第二章18 裏切りの銀




 かつん。



 雷撃が飛び交う中、そこに二つ、軍靴と革靴が床を踏みしめる音が聞こえた。銀色の刃のような髪が雷光を乱反射して輝くのが見える。赤茶けた髪を肩まで垂らした長身の女の背中が見える。


 なんで、ここにお前がいる? なんでお前がそいつといっしょにいる? そんな疑問を浮かべる俺を他所にラスプーチンはこの場に現れた闖入者に目を向けて、更に笑みを深めた。



「愚弄も何も、? ねえ、我がツァレーヴィチ――【アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフ】殿下」



 今、あの男は何と言った? を見ながら何と言った? 彼を見ながら何故、最後の皇太子の名前を呼んだ?



「僕をその名で呼んでいいと許可した覚えはないぞラスプーチン。お前は一体いつからソヴィエトの犬になり下がった?」

「ハハハ、私なりの冗句ジョークというやつですよ殿下。だってほら、その方が、彼ら、怯えるでしょう?」

「人格破綻者め。つまらない小細工などしなくてもお前が圧をかけるだけで大概の人間は怯えるよ」


 そう言って、彼は、アレクセイと呼ばれた光喜がアナスタシアの方へと目を向ける。激憤と憎悪に塗れた目で。それに対しアナスタシアはどこか信じられないようなものを見る目で問う。


「……本当に、アレクセイアリョーシャなの……?」

「信じられないなら証拠を見せてあげようか」


 そう言って彼は胸元を晒して一つの首飾りを彼女に向かって見せつけるように差し出した。


「……そ、れは」

「父上が僕たち姉弟にプレゼントしてくれた首飾りだよ。これ、証明にならないかな」


 その首飾りは貴人が身に着けているような煌びやかなものではなく、実に質素な、木工細工のようであった。アナスタシアもそれに覚えがあるようで愛おしく光喜――いやアレクセイを見て、


「……じゃあ、本当に貴方は……」

「ふぅん、本当に気が付いてなかったんだ、あんた。まぁ、精神負荷ストレスのせいで髪の色変わっちゃったし、顔も半分焼けちゃったから仕方ないかも」


 彼はそう言って、「ああ、声も変わったでしょ? 喉が焼けたんだ」なんて屈託なく笑いながら。


「姉上に見捨てられたせいでね」

「——————————、」


 ひゅっと呼吸が詰まる音が確かに聞こえた。眼球は忙しなくあちらこちらに蠢いて、涙袋に雫を湛えて、それは今にも決壊してしまいそうだった。蘇らせてでも会いたかった家族。そんな家族から向けられたのは憎しみに満ちた眼差しと言葉。


「ずっと……名乗り出たかったよ姉上。僕はあんたずっと――殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて、仕方なかったんだ。アレクセイ・ニコラエヴィチ・ロマノフとしてあんたを――アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァをね 」


 憎しみと殺意。それを一身で受ける。アナスタシアは過呼吸で、ぼろぼろと涙を流して。でも、彼女はそれに対し、耳を塞ぐことなく歯を食いしばって聞き続けた。その憎悪も殺意も、全て呑み込み続けた。

 俺は、彼女の覚悟を微塵も理解していなかったらしい。



 死んだ家族を蘇生させる意味を。

 死んでいった家族と再会する意味を。

 一人生き残ってしまった自分がそれを行う意味を。



 今すぐ傍に行って抱きしめてやりたかった。震える手を握ってやりたかった。しかし、グレゴリー・ラスプーチンの手によって吹き飛ばされた俺の体はぴくりとも動いてはくれなかった。自分の女が涙を流しているというのに。


「でも、今は殺してあげないよ。あんたには然るべき場所を用意してあるらしいからさ」

「っ――っ――――っ――――――――?」


 遂に座り込んでしまった彼女を見下ろしながらアレクセイは言い放つ。



「第三層目においでよ。そこで決着をつけよう――逃げないでよね」



 残酷なくらい冷たい声音だった。同じ人間がこれほど冷たい声を発することができるものなのか、と疑問したくなった。そうして、背筋を冷や汗が伝った。


 ぐらり。視界が歪む。俺の目がおかしくなったんじゃない。空間そのものが歪んでいるのだ。

 気が付けば俺と瑞乃を囲う様に陣が敷かれていた。キザイア・メイスン。その女が見下ろしながらほくそ笑んでいる。一体俺達に何をしようとしている? そう疑問している間に俺が眼球しか動かせないことを良い事に彼女は恐怖の色に染まっている瑞乃の耳元でぼそぼそと何かを呟いた。


 “にゃる”がどうだの“ふたぐん”がどうだの不気味な言葉が漏れ聞こえる。この野郎、瑞乃にまた何をしてんだ……!!


 既に言葉も発せなくなっている己にとめどなく怒りが湧いた。なんでこんなとこで無様晒してんだ、俺は。



 羞恥と悔恨と憤激に打つ震えていると事態は更に動く。



 不意に浮遊感が訪れる。視界がさらに大きく歪み、崩れ落ちる。このどこかに落下していく感覚は覚えがあった。逢魔ヶ刻へ無理やり落下する時の感覚だ。


 待て。待ってくれ。ここを去る訳にはいかないんだ。俺は守らなきゃいけないんだ。アナスタシアを。瑞乃を。だから――


 そんな願いもむなしく落下は始まる。倉庫内の天井が異常なほど丸く歪み、そして――深紅の空に投げ出された。

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