序章3 食卓という名の戦場

「――いただきます」


 丸いちゃぶ台を囲って、手を合わせる。

 鮭の塩焼きをまず一口。大目に振っておいた塩と鮭の脂が口の中で溶け合って強烈な白米への欲求が加速する。ああ、我慢することなんか不可能だ。


 見よ、この白く輝く宝石たちを。粒の一つ一つが直立し、ほのかに立ち上る甘い香り。もうだめだ、と白米を掻っ込む。そして、脂で滾った舌をほうれん草のお浸しで口直し。ホクホクの里芋も忘れない。

 ああ、至福だ。最高の気分だ。美味い……食事って言うのは常に何かを満たしてくれるものであるべきなんだ……。


「はふう」


 誰からともなく吐息が零れる。ため息を吐くと幸せが逃げるというが今の現象は幸せの許容量を超えたから排気しているのに近しい……かもしれない。


 次いで、味噌汁を啜る。普通なら物足りなさを感じる塩気だが鰹節と昆布の出汁がよく効いており、鮭の塩焼きが少しばかり塩辛目に焼き上がっているので丁度良い。具の木綿豆腐の歯ごたえとねぎの香りもたまらない。


「悠、今日は師匠から一本取れた?」


 味噌汁に舌鼓を打っていると姉ちゃんからそんな意地の悪い質問が飛んでくる。それを証拠に、ほら、口の端が歪んでいる。


「取れてないぞー。なぁ、悠?」


 頼んでもいないのにも関わらず俺に代わって答える保護者殿の口の端も歪んで、ほくそ笑んでいる。

 この二人、俺を馬鹿にする時は本当にイキイキしてるな。


「そもそもジジイから一本取れる人間なんて姉ちゃんしかいねえじゃねぇかよ」


 俺を含んで六人いる爺さんの弟子の内、真っ向勝負を挑めるのは我が姉、深凪東花ただ一人だ。爺さんの積まれに積まれた経験値を姉ちゃんは才能のみの一本槍で攻め勝ててしまえる。


「東花の剣才は全盛期の私を越えるからなぁ」


 厚焼き玉子に箸を伸ばしながらしみじみとぼやく爺さん。


「あまり褒めないでください。それはあくまでルールのある試合形式上での話です。本気で実戦のようにやれば、私に勝ち目なんてありませんよ」


 普段尊大な態度を取りがちな姉御殿が珍しくへりくだっている。

 それだけ姉ちゃんも爺さんの事を尊敬し、敬愛している訳で、その意思を受け取った爺さんも若干恥ずかしそうにしている。その気恥ずかしさを隠すように厚焼き玉子をまた一つ口の中に放り込んだ。


 甘党め、厚たまそんな気に入ったか。

 ちょっと嬉しくなる。美味くなきゃそんなに食わないしな。

 

 気が付くと目の前にあったはずの厚焼き玉子が残り一切れとなっており、しかもそこに更に箸が伸びようとしていた。って――


「ジジイ! テメエ、厚たま食い過ぎなんだよ!!!!」

わらひのたまほわたしのたまご!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「言っとくが断じてテメェのじゃねえからな? なんなら俺と姉ちゃんの分までほぼ食ってるからな?」


 八切れあったはずの厚焼き玉子が一切れしかない時点で答えは最早一つしかなかった。

 火花散らす視線。ちゃぶ台の上で火蓋は既に切られている。箸という名の剣を以って剣戟を繰り広げんと殺気立つ。


「一つくらい俺にも寄越せよジジイ!!」

「厚焼き玉子おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 忌み箸とかそんなことを考える余地など無く、瞬く間に都合七合、二膳の箸は交錯する。その結果、


「あっ……」


 素っ頓狂な声だ。なんて、そんな他人事みたいな感想を抱きながら姉ちゃんの箸が厚焼き玉子の最後の一切れをかっさらって行く様を見つめたまま、


「おいし」


 食われた。


「わしの厚焼き玉子……」

「食い意地張り過ぎじゃねぇ?」


 がっくりと項垂うなだれるジジイをなじっておく。

 別段、厚焼き玉子が物凄く好き、という訳ではないものの、かといって自分の分を奪われて平気な面をできるほど大人でもないらしい。

 ……後、本当にどうでもいいが、あまったるい厚焼き玉子を七切れも食って気持ち悪くならないのだろうか?


「というか二人とも食事中に行儀が悪すぎ」


 下らない事を考えながらジジイとにらみ合っていると姉御様から耳が痛くなるようなド正論を賜る。本当に正論過ぎてぐうの音も出なかった俺達に出来ることは頭を垂れる位しかなかった。


「やれやれ。……さて、私は先に出るよ」


 俺と爺さんを一言で叱り付けた姉ちゃんは手早く食器を片付けるとさっさと家を出てしまった。もういい時間だったか。

 とっとと残りの朝食を胃の中に放り込んで俺も出る用意をしなければ。


「急いで食べると喉詰まらせるぞ?」

「そこまで老いてないわたわけ」


 最後に味噌汁を飲み干し、流しに食器を持っていく。無論水で漬け置きしておくことも忘れない。世の御仁たちは乾燥して茶碗に張り付いた米ほど人をイラつかせるものはないと知るべきである。


「ジジイも食い終わったら食器水に漬けといてくれよ」

「おー」


 ちゃんと聞いているのやら、よくわからない返答を受け取りつつ軍刀を腰に差し、外套を羽織る。後は軍帽を被るだけなのだが……はて? コート掛けに掛けておいた軍帽の姿が失われている。

 自分の部屋に置いてきてしまったか? 持って行った覚えはないが、一応見ておく。が、


「っかしいなぁ……」


 自室に軍帽の影はなく思わず首をかしげてしまう。制服のままその他の部屋に行くことは無いから自室と玄関以外には持って行ってない筈なのだが……?

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