。
「あー、痛い痛い痛い、頭割れるー!!」
ぐりぐり。手首を軽快に捩じっては反対に捩じる。それをひたすら反復だ。
「わかったわかった謝るから!! ごめんって!!」
「ったく、人が真剣に礼言ってんだから茶化すなよな?」
謝罪の言葉を受け取ったので頭を放してやると光喜のやつは涙目になってこっちを睨んできた。ざまあみろという奴だ。
「馬鹿力、脳筋、悠雅!!」
「おい、それじゃまるで俺の名前が罵倒するための言葉に聞こえるじゃねぇか」
「うっさい馬鹿!!」
光喜はそう吐き捨てると勢いよくベッドに飛び込んでしまった。
「おい、片付けはどうすんだ?」
「飽きた」
早いな、おい。まだものの十分くらいしかやってないぞ。
仕方なしに一人で作業を再開する。一先ず散らばった本を本棚に全て納めて作業空間を確保する。次いで服の整理に取り掛かる。軍服、礼服、外着、普段着に分けて畳む。しかし、やたら量が多い。特に軍服以外の三種類。更にそこから和装と洋装を分ける。よくもまぁここまで服を揃えたものだ、と半ば感心しながら、いよいよとばかりに書類に手を付けようかとした所で、
「書類は手出さないで」
「何でだ?」
「書類がどこにあるのか分からなくなっちゃうからだよ」
「……そうかい」
全て机の上に置いておくつもりだったのだが、そういう問題ではないのだろう。
礼も済ませた事だし引き上げるか、なんて考えていると、
「ねぇ悠雅」
「どうした?」
「……なんであの女を助けたの?」
声音に色はない。顔を持ち上げた光喜の顔も、無味無臭といった装いだ。
「突拍子もない質問だな」
「僕だったら殺してる」
絞り出すような声音だった。殺意を帯びた眼光に、僅かに慄く。
「あんまりだな」
「だってあの女は――」
「言うな光喜。俺はその問いに対する答えを持ち合わせていない」
なんでさ? とでも言わんばかりに怪訝な目を向けてくれる。
「俺はあいつが何者なのか知らないからだ」
「は? 冗談でしょ?」
「俺はあいつの口からそれを聞くまで誰からもあいつが何者であるか聞くつもりは無い」
「……正気?」
「俺は至って正気だよ」
あいつは言いたくないと考えてる。少なくとも俺はそう捉えている。だから、俺はそれを尊重する。そもそも救ってもらった身分だ。それくらい義理を通したい。
「悠雅。君は控えめに言ってもイカレてるよ」
「そうか?」
「ああ、イカレてるよ。憎たらしい程にね」
そういった自覚はないが、光喜の目にはそう映っているらしい。義理を果たす、恩義に報いるということはそこまでおかしなことなのだろうか?
やがて光喜は俺を部屋から追い出すと、内側から鍵をかけてしまった。
どうも俺はあいつを怒らせてしまったらしい。俺から言わせれば怒る所はそこじゃないだろう? と思ってしまう。
しかし、何とも後味が悪い。一体どこで地雷を踏み抜いたのか。然程怒っている風でもなかったのが唯一の救いか。あの調子ならば明日にはけろっとしているだろう。この程度で拗れる付き合いはしていないつもりだ。しかしながら、光喜はなぜ怒ったのだろうか? よくわからん。
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