第三章5 使命

「――さて、そろそろ話を進めるとしよう」


 大佐は湯呑みを啜り、居直る。先程まで軽く弧を描いていた目は鋭利で鋭いものと化した。


「我々神祇特別戦技科に与えられた使命は二つ。一つはこの日本列島において目下脅威を晒し続けている害獣の掃討とその害獣の根源を叩く事だ」

「害獣ですか」


 被害を受けている農家の方々には悪いな、と思いつつも、えらく程度の低い話だな、何て考える。少なくともわざわざ軍が出張る必要性を余り感じられずにいる。大佐殿はそんな俺の心を読んだように、


「我々が相対しているのは何も鹿やら猪やら熊などといった類のものではない」

「しかし、害獣と」

「ああ、害獣だ。広義の意味では害獣なだけだ。規模が余りにも違い過ぎるんだよ。奴らが一度現れれば大災害を巻き起こす。天災、あやかし、表現方法は多岐に渡るが一重に害獣と呼称するのが適当だろうよ」


 なんだそれは? 余りに荒唐無稽な話だと思った矢先、ある記憶が脳裏を掠めた。先日、病院で大佐が言っていた――


「思い出したか?」


 大佐は口の端で弓引いた様に笑った。


「逢魔ヶ刻の魔性……」


「そうだ、奴らは年がら年中国中の至る所に特異点を作り出しては現世で暴れ回る為に彼の異界より這い出ようとしてくる。まるで、


 あんなものが這い出して来たらそれは天災と比べても遜色ないだろう。その程度には連中は常軌を逸していた。あんなもの、凡そ人の手で討滅できるものではない。


「我々はそれら悪鬼羅刹が現世に出てくる前に討滅する事を役割としている」

「それは詰まり……」

「そうだ。お前があの日落ちた場所に、これからは何度も出向いてもらうことになるという事よ」


 思わず、息を呑んだ。あの暴虐の徒が跳梁跋扈とするあの忌々しい場所に再び挑まなければならないということに。


「――怖気づいたか?」


 大佐が何気なく放った言葉が俺にとっては余りにも無情で、槍のように突き刺さった。


「……いえ」


 辛うじて、そう言うのが精一杯だった。この言葉は嘘ではない、そう思いたいがあの場所を直に目の当たりにした者として言わせてもらえればあの場所は人が踏み入れていい領域ではない。


 しかしながら、俺の中で燻るあの場所への恐怖を払拭し、奮い立たせるものもある。詰まりあの場所を誰かが征しなければこちら側の世界で誰かが死ぬという事だ。それも奴らの引き起こす災害によって大量に。

 これは間違いなく国難と言える。国を守る剣を目指す者として、決して背中は見せられない。


「良い目だ。お前を選んだ甲斐もあるというものよ」


 不敵に笑う少女の目にはどこか胡乱げな光が見えたが、そんな事はどうだっていい。瑣末な事だ。俺はこの国を守る剣になるのだから。


「さて、それではもう一つの使命だが……ここまで言えば察しが着くか?」

「逢魔ヶ刻の調査、或いは封印、って所ですか?」

「封印は最終手段だが、まぁ概ねその通りだよ悠雅」


 あそこまで言われれば誰だって予想は着くと思うが。あんな得体の知れない異界を軍が調査しているのだ単に封印しては上の連中は面白くないだろうと考える。


 どうせならあの異界を軍事転用したい。そう考える人間がいても不思議じゃない。

 直に見てきた俺から言わせればあんなもの、人の手に余る代物でしかないが。


「不満そうな顔をしているな」

「いえ、単にあの場所を人の手で制御するのは危険なのでは、と思いまして」

「そんな事は知っているさ。私だって封印できるのなら今すぐしてしまいたいさ。だが、あの場所を新たな国土と考えている者もいる。列強に比べ脆弱なこの国では資源確保は急務だ」


 あの場所にあったのは魑魅魍魎だけではなかったな。あの真紅の地平がどこまで続いているのか知らないが少なくとも帝都一つまるごと複製されていた事を鑑みるに資源ある土地として見ることも出来るわけか。


「さて、ここまで聞いて、何かそちらから質問は?」

「次はいつ行くんですか?」


 俺は間髪入れずにそう問うた。我ながらそわそわとしているのがわかった。


「そう急くなよ。来たばかりだろう? だが、そうだな、明日の夜にでも繰り出すとしようか」

「待ってください!!」


 そこに宗一が口を挟んだ。


「それは実戦に参加させるという意味でしょうか?」

「問題あるのか?」

「こいつはまだ訓練を受けていません。危険過ぎます」

「はぁ、寝ぼけた事を言うなよ宗一。此奴は現人神とは言えろくに連携も取れたかわからない女と共にたった二人でこちらに戻って来た男だぞ? 実戦ならとうに済ませている」


 何体かはこの手で屠ったし、なんなら致命傷を受けてうっかり死にかけたまである――何て軽口を叩いたらこの場で炭化する自信があるので大人しくしておこう。


「しかし、お前の言うことも尤もだ。時間ができたら悠雅を扱いてやるといい」


 宗一は視線を落とし、唇を真一文字に結んで、どこか納得のいっていない様子だったが一言「出過ぎた真似を致しました」そう言って頭を下げた。


「良い。お前にとっては戦友であると同時に竹馬の友だ。心配になるのは当然だよ」

「軍人たるもの一個人を贔屓しては成らぬと考えます」

「軍人である前に人だろう? そうでなければ戦えんよ」


 やけに含蓄に富む言葉を投げて、視線を改めてこちらに向けた。


「次はこいつの事だ」


 大佐が指さすのは机の上に鎮座する巨いなる神造兵器だ。


「まず、改めて問うまでも無いかもしれんがお前はこいつと契約したのか?」

「しました」


 肯定すると大佐殿は天之尾羽張を見つめる。正確にはアマ公の下敷きになっている紙ペラを、だ。何か文字の羅列が認識できるが何が書いてあるのかは読み取れなかった。


「こいつはお前に返そう」

「いいんですか? 神器ってのは国宝指定される事もある代物のはずですが」

「誰にも扱えぬから国宝という形で最高の警備で守りを固めていたに過ぎん。担い手が現れたのならそやつに引き渡すのが道理よ。それよりもこのデカブツを早く除けてくれ。私には重すぎて持てんのだ」


 促されるまま天之尾羽張を担ぐ。


『言った通りだっただろう?』


 語るのはアマ公だ。こいつが人間の姿をしていたらさぞや得意げな顔をしているに違いない。とは言え、本当に返してくれるとは。こいつが無ければ俺はあの場所の敵をろくに切ることができないからな。


「しかし、悠雅よ。お前、よくこんな代物と契約できたな」


 大佐は「まぁ、そのお陰で見つけられたのだがな」とぼそりと付け加えて。


「咄嗟だったからなぁ……」

「極限の状況が成せた事か」


 合点が言ったのか一人こくこくと頷く。


『――それは違うな、東御陽菜よ』


 ふと、落ち着き払った声が部屋に響いた。一斉に天之尾羽張へと視線が集まる。


『私と悠雅は深い縁で結ばれている。悠雅が私を握ったのは偶然ではない。起こるべくして起こった必然である』

「ほう、高位の神器は現人神と契約すると意思を持つというが、よもや喋る事ができようとはな」

『それには語弊があるな。我々は最初から自我を持っている。契約者がいなければ喋る事ができぬだけだ』

「成程、これは失礼した。何分、喋る神器と遭遇したのは初めてなものでな」


 からころとぽっくり下駄を鳴らして近づいてきた大佐は不思議そうに天之尾羽張の刀身を見つめる。


「お前の神器は喋る事ができるのか……」


 不意に脇から聞こえた、か細い呟きが俺の鼓膜を揺らす。宗一がどこか浮かない様子で俺と赤茶けた大剣を眺めていた。

 妙な言い回しだと思った。その言い方はまるで……。

 不意に生まれた会話の空隙くうげき。それを埋めるように机の上に置かれた黒電話がけたたましく喚いた。


「はぁ、またか。もう下がって良いぞ。私はまた仕事だ」


 溜め息をついて、どこか恨めしげに黒電話を睨んだ。

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