第三章2 天津神―アマツカミ―

 彩花寮に戻ってくると一台の見慣れぬ蒸気四輪モービルが止まっているのが見えた。一般的な物よりも少しだけ大きな車両。

 工房長のおもちゃ悪い癖かしら? ……いや、ちょっと違うかも。何が違うか正確に言及できないけど強いて言えば――そう、これは彼の趣味ではない。彼はもっと、男の子が好きそうなものを作る筈。大きくて、ごつごつしてて、厳めしいものを。それによく見れば金の装飾が付いてる。これほど細かい細工を彼は作れはすれど、命令でなければ作らない。こんなものを取り付けるくらいなら彼は回転式掘削機ドリルとか爆圧式貫通槍パイルバンカーを搭載しようとするだろうし。


 この金細工から鑑みるにひょっとしたら、身分が尊ばれる方を乗せた蒸気四輪かもしれない。つまりは客人ということか。僅かに苛立ちつつも大佐がいるであろう応接間に赴く。


 ノックと共に緊急の要件である旨を扉越しに伝えると短く「入れ」という返答をいただいた。

 逸る気持ちを抑え、軍服を纏う浅黒い肌の男――杉山泰道すぎやまやすみち大佐が応接間のソファの一つを陣取っており、その後ろには深凪東花みなぎとうかが目に見えるくらい苛立った様子でカチャリカチャリ―—と鯉口を切っては納めを繰り返していた。


「待っていたよ御一行」


 腹が立つくらい清々しい笑顔の杉山大佐の傍らには日本刀と何やら古めかしい長銃が立てかけられている。マスケット銃みたいな、とても時代遅れの銃。たねがしま、っていうんだったっけ? 戦国時代に伝来したとかいうマッチロック式の長銃。

 この国は呪術と呼ばれる魔的技術の最先端を往く国だ。呪装銃という誰にでも扱える術式杖の皮を被った銃を使って大国だった祖国を破ったのはロシア人にとって忘れがたい記憶として刻まれている。にもかかわらずなぜこの人はこんな化石みたいな銃を――いや、違う。これ、ただの銃じゃない。何か、感じる。悠雅の“アメノオハバリ”とか宗一の“クリカラ”、そしてウラジミール准将が持っていた“モルニアストレルカ”に似た、奇妙な感覚。聖性の波動。


 ……なるほど、そうか。これは神器なんだ。そう確信した頃、舐めるような視線を感じた。


 にやにやと、粘り気を含んだような視線。なぜここにこの男がいるのかしら? 徐々に苛立ちがこみ上げてくる。この男は昨日顔を合わせた時から気色が悪くて仕方がなかった。ニヤニヤニヤニヤ、張り付けたみたいな下卑た笑みが本当に鬱陶しくてしかたがなかった。

 隊長のそれに近い感覚だけど、隊長のはウザいだけ。こいつのは、生理的に受け付けない、そういう気持ち悪さがあった。


「――そう睨むなよニコラエヴナ。これでも私はお前の尻を拭きに来たのだから」

「なんですって……?」

「我こそは、天津神――杉山泰道である」


 ぽかんとしてしまった。この男は今、何と言った? 天津神? 第三階梯ってこと? この男が? が?


「そういえば、お前達の名前をまだ聞いていなかったなぁ」


 困惑する私を置いてきぼりにして杉山泰道は意地の悪そうな笑みを浮かべて。


「時間がないと言ったはずだが? それに、貴様は知っているだろう」

「そうカリカリするな東御大佐。本人達から聞くのが良いんじゃないか。それに、そうするのが筋だろう? 同じ特務機関とはいえ、他部署の長に尻を拭わせるのだからなぁ」


 ここまで聞こえてくるくらい歯噛みする音が聞こえた。その主は艶やかな袖を揺らして、


「……名乗ってやれ」


 私達は顔を見合わせ、致し方ないと右から順に、


間宮宗一まみやそういち少尉であります」

藤ノ宮雪乃ふじのみやゆきのと申します。階級は少尉位階でございます」

「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ少尉ですわ」


 大佐から限定的だが、与えられた役職。ロシア人である私がまさか皇国の軍人になるなんてね、なんて自嘲気味に胸中笑っていると、


「ほーう、少尉。少尉か。ニコラエヴナ少尉ときたか。すっかり皇国の犬になり下がったわけか?」


 誇りは無いのか、と問うているのかしらね。ロシア人としての。悪魔のような顔で。心底楽しそうに。……ええ、ええ、とても癇に障る。自分で笑う分は構わないけど、誰かに笑われるのは少しばかり耐え難い。


 それを見透かしたように男は更に笑みを深めた。


 この男、ロシア人の性分をよく理解しているわ。本当に。まともな神経をしているロシア人だったらここでモシンナガンあたりをぶっ放してる頃よ。だって、私達ってどうしようもなく喧嘩っ早いから。


 でも、私にそれは通用しない。決して少しも苛立たないわけじゃない。だけど私は今は滅びたとはいえ一国を背負ってきた一族の末端を穢す者。教育のされ方が違う。この程度の低い煽りを受けてキレるほど易い女じゃない。


「この国に魂を売り渡したつもりはありませんが、骨を埋めるつもりではあります」


 私達の国は、もうないから。それに、何よりも悠雅のいない場所で生きていくなんて嫌だもの。考えられないわ。


「強かな女だ。良い女だ」


 そう言って杉山泰道がニヤァと笑うと隊長がスッと前に出る。


「もういいだろう杉山泰道」

「上官に対する口の利き方がなっちゃいないなあ」

「俺の上官は東御大佐生涯ただ一人だ」

「愛の告白がしたいなら情緒を学びたまえよ、


 がたり、隊長が身を乗りだそうとするのが見えたがそれを東御大佐が制した。


「杉山。うちのを余り煽るなよ。東花に斬らせるぞ」

「おいおい、深凪は私のだぞ」

「本当に、そう思うか?」


 先ほどから鳴り続けていたカチャリカチャリという音が鳴りやんだ。それも最後に軍刀が鞘走る音を最後に。


「嫌われたもんだなあ」


 杉山大佐はそんなことを口にしながらも笑みを絶やすことなく紅茶を啜って、


「これでも至って真面目に言っていたんだがね。女を見る目は自信があるぞ」


 そう言って髭を撫でながら「きちょーとか超いい女だったし」とかなんとか、自慢げに語っている。……“きちょー”って誰よ?


「所で、先の報告の通り、本当に御大の秘蔵っ子は攫われたようだな。深凪の弟、深凪悠雅みなぎゆうが、とか言ったか」


 男は愉快そうに笑って見せた。どこが楽しいの? すごくイライラする。さっきの煽りよりも余程。


「英雄の後継者も大したことがないのか?」

「――っ」


 思わず、声を荒げそうになった。悠雅はあの場で最善を尽くしてくれた。だけど、足を引っ張ったのは……間違いなく私だ。ラスプーチンが現れた時点で結末は変わらなかったかもしれないけど、少なくとも私は理性を失って彼の足を引っ張った。守ろうとしてくれた彼の背中を雷撃で焼いてしまった。


 度し難い程に愚かで、未熟な己を引っ叩いてやりたくなる。


「――杉山。いい加減リミットだ」


 東御大佐が脇から口を出すと彼はあからさまに不機嫌そうに「えぇ~もうか~?」なんてぼやくと日本刀を腰に差し、種子島を担いでかったるそうに応接間を出て行った。


「斬らせてくれても良かったのに」

「お前は捨て石にできん。あれの為に、お前を失うのは惜しいのさ、大尉」


 大佐とミス・ミナギが物々しい会話をしながら退室する。さらに隊長が私達にこの場で待機するよう命じた後、後を追うように退室していった。恐らくあの男の見送り、かな。あんななりだけど、第三階梯なのだし、その身が尊ばれる人間のはず。

 この施設で一番階級が高い大佐と知己であろう隊長が見送るのが筋だ。


 しかし、ここで彼が帰るということは今日は降下しないということなの? そんなに悠長でいいの?


「——————っ」


 口内に血の味が溜まる。きっと、歯噛みするあまり歯茎から出血しだしたんだ。このままではいつか奥歯が砕け散る。でも、そんなことが気にならないくらい私の心は燃え上がっていた。今すぐにでもここを飛び出して行きたかった。

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