第四章4 黄泉比良坂
――言われるがまま拠点の外に出ると東京駅の地下街に躍り出た。そこを携帯用のガス灯で照らしながら進む。
東京駅はあの日、俺とアンナが迷い込んだ時と変わらず何とも薄気味悪く、一度角を曲がれば大鬼やら“ショゴス”とかいう怪物に遭遇しそうで生きた心地がしなかった。
しかし意外にもそういった魔性の者と鉢合わせる事無く外に出ることが出来た。……まぁ、だからなんだという話でもあるが。
危険度という観点で見ればどこも大差がないし、ここの空気は常に澱んでいてスッキリすることも出来ない。
街並みに目を向けて見れば深紅の光に照らされて、真っ赤に燃え立つように聳える摩天楼がこちらを睥睨している。「ここはお前達のいていい場所ではない」とでも言いたげな様子だ。
暫くそのまま沈黙が続いた。前から後ろへ流れる街並みは深紅一色。目がおかしくなりそうだ、なんて考えていると不意に隊長が口を開く。
「少し前まで、俺は一人でここに降りていた。ここは大佐が信用した人間しか踏み入れる事が許されない地だからな。敷居が高い。そういう意味では四人――いや、五人も人手が増えたのは本当にありがたいと思っている」
「あの子に信頼されるような事、したつもりは無いけどなー」
等と光喜が口走った直後ゴツンとひどい音がした。視線を動かして見れば何ら驚くことは無い。頭を抑えて悶絶する光喜と拳を固く握りしめる宗一の姿だ。
仮にも上官である大佐にあの子、何て口走るから……。
「ったあああああ〜」
「言葉遣いに気を付けろ」
「ボクニホンゴワッカリマセェン」
「まだ足りないらしいな」
「あいったあああああ!!!? 宗一は悠雅よりも短気過ぎる!!」
「焼かれないだけマシと思え」
「ばーか、朴念仁、堅物」
「殴られ足りんらしいな?」
「おやめください宗一さん。その拳は殿方が年下に向けていいものではありませんよ?」
「そーだそーだ!! 雪乃の言う通りだ」
「こんのクソガキ……!!」
間に入った藤ノ宮の影に隠れる光喜に宗一は今にもブチ切れ寸前だ。ここまで来ると宗一も大人気なく見えてくる。とは言え光喜のクソガキ具合も中々だが。
「大佐は私を何でここに来させたんだろう?」
ぽつり、アンナがこぼす。
それもそうだろうな。この場において唯一、アンナの存在が一番浮いている。アンナは正真正銘の白人だ。外つ国と繋がりを持っていた所で何らおかしくはない。にも関わらず大佐殿は何ら躊躇すること無く彼女をここに送り付けた。
先程の隊長の話が本当なら外つ国の人間をここに入れる危険性などわかっているだろうに。
まぁ、それを言い出したら俺をここに送るのもどうか、という話にもなる訳だが。
軍規違反、命令違反、軍学校でも体術、異能以外の成績は中の下。にも関わず少尉のままだし、降格すらされていない。
普通ならとっくに殺されていてもおかしくない。
俺が、こいつの契約者になったからだろうか? 左手に書き込まれた呪印の奥に眠る鉄塊を思う。
『無くはない、とだけ言っておこう』
一蹴か。無体だな。
『事実だ。私を超える神器なぞそうはない。そんな私の主として選ばれたのだ。殺すことなどまず有り得ん。最悪でも監禁だろうな」
それは軍規違反をしてもか?
『その程度ならもみ消すだろう。それくらい神器使い――いや、私の契約者というものは貴重だ』
という事は、俺は担がれたのか。
『何があった?』
先日自害を命じられた。その顛末を伝えるとアマ公は笑いを必死で堪えるように。
『良くも悪くも単純過ぎるんだ、お前は。まぁ良いだろう。茶番に付き合ってやるが良い。少なくとも、お前があの白人の少女を見限るまではな』
そんなつもりは無い。そんな事は有り得ない。彼女は必ず生きていてもらう。それが俺の恩返しだ。
決意を新たにしていると辺りの景色が変わっている事に気が付いた。
皇都には神社がいくつか建立されている。この地が江戸と呼ばれる前からあるものから新しいものまで。今だって新たな神社が作られている。いずれ明治神宮と名付けられるはずのものが。
だが、しかし、これは何だ?
目の前に聳えるのは石造りの鳥居。それが幾つも、数え切れないほどに並んでいる。あの祠の地下に降りる階段や伏見稲荷大社の千本鳥居を彷彿とさせるがそういったものとは根本が違うように思える。
神聖さは欠片もなく、ただひたすらに邪悪で、圧倒的な狂気を垂れ流している。ただ、それが何かの神威、何かの祈りであることはわかった。
何だこれは? 何なのだこれは? こんなものは皇都にはなかった。
「この世界におけるただ一つの異物。そして、先代達が嘗て行ったという黄泉下りの入口。“
ここに、入るのか? と、思わず呻きそうになった。
ああ、今は取り繕っても仕方ない。俺は今、恐怖の余り、震えている。本能がこの場所から遠ざかりたいと訴えている。
遠くから、腹の底に響く鈍い音が聞こえてくる。巨大な何かが大地を踏みしめる音だ。
周囲を見回せば摩天楼の影から、巨大な牛の頭が現れる。
硝子玉の様な目玉がギョロギョロと蠢き視線が交差した。その瞬間、
「GUUUUUAAAAA!!!!!」
咆哮。同時にその全体像をさらけ出す。
牛の頭に昆虫の胴体。ずらりと並ぶ鋭い牙にはその某かを食らったのか肉片がこびりついている。
こいつは多くの伝承に残される怪物。
「牛鬼……!!」
人喰いの伝承も多く残されている妖怪。丸腰で挑んでいいものではないと判断した俺は即座に天之尾羽張を呼び出し祈り紡ごうしたが宗一がそれを制した。
「見学組は大人しく見ていろ」
宗一は腰に差した二振りの剣の内、軍刀ではない見慣れぬ剣を抜きはなった。
豪奢な意匠の鍔に刀身に彫り込まれた昇り龍。およそ実戦んでは使い物にならなそうな宝剣だ。しかし、その圧、その聖性には覚えがあった。間違いない、あれは神器だ。
「燃え尽きろ、この闇を
宗一は手にした神器に祈りを込める。
「私は光よりも輝き、光すらも焼き尽くす」
神器はどこまでも光り輝き、深紅の空を飲み込む。
「黒き仏よ、闇を齎す者よ、我が炎を恐れるが良い——鬼道発現‟百火燎爛”」
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