第三章3 ド・マリニーの時計
しばらくして、戻ってきた大佐と隊長の傍らには白髪の美女の姿があった。全身に何か、蛇みたいな文字――梵字だっけ? それが刻み込まれ、その背には銀色の大きな箱を背負っている。彼女はどこか疲れ切った目つきで、彼女自身を連れてきた隊長を睨んでいる様に見えた。
ミ=ゴ。ヴィクトリアと名乗る、第二層に落下した悠雅と宗一と瑞乃を助け出してくれた(助け出された?)人語を介する怪物。話によれば
彼女等は人智の及ばない科学技術を有しているらしく、それ目当てで隊長は彼女を拘束しているのでは、と大佐は言っていたっけ。
「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ皇女殿下」
大佐に名を呼ばれ、返事をすると、彼女は私に向かって桐の長細い箱を差し出しながら、
「御身にお返しいたします」
妙に低姿勢な様子。これは今、私は一介の軍属や所有物ではなく、ツァーリの娘として接されているということ? なんで今さら。ともかく、中身を確認するとそこには見覚えのある純白の剣が納められていた。
これは確か、悠雅がウラジミールを倒した後、私を串刺しにした剣……。日露戦争の戦利品として皇国が帝国から接収した
「宝剣“クォデネンツ”。帝国皇家に伝わる剣であると聞き及んでおります」
「――!!」
驚いた。名前しか聞いた事のない、お伽噺の中だけに存在すると思っていた英雄の剣だ。
「……あの後、てっきり上層部に押収されたとばかり」
「奪い返しました。それは皇国人には扱えませぬ。御身の手にあるべきでしょう。それに何より、今は少しでも戦力が欲しい」
「……正直言えば、もっと早く欲しかった」
「済まないな。だが、これでも特急で上から毟り取ったのだ。余り怒るな」
「わかってるわよ」
私だってかつては国の頂点に立っていたんだ。軍の上層部や政治家、貴族が保身のために動いて、治世や軍略を妨げることなんか何度もあった。
大佐位は高位階級だけどそれでも上は多い。そんな中、彼女はクォデネンツを奪い返してくれたのだ。一体、何を犠牲にしたのかはわからないけれど、少なくとも賄賂を渡すくらいではどうにもならなかったはずだ。
ひょっとしたら、彼女の立場も危ういものになったかもしれない。そう思えば、私に彼女を糾弾する資格なんかない訳で、
「ごめんなさい」
みっともない。そう思った。私のせいで攫われた二人を思って、私はどうしようもなく焦ってた。その苛立ちを、最善を尽くしてくれている大佐にぶつけるなんて、みっともない。みっともなさ過ぎる。
そして、私は本来最初に言うべき言葉を口にする。
「ありがとうございます。我が祖国の誇りを取り返してくれて」
気が付くと私は大佐を抱きしめていた。感極まったのかな? 気が付いたら勝手に体が動いてた。
彼女の甘い香りに自然と頬が緩んだ。柔らかくて、温かくて、凄く抱き心地が良い。お父様やお母様、お姉様たちに抱き着いた時とも、アリョーシャを抱きしめた時とも、ジョイ、オルチポ、ジミーの三匹を抱きしめた時とも違う、不思議な感覚。
「は、離れろ、アナスタシア……」
私のお腹を押して、彼女は私の腕から離れた。何というか、ひどい喪失感みたいなのものが私を襲ってくる。だけど、少し恥ずかしそうに頬赤らめた大佐が愛らしくてまた頬がほころぶ。
うん、いい具合に緊張もほぐれた。
「演習場に向かうぞ」
ふいと踵を返した大佐は背中で一言私達にそう告げると踵を返して寮の外へと向かい始める。時間は未だ日が高い。逢魔ヶ刻への降下はいつも日が沈むと同時に行われるというのにこんな時間から祠に向かってどうするというのだろう?
それになにより、この場には悠雅がいない。悠雅とアメノオハバリの力があって初めて開くものだと聞いていたけど……。
そう疑問している間に演習場に出るとその一角に大きな危機とその中心に、何かが突き刺さっているのが見える。
やけに針の長い時計――のようなもの。
丸い二メートル近くあるを時を刻む四本の針。針が剥き出しになった掛け時計といった印象。それが選定の剣さながら突き刺さっている。チクタクとやけに喧しく時を刻むそれは何故か邪気のようなものを孕んでいる気がして、時計や選定の剣というには余りにも邪悪で、冒涜的なものに思えた。
隊長はその時計を引き抜いてみせた。
それで一体何をするつもりなんだろう?
「――では、これより逢魔ヶ刻への降下を始める」
突然大佐はとんちんかんな事を言い出した。
「今は夕刻でもなければ悠雅もいません。それに祠でもない。どうやって開くのです? それに杉山大佐は?」
問うと彼女はこちらを向くと一言、
「杉山はきちんとラスプーチンの討伐に向かわせた。東花もいる。仕事はするはずだ」
「ですが、ラスプーチンは逢魔ヶ刻にいるのでは?」
同じく疑問に思っていたのか宗一が大佐に問い詰める。雪乃は私の証言を元に報告を行っている筈だ。それを踏まえればラスプーチンは逢魔ヶ刻にいる可能性が高かった。
あの時、アリョーシャはこう言っていた、『第三層目においでよ。そこで決着をつけよう』と。銀の黄昏教団がそこで何かをしようとしている、という話もあった。あの場に現れた三人が教団とどういう繋がりを持っているのかは知らないけど、少なくとも共闘状態にあるはずだ。
しかし、大佐は宗一の質問をあっさりと否定して見せた。「ラスプーチンは現世にいる」と。どこぞから得た確かな情報なのだろうか? 私の情報も憶測でしかないので信じるしかないか。
ではもう一つの疑問については? そこについて改めてもう一度問おうとする前に彼女はヴィクトリアへと視線を向けた。
「……はぁ、状況の説明も無ければ、私への感謝の言葉もない。どうかと思うよ東御陽菜」
「匿ってやっているのが最大の感謝と誠意と思ってもらいたい」
「私の技術と知識を搾り取ってるだけだろう? 出涸らしになってしまうぞ、まったく」
ヴィクトリアはニヒルに口の端を上げて肩をすくめた。悠雅ならあの茸と甲殻類の合成品みたいな体を想像しながら「良い出汁がとれそうだな」とか皮肉を言いそうだ。
「今、學天則が手にしている時計は“ド・マリニーの時計”――その模造品だ。本物よりスペックは幾分か落ちるが、空間を貫く程度の力は有している。実証は既にした。彼らを現世に連れ帰ってくる際にね」
てっきり、悠雅が最後の力を振り絞ってこちら側へつながる穴を開いたのだと思っていたけど、これにそんな力が?
「これはその場にいる生物の魂が発する
「それは詰まり、いきなり戦闘に入る可能性もあるということですか……」
雪乃が少し苦い顔をした。そういえば、呪術師というのは突発的な戦闘や短期決戦を苦手としているんだっけ。言われてみれば彼女は降下任務中もあまり戦闘に加わらなかった。
他の仕事で忙しいというのもあったのだろうけど、そういう意味合いもあったんだろうな、なんて今になって思う。
「さて、疑問は他にないかな?」
特にはなかった。強いて言うならこの女がどれだけ信用に足るのかみんなに聞きたいくらいか。
まあ、私なんかよりも遥かに用心深い大佐がゴーサインを出しているのだから信頼はしてもいいと思うんだけど。
「――では、學」
大佐が合図を出し、隊長がド・マリニーの時計を起動させる。チクタクと一定の速度で時を刻み続けていた時計の針が加速していく。
「貫け時計よ――」
瞬間、眩い閃光が迸り、視界が歪む。自分たちの足元が崩れ落ち、落下が始まる。
同時に、何かが空高くからこちらに向かって降ってくるのが見え、直後、開かれた特異点を落下する私達に先んじて落下していくのを見て、
「今の、何……!?」
私の疑問の声は、異常なほど丸く歪んだ空に消えた。
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