第三章『罪の在り処と罰の所在』
第三章1 決意
激しい揺れを感じて水底から這い上がるように意識が浮上する。目を開くと四角く切り取られた風景の真ん中に眩い太陽が見えた。どうやら私は
右から左に流れていく風景を横目に一体いつの間に寝てしまっていたんだっけ? と、そう疑問して肌寒い空気に身を震わせる。ぽっかり空いた記憶を辿り、そうして、ハッとして座席に埋まっていた己の体をたたき起こす。
「気が付いたみたいですねアナスタシア様」
「は、――はぁっ―――――ひぅっ」
隣で座っていた雪乃が過呼吸になっている私の背中を摩ってくれる。本当に優しい子。だけど、その優しさが今は何より痛かった。その慈愛の眼差しに焼かれてしまいそうだった。歯を食いしばりながら平静さを取り戻すよう努める。私の私情のせいであの二人の救出が遅れたら、私は、私は……今度こそ死んでしまいたくなるから。
肺を思いっ切り殴りつけるべく右腕を振り被るも雪乃に掴まれてしまった。彼女は「自分の体を傷物にしてはいけません」なんて言って止めてくれたけど今はそうしている状況ではない。私は空いたもう片方の手で己の肺を殴りつけ、盛大に僅かに血交じりの唾液をえづいた。だけど、お陰で止まった。
「……悠雅と瑞乃はどうなったの?」
酷い質問だった。お粗末に過ぎる質問。言葉が足りないにも程度というものがあるでしょう?
だけど、そんな程度の低い質問に雪乃は間もなく答えてくれる。ただ一言、「見つかりませんでした」、と。続けて彼女は返すように問う。
「あの場で何があったのですか?」
「………………、」
私は彼女からの問いを、すぐに返す事が出来なかった。これは私の恥部を晒すことに等しいから。いや、ある意味それ以上のことかもしれない。でも、あの二人の事を思えば、私はきちんと伝えなければならない。それがけじめであり、仲間への友愛と私の親愛だ。
私は彼女にラスプーチンとキザイア・メイスンの襲撃を受けた旨を伝え、どこかに飛ばされたのではないか? と述べる。そして、小此木・アレックス・光喜――
彼女は、何も言わなかった。私が語る間、ずっと、ただ粛々と聞いていた。私自身、巧く言葉が出なくて、きっとよくわからない言葉を口にしてしまったような気がした――にもかかわらず。一つも質問をせずに私の言葉に耳を傾けてくれた。
動揺し続けている私を慮ってくれたのだと思う。そうして、やや間を置いて、蒸気四輪が奥多摩へと続く山道に入った頃に彼女は切り出す。
「恐らく、いえ間違いなくあのお二方は無事でございましょう」
そう結論を述べて、加えるように「ですが」と続ける。
「彼女たちを助けに行かなくてはいけません。敵は強い。ラスプーチン、キザイア、小此木様――いえ、アレクセイ皇太子殿下」
「……本当に、ごめん。ごめんなさい。私が落ち着いて行動できていたら」
あの時、多分一番冷静だったのは悠雅だった。彼はずっと私を諫めようとしてくれていた。
自分はいつも一人で突っ走っていくくせに、他人の時はそうやって思い遣れるんだからズルい人。良い意味でも、悪い意味でも。
「どのみち彼らとの戦闘は避けられないことはわかっていました。気に病まれるなら、その分実戦で挽回してくださいませ」
「……わかった」
頷くと彼女は薄く笑いかえしてくれた。その後、すぐ険しい顔に戻ると窓を開けて――鳩のような形をした、しきがみ? だったかな、あの使い魔みたいなもの。それを飛ばしてどこかと連絡を取ろうとしているようだった。多分、今の話を大佐に先んじて伝えるためだ。
「しかし、光喜がアレクセイ殿下だったとはな……」
そう零すのは助手席に腰を下ろす宗一だった。彼曰く、アリョーシャは今年の四か月前、七月の暮れ頃にふらりと軍学校に編入してきたそうで。編入試験は全て満点。実力試験も運動技能以外は全て満点だったらしい。
完全に異国の人間だったというのにどうして軍学校に入学できたのか、とかそんな当たり前なことよりも勉強嫌いだったあの子が試験で満点を取ったことや体の弱かったあの子が軍学校に入学できたことの方が驚きだった。……あの子は幼い頃から病気がちだったから。
そういえば、と、ふと思い出す。あの子は小さなころから軍人になりたいと言っていたことを。欧州戦役で帝国軍の
どうしてあの子が皇国軍に属しているのか、キザイア・メイスンや仇である筈のラスプーチンと一緒にいるのか、わからないことだらけだった。
「彼はずいぶん宗一さんや深凪様に懐いていたように見えましたが……あれが演技だったとは、あまり思いたくありませんね」
雪乃のその一言でようやく気付いた。彼らは彼らで信頼していた仲間、友人に裏切られたということを。なのに、私は一人で腐っている。
血を分けた家族だからと彼らは間違いなく私を慰めてくれるだろうけど、血を分けた家族だからこそ、誰よりも奮起しなければならないはずだ。ましてや、ようやく会う事が出来たのだ。
私は私の望みを果たさなきゃならない。
「アレクセイ殿下は拳で連れ戻す」
宗一は「話だけは聞かねばならん」と前置いてそう語る。それが
続けて彼は述べる、かの第三階梯への懸念を。
「あの男――ラスプーチンは私が殺す」
あの男は家族の仇だ。私が絶対に殺さなければならない。報いを、受けさせてやらねばならない。奴がお父様の首を刎ねなければ、私の家族は助かったかもしれないから。
確かに、お父様は治世を間違ったのかもしれない。私達は殺されるべきだったのかもしれない。私達は絶対に、あの血に染まった日曜日を忘れてはならない。でも、それでも――そんなこと関係ない。家族を思う気持ちがこんな罪悪感程度で押しつぶされはしない。
だから、私はあの男を打倒する。私から全部を奪ったあの男――グレゴリー・ラスプーチンを。
しかし、息巻く私に冷酷なくらい無慈悲な一言をかける男がいた。
「お前に奴は倒せないよ、ニコラエヴナ」
蒸気四輪を運転する私達の上司たる男、
「第三階梯は第三階梯にしか倒せん」
「やってみなくちゃわからないじゃない……!!」
「やらなくてもわかる。奴らはこの世界の住人ではないんだよ。文字通りな」
隊長は続ける。第三階梯が、天津神と
第三階梯に至った神格は余りにも強すぎる祈りの力で界を生み出すようになるらしい。それは一つの異界と同義であり宇宙一つを蒸発させる力か、もしくは界を貫きその異界の中にいる本体を攻撃する術がない限り、傷一つ付けることができないという。
荒唐無稽過ぎて、私は言葉を発することが出来なかった。決して言葉の意味が理解できなかった訳じゃない。でも、訳が分からなかった。私が今聞いているのは熾天使という強大な力を持つ人間の話ではないのか? まるでそれでは本当に聖書や神話の中で語られる超常の存在ではないか。彼らの持つ力はそこまで強大だというの?
「……そんな奴、どうやって倒せばいいのよ……」
どうであれ、あの男は敵だ。あの男は方法はどうあれ撃破しなきゃいけない。
「グレゴリー・ラスプーチンが入り込んでいることは上も承知していてな。本来、表立って動かしていいのは
「織田? 織田って……明治が始まる前の皇国を実効支配してたあの織田? でも、相手は第三階梯の神格なのよ?」
天使を指して未だに神格と呼ぶのが未だにひっかかるところがあるけれど、それに対し徐々ではあるけど、慣れつつある。この国の文化に染まってきているのかな、なんて自分を俯瞰視しながら懸念を示す。
第三階梯の神格は単騎で国家間の戦争の戦局をひっくり返す力を有する。御陵幸史然り、ミーチャ然り、ね。
……ああ、そっか。これが答えか。つまり――
「修羅の国であったかつてのこの国を治めていた者が修羅でない筈がないだろう?」
――もう一人、この国の第三階梯を引き摺りだすということ。
……私のせいで、この国にはずいぶん迷惑ばかりかけてる。ああ、本当に私はいらぬことばかり起してるわ。私、あの人の望みの邪魔ばかりしてる。情けない女。本当に。
……今更、ね。
でも、助けられてばかりではロシアの女の名が廃るというもの。こればっかりは改善しなければならないこと。でなければ、私はあの人の隣に立つ資格はない。だから、今度は、私が貴方を取り戻す。
命を懸けて、戦って、必ず。
そして、
弟に、アリョーシャに罰してもらうのだ。本当の裏切者である、私を。
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