序章10 辞令

「僕だって十分異常な立場ではあるけどそれにしたって……」

「光喜」


 ぼやく光喜を宗一は一言で制する。しかし、それ以上何かを言うことは無かった。正直なところ宗一も同じ思いなのだろう。


「それで、大佐殿。私に何か用ですか?」


 頭痛がする状況だったが一先ず腰を下ろして大佐殿の目線に合わせる。


「楽にしていいぞ、ゆうが。後、私に敬語は不要だ。こんな小さな子供に敬語なんて嫌だろう?」

「……それでは遠慮なく。俺に何の用だ?」


 向こうでどこぞの腐れ縁が空気を焼く音が聞こえたが目の前の大佐殿の後ろ盾があるせいかとやかく言ってくることは無かった。


「まぁこんなところで立ち話をするのもなんだ、場所を移そうか」


 大佐殿は教官殿に軽く会釈すると俺の袖を掴んで移動を始める。俺もされるがまま、後に続く。その背後には宗一と藤ノ宮が続く。

 一体どこに連れて行かれるのやら? なんて疑問していると学舎の中に入り、学長室の隣にある応接間に通された。

 中には人影はなく、ここまで俺の手を引いてきた童女はとっとと上座に座り足をバタバタさせている。


「どうした? 座っていいんだぞ?」


 正直に言って当惑している。

 展開の速度に追いつけていないんだ。


「気持ちはわからなくはないが早く座れ、悠雅」


 宗一に促されるまま席に付くも、どうにも気持ちがふわふわしている。


「皆まだ、信じられない、という目をしているな。まぁそれが普通の反応だろうな。軍なんて場所は男社会が基本だ。女――ましてやこんな小さな子供を軍属にするなんて普通考えられないし、あってはならないだろうさ」


 自嘲気味笑う彼女は、それでも続ける。


「私も神格なんだが、その中でも少々特殊な力でね。それがまぁ軍部のお偉方にえらく気に入られてしまっていてね。その為の保険なんだよ、この役職は」


 なんて言って苦笑い。


「差支えなければ伺っても……?」


 問うたのは宗一だった。

 現人神の異能はそもそもからして荒唐無稽だ。その現人神を全国からかき集めている皇国軍をして幼い少女を佐官に引っ立てる程の異能が一体どんなものなのか? 気にならないと言えば嘘になる。

 しかし、目の前の大佐殿含んだように笑って、


「これを聞いたが最後——が、構わんか?」


 総毛立つ。

 それは、年相応の少女が浮かべる様な愛くるしいものではなく、


 そう、例えて言うなら年期を感じさせる老獪ろうかいな魔女のそれだった。


「——悪かったよ。余り怯えないでくれないか? 流石に傷つく」


 凍り付く空間を動かしたのはやはり目の前の大佐殿だった。

 やや気落ちした様子の大佐殿がたもとから取り出したるは四本の紙筒だ。それを一人一人に配り、読めと目で促され、拝見させてもらう。


―――――――――――――――――――

   辞令


 以下ノ者ヲ皇国陸軍特務科第八分室、神祇特別戦技科じんぎとくべつせんぎかへノ入隊ヲ命ズ。


 【橘比奈守深凪悠雅鍵時たちばなのひなもりみなぎゆうがかねとき


―――――――――――――――――――


 うじかばねいみなまでしっかりと書き込まれている。親兄弟くらいしか知らない普段名乗ることのない名前が一つの誤字もなく並べられていた。

 薄々冗談ではないかと思っていたが、どうやらこの少女の言っている事は本当の事らしい。


「――これは……つまり? でも‟神祇特別戦技科”ってなんだろ? 聞いたことないね」

「だな」

 同意して頷く。

 ‟神祇特別戦技科”。何度かみ砕いても聞いた事もない兵科だった。

 陸軍の兵科は全部で八つ――歩兵、騎兵、砲兵、工兵、輜重兵しちょうへい、憲兵、航空兵、鬼道兵。

 俺達みたいな現人神や呪術師は八つ目の鬼道兵という兵科に配属される筈だった。

 ちらと宗一と藤ノ宮の顔を覗くと二人もやはり聞き覚えが無いようで、藤ノ宮に至っては半ばいぶかしんでいる様な顔をしている。

「聞いた事ないのは当然だ。一応兵科ではなく、特務機関の中の一組織という位置づけだからな。おまけに元々は嘗ての神祇じんぎ省が母体の組織だから一般の人間どころか上層部もまともに知ってる人間が少ないだろうな」

 白い歯を見せながら、「まぁ、今は殆ど私の私設部隊のようなものだがね」なんて付け加えて。

 特務機関内に神祇省? 私設部隊? ますます以って意味が分からなかった。一体どんな能力を持っていたらそんなことができるようになるんだろうか?

 そんな俺の疑問を他所に大佐殿は話を続ける。

「主な任務の内容は後日伝えるとして、まずは一つ――卒業、そして昇格おめでとう。お前たちには明日から家を離れ郊外にある寮に入ってもらう」

「なっ――」

 いくらなんでも急過ぎるだろう。

 普通こういうものって少し間を空けるものじゃないのか?

「不服か?」

「いやに急だと思っただけだ」

「急? そうだな、急だな。だが、軍人となった以上はそんなものは泣きごとにしかならんぞ」

「……わかってるよ」

 根本の話だ。

 軍人という職業は雑に説明すれば敵と戦う職業だ。それは、敵という他者有りきのもので、常に受け身である事が強いられる。

 当然だ。敵という存在が無ければ軍人という存在は意味がなくなる。

 そして、こちらの思惑通りに動いてくれない存在を相手に「待ってくれ」なんていう言葉は通じない。

 ただ……ああ、わかっているさ。俺の覚悟が足らなかったんだ。

 他の同期達共に全員同じ日に卒業して、同時に軍人の仲間入りするのではなく、何某かの理由で早くに軍属に就くことだって絶対に有り得ない事ではなかったのだから。

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