序章4 国の行く末への憂い

「すまん、悠。お前こいつを探しているんだろう?」


 朝食を終えたらしい爺さんの手には軍帽がある。


「ありがとう。どこにあった?」

「昨日の晩に借りてな」

「軍帽を? なんでまた?」

「若かりし時を思い出して、急に懐かしくなってな」


 感傷に浸っているのか、口の端を上げる。

 旭東日本皇国陸軍大将。目の前で感傷に浸っている爺さんのかつての肩書がそれだ。今でこそ厚焼き玉子でマジになるくらいのボケ老人ではあるが現役時代はその手腕で幾多の戦闘を勝利に導いていたと聞く。

 聞く、というのはそもそも彼が現役だった時代は年端も行かぬ小さな子供だったからだ。


 爺さんは余り、現役時代の事を自分からは語らない。元々軍属であった事は聞いていた。だが、軍史の教本や教官殿が時折名前を出して語ってくれた事で漸く、彼が陸軍の大将を務めていた事を知ったぐらいだったのだ。俺と姉ちゃんを軍学校に放り込むくらいなのだから教えてくれても良かったのでは? なんて思ったこともあったが自分から語りたくもない事をわざわざ語らせるのも無粋というものだろう。


 ……でも、爺さんが目指したもの、志したものは俺の中にちゃんと根付いているし、約束もしている。


「ジジイ、あんたの憂いは俺が晴らすよ。約束したろ? 俺がこの国の剣になるって」

「ああ、知っておるとも。大丈夫だよ、忘れはせんさ」


 なんて言って、ジジイは軍帽を被せてくれる。


「気を付けてな。後、精進しろよ」


 ぽんぽんと軍帽の上から頭を撫でつけて。


 まるで俺を幼子として見ているようで。

 途端に気恥ずかしくなってきた俺を他所にジジイは笑んでいる。


「恥ずかしいからやめろって、ガキ扱いするなよ」

「なに言ってんだ? まだガキだろうに」


 かちんと来るものがあった。だが、ガキだと言われて怒るのはガキである証拠だ、と言わんばかりに爺さんは笑みを強くしている。


「……それじゃあ俺、行ってくるな」


 怒気を無理やり呑み込んで外套をひるがえす。後ろから「おう、行ってこい」との言葉を背中で受けつつ、玄関を出る。

 今は無心で精進するだけだ。俺はそうすることでしか爺さんに恩を返す事ができないのだから。


 戊辰戦争、五稜郭の戦い、西南戦争、日清戦争、日露戦争、欧州大戦。ここ五十年もの間に起きた戦争で、特に大きなものとなったのがこの六つの戦争だ。内三つは国内の内乱で残り三つは他国との戦争だ。欧州大戦は今も継続しているが終わりは見えている。日本が所属している連合国側の勝利で終わる事だろう。そして、戦勝国として束の間の平穏を得る事となる。


 だが、その束の間の平穏は、ただ享受していられるような期間ではなく、また次に起こる戦争の為に費やされる。

 世界情勢はその程度には荒れている。馬鹿な俺にだって分かるくらいなのだから、頭の良い連中はもう既に動いているだろう。


 日露戦争の勝利を切っ掛けに列強の仲間入りを果たした帝国は今回の欧州大戦こそ日英同盟を理由に担ぎ出されたが次はこの国を中心に起こりうるかもしれない。


 ‟黄禍論おうかろん”、なんていう言葉がある。日清戦争の頃から声高に囁かれ始めた白色人種による黄色人種の差別的言語だ。近年では特に、白人国家である北法露西亜ほくほうロシア帝国を破った皇国に対して使われている。この言葉が使われ始めたというのは詰まる所で、劣等人種である筈の有色人種の国家が世界の覇権を狙う舞台の壇上に上がってきた事に対する恐怖から来るものだ。


 そう、恐怖だ。劣っていると思っていた者達が自分たちと同じ場所に這い上がろうとしている。今まで何気なく踏み潰していた蟻が自分たちと同じ大きさになって牙を剥いている感覚なのだろう。

 それなりに誇張した表現を使ったが俺自身は然程大袈裟なものとは思わない。その程度には欧州国家はこの国に恐怖しているのだ。だからこそ、この国は‟剣”を欲している。


 欧州中から恐怖に満ちた目、或いは異物を見る様な目で見られている現状、次の戦争の中心になるのはこの国になる可能性が高い。連続して戦争に勝利してしまっている現状を踏まえれば、高く伸びきったその鼻っ柱をそろそろ折っておきたいと考える者達が必ずいる。


 爺さんが憂慮しているのは詰まりそこだ。皇国は確かに帝国を破り大国の仲間入りを果たしたがそれでも欧州国家に比べれば国力では天と地ほどの差がある。実際、日露戦争だって後少しでも長引いていれば負けていた筈なのだから。

 この国を危機に晒したくない。愛すべき故国が蹂躙される様など見たくない。だが、自分が守るにはあまりに歳を老い過ぎた。だから、誰か守ってくれ。


 爺さんの願いはそれだ。彼はずっと守ってきたんだ。この国を。だから、護国の、次代の担い手を求めてる。

 俺が――深凪悠雅という一人の子供が御陵幸史という大英雄と交わした約束。

 俺をここまで育ててくれた大恩人への返礼。

 ‟年老いた御陵幸史という大英雄の意志を継ぎ、代わりにこの国を守る剣となる”。


 父が日露戦争で戦死し、母が病死した時点で親戚のいなかった俺達の人生は詰んでいたんだ。それを救ってくれたのだ。人生一つ、まるごと渡しても良いとさえ思える大恩に応えたい。極自然とそう思えたし、何の躊躇いも無く俺の口から流れ出た誓いの言葉だった。


「爺さんが安心できるようにしないとな」


 呟く言葉は白い吐息となって朝焼けに染まる中央街道に溶ける。

 白い吐息を追うように空を見上げると巨大な怪鳥が三羽。飛行演習を行っている航空機だ。


 英国からの技術提供を受けて開発された‟降雷こうらい”と呼ばれる世界最新鋭の破壊兵器。手の届かない天空から一方的に弾丸の雨と爆弾を降り注がせるその兵器は地べたを這いずる歩兵や戦車乗りから言わせれば悪夢でしかないだろう。

 人類の進歩とはくも恐ろしいものだ。




 ‟人の歴史とは即ち戦いの歴史である”




 ――とは、誰の言葉であったか? その程度には人類という種は互いに殺し合いを続けている。有史以来、起きた戦争の数を数えるだけでも頭が痛くなるしその中で死んでいった人間の数を数えようとすれば途方に暮れる事になるだろう。

 同じ種同士が殺し合う動物は人間しかいないと言われている。やむを得ず共食いする動物はいるが、互いが殺意を以って殺し合う動物は人間だけだと爺さんは言っていた。


 その闘争心は遺伝子に余程深く刻み込まれているのだろう。人類は戦争を起こす度に新たな兵器を生み出し、殺害方法を編み出す。

 それはまるで生物の進化の過程のようで。より優秀な個を繁栄させる為の選別のようで。


 進歩する文明と進化する殺意を俺は越えなきゃならない。



 ――より強く、より早く。

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