序章11 昇進

「——さぁ、話は終わりだ。各々用意があるだろう? 一度帰宅して入寮の準備をしてこい。無論だが学校の方には話は通してあるから安心して帰宅するといい……とは言っても、お前たちは士官候補生ではもうないからとやかくいう者もいないだろうがね」


 なんて、冗談めかして言う大佐殿は袂を翻し、応接間を退室した。


「今日から軍人かぁ……。短い学校生活だったなぁ」


 ごちる光喜だったが正直反応できる余裕が俺にはなかった。


「……ジジイもいい大人だしな。俺がいなくなっても大丈夫……だよな? 姉ちゃんもいるし」


 懸念は詰まりそこ。

 姉ちゃんは既に軍人であり、大尉という位を得ている。それだけにかなり忙しい日々を送っている。

 今朝は一緒に朝食を一緒に摂ったがいつもそうだという訳じゃない。

 朝起きたら既に家を出た後であったり、仕事に追われ帰ってこれない日だってある。

 爺さんは料理が壊滅的だ。盲目ではあるが一般的な老人と比べればかなり元気だ。だがそれでも歳は歳だ。いつまでも元気でいられるとは限らない。


「大丈夫……大丈夫なのか?」


 自身よりも遥かに強い男を心配するなんて、他人から見ればさぞ滑稽に映るだろうがそれでも心配なものは心配だ。

 そんな俺の様子を見かねたのか宗一が肩を叩く、


「師匠の事はうちの方でなんとかする」

「宗一……」

「それよりもお前はお前の事を考えろ。継ぐんだろう? あの人が背負ってきたものを」

「……、」


 宗一は本当に、よく見ている。

 おせっかい焼きめ。……ありがとうよ。




 校舎を出るとちらついていた粉雪は大粒の雪となって吹雪始めていた。

 大佐殿の仰られていた通り、早くに学び舎を後にし、準備に時間を回す事にした。

 とは言ったものの、俺自身は私物を殆ど所持していない。私服を鞄に詰めて軽く部屋を掃除するだけで終わってしまう。そういう意味では最後の教練を受けても全く問題なかったんだろうな。

 爺さんに今後の話をするのに時間を取られるだけだろうし。


「——俺と雪乃はすぐに家に戻る」

「私と宗一さんはいろいろ引き継ぎもありますからね。お二方はどういたしますか?」


 間宮と藤ノ宮の人間ともなれば忙しいんだろうなぁ。しかし、はて? 妙な感じ。何が妙とは断言できないのだが。


「雪も降っている事ですし車で送りますよ」


 微笑する藤ノ宮。善意しか感じられない。そこが逆にうすら寒い。

 ……ああ、そうか、なるほど。そういう事か。本当にお前ら難儀な奴らだよ。


「俺達は買い物して帰るよ。光喜も入用だろ?」

「ん、まぁそうだね」

「そうか。それならば、また明日な」

「皆さま、ごきげんよう」


 宗一と雪乃が並んでその場を立ち去る様を眺めつつ、腐れ縁の相変わらずの朴念仁ぶりに呆れてしまう。


「……ほんっとに、めんどくさい奴らだな」

「え、てか、待ってマジで宗一気づいてなかったの?」


 信じられないような表情を浮かべる光喜は俺同様呆れた様子で宗一の背中を視線で追った。


「とっととくっつけばいいのにね」

「それができたら苦労しないんだって」


 光喜も粗方の事情を察している為、あの二人に面と向かってそんな無慈悲な事は言わないが俺と同じようにやきもきしている人間の一人だ。

 親友たちの幸せを早い所祝わせてほしい所だ。早く宗一が決断すればいいものを何時までたってもうじうじと。修哉兄さんなら譲るってわからないのか? あの人、うちの姉ちゃんが好きなの気づいてないのか?


「んで、本当に買い物にいく?」

「おう、今日の夕飯の買い出ししねーといけないからな」

「悠雅ってほんと所帯染みてるよね。目つき悪いけど」

「人相悪くて悪かったな。殺人鬼も料理ぐらいするんだよ」


 調子に乗った弟分に梅干ししつつ嫌味を述べておく。別に気にしている訳ではない。ああ、そうだ気にしていないともさ。


「痛い痛い痛い!! 頭ぐりぐりすんのやめー!!」

「あー俺目つき悪い上に性格も悪いからなーごめんなー」

「わかった!! わかったから!! ごめんってば!!」

「何に対して謝ってるのかさっぱりわからんが離してやろう」

「いったいなぁ!! もう!!」


 そこには側頭部を両手でさすりさすり、非難轟々、涙を湛えて睨んでくださるクソガキがおりました。


「笑顔で怒るのやめてよね」

「怒ってないぞ」

「う、嘘だ。実は気にしてるんでしょ目つきの事」


 気にしていない。断じて気にしていない。幼い頃に殺人鬼のような顔をしていると近所のクソガキ共に言われた事はあるが絶対に気にしていないのだ。


「どうせ人殺してそうな面とか言われ――あいたぁっ!?」

「次は拳固げんこで行くけどいいか?」

「殴った後に言う台詞セリフじゃない!! 勘弁しろよ怪物!!」

「怪物とは酷い言い草だ」

「悠雅は力強すぎるんだって言いたいんだよ!! ほんとに同じ現人神なのかも怪しいもんだよ!!」


 なんだこれ? 逆切れか? なんて思いつつ手拭いで涙を拭いてやる。なんか弟の面倒見てるようで面はゆいものがある。……泣かしたの俺だけど。


「俺、そんな力強いかね……? 現人神が力強いって普通じゃないか?」

「そりゃ一般人と比べれば強いけど悠雅はちょっと別格。さっき、雪乃の式神の拳を平然と受け止めてたけど現人神とはいえ普通出来る事じゃないよ?」


 大真面目に語る光喜に面食らいつつ、自身の腕を見る。決して細腕ではないにしろ太くはない腕。同じ現人神である宗一と比べれば一回りは細いだろう。

 だが、そういえば、と思いだす。

 宗一とは剣の稽古をすることがよくあった。今でこそ間宮の人間として忙しくなって中々できなくなったが、それでも一番剣を合わせたのは宗一だった。そんな宗一との稽古では幾度となく鍔迫り合いもしてきた。だが、力負けをした覚えは余りなかった。

 本気で口にしていたかどうかはわからないが兄弟子達も「悠雅は力が強いなぁ」なんて笑って言っていた。とは言っても兄弟子たちと剣を合わせたのは本当に幼い頃だけだったから冗談とも受け止められる気がする。

 正直、端的に言っても実感ができなかった。


「悠雅は雪乃と他の人との演習見たことない? 誰も生身で雪乃の式神と対峙する人なんかいなかったでしょ?」

「そりゃ当たり前だろ。みんな派手な能力持ってるしな」

「……そうだったね」


 何やら憐れんだ目で見てくださる光喜に軽く拳固をかましつつ、若干凹む。

 祈りは選べるものじゃないんだ。しょうがないだろう……。


「あんまり今回は痛くないね」

「あれだけ痛い痛いと騒がれれば手加減もする。まぁせいぜい、敵に対しては全力で振わせてもらう事にするよ」

「賢明だね」


 光喜は理解を得られた事に満足そうに頷いて、


「それじゃあそろそろ買い物にいこうか。僕新しい服が欲しいんだ」


 ご機嫌に鼻唄交じりに。

 新しい服を買いに行くのが楽しみなんだろう。容姿に見合った趣味をしている。

 どこぞの人相の悪い出来損ないの現人神とは違う。


「悠雅は夕飯の材料だっけ? 何作るの?」

「何にしようか……」


 とりあえず、今晩の食材を買って帰らないと、と漠然と考えていたから何を作るかはまだ考えていなかった。

 今日の夕餉は何が良いだろうか? 姉ちゃんはいるかどうかわからないが一応肉にしておくか。

 って言っても洋食は得意じゃないからなぁ……。


「……治部煮にしようか」


 軍鶏は高いし、鴨肉……大して変わらないか。まぁどちらにせよ今日は治部煮だ。決定。

 他の誰が何と言おうと俺の胃袋が治部煮を欲してしまっている。


「ちぶに? 何そのヤバそうな料理?」

、な。だから股間を抑えるのやめろ」

「いやなんか、その……もがれるのかと思ってさ」

「全国の治部煮好きに土下座したほうが良いぞ」

「ワタシ、ニホンゴ、ワッカリマセーン」

「めちゃくちゃべらべらじゃねぇか」

「この国の人間が英国式英語クイーンズイングリッシュを聞いて理解できるのかはなはだ疑問なんだけど?」

「便利な人種め」

「便利なだけじゃなくて天才で美少年だからなー」


 普通自分で自分の事を‟天才”だとか、‟美少年”だとか褒めそやしたりしないもんだがこいつが言うとどうにも様になっているというか何というか。

 狡い人間というのは光喜のような人間の事を言うのかもしれない。

 

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