第四章3 逢魔ヶ刻 二

 逢魔ヶ刻。

 夕刻、黄昏たそがれ時を指す暗喩だ。大曲時おおまがりどき大禍時おおまがどきとも呼ばれるそれは古来よりこの国では昼と夜の境目である黄昏時には魔物が現れる時刻である。現世うつしよ幽世かくりよの世の境が薄くなり、繋がってしまう事で魔性の者達が現世に現れてしまう。と、そんな風に考えられて来た。


 だが、ここではそんな錯覚や想像が実像を以って歩き回っている。そういう意味ではこの世界は正に逢魔ヶ刻という言葉がぴったりな場所だと言える。跳梁跋扈ちょうりょうばっことする魔性、深紅に染まる大地。共通点は多い。この場所を逢魔ヶ刻と名付けた先駆者達はどうやら中々に良い趣味をしているらしい。


 東京駅の地下に構えられた拠点にはそんな先駆者達の残した証が幾つも点在している。例えば武器。古ぼけて、今や骨董品である火薬式の長銃や呪術による強度の底上げすらされていない純正の日本刀などがごろごろと転がっている。


 呪装銃や呪装軍刀が台頭を始めたのは戊辰戦争の頃だから少なくともそれよりも前という事になる訳か。


 はて、東京駅が作られたのは四年前だ。しかし、四年前であれば軍人は呪装銃を使っている筈。少なくとも火薬式の貧弱な銃なんぞ使っていないと思ったが。


「――さて、」


 奇妙な矛盾点に気付いた所で學隊長から声がかかる。一旦疑問は頭の片隅にでも置いておいて傾聴するとしよう。


「大佐から聞いていると思うが」


 彼はそう前置いて、


「我ら特戦科はこの魔界――逢魔ヶ刻の調査を行っている」


 言いつつ拠点の中心に置かれた円形の卓上に皇都の地図を広げる。

 宮城きゅうじょうから西に向かった所に一つ印が書き込まれている。辺りに建物が無く、妙に開けている為、すぐに思い当たる事が出来た。

 ここは先代の帝を祀った神社――明治神宮が建立こんりゅうされる予定になっている場所だ。しかし何でこんな場所に印をつけているんだろうか? ……一人で考えても詮無き事か。


「これまでの調査でわかっているのはこの異界の物質が外の物と余り変わりがない事、この世界の広さは外の世界とそう変わらない事、そして、我々に明確な殺意を持つ敵対勢力が確認されている事だ」

「“余り”とか“そう変わらない”という言葉を使うという事は違う部分があるという事で?」


 隊長は頷いて、


「この地の物質には外では存在が確認されてない未知の成分が含まれている」

「未知の成分?」

「ああ、未知だ。その存在は未だ解明されていない。海外の研究機関にも協力を仰げば多少はその実態がつかめるかもしれんが、そもそもここは他国には非公開の地だ。政府はこの地を新たな資源採掘場にしようと考えているからな。日本列島と同等以上の質量世界とそこに手付かずの資源が存在している。場所を簡単に手放す程政府は博愛主義者ではない」

「……待って、この国と同等の質量ですって⁉」


 一瞬言葉を失ったアンナはギョッとしたように目を見開く。そうだろうとも、俺だってちょっと驚いた。日本列島と同等の質量の創造。どんな異能、どんな術でもそんなことは不可能な筈だ。

 どんなものにも必ず等価交換の法則が付きまとう。国を創造したければ同等の価値を持つものが必要とされる。それこそ、国そのもの、とか。


「国と同等の質量なんてどうやって測量したのよ?」

「そこは先代達が調べ上げている。と言っても確認済なのは本州だけ。目測で九州、四国、蝦夷の存在を確認している。過半数目測とはいえ、そこまで調べれば、ほぼ日本国と同等の面積があるだろう、というのが我々の見解だ」

「………、」


 今度こそ彼女は言葉を失った。俺もただでさえ半信半疑だったというのにそんなことを大真面目に語る男を前に発する言葉を図りかねている。まだ、嘘だと思う方が現実的に思えるのだから仕方ない。


「ここは一体何なんだ……?」


 語彙力もへったくれもないその言葉にすべてが集約されていると言っても過言ではなかった。


「それを調べるのも私たちの役目ですよ深凪様」


 藤ノ宮その言葉を聞いて、俺は思わずある言葉をよぎらせる。


 “触らぬ神に祟りなし”。


 自分達が、一体何に挑もうとしているのか。


『臆しているのか、悠雅?』


 僅かに挑発的な意思を滲ませるアマ公の言葉に思わず拳に力が入る。

 馬鹿な。臆するだと? それがどうした。それが俺が剣を手放す理由にはならない。俺がこの国の剣になる事を諦める理由にはならない。


『それでこそ私が選んだ契約者なだけはある』


 アマ公はすこし笑ったように、『それに』と付け加えて、


『神が神を恐れるなど馬鹿げているにもほどがあるだろう』


 神。神ね。どこか現実味の無い話であるがアマ公は事あるごとに俺を神、現人神であるという。


『今はまだ、自覚が足りないのは大目に見るが、お前は人ではなく神である。いずれそこはきちんと自覚を持ってもらう』


 人として戦うのはダメなのだ。アマ公の言葉はさもそう言いたげに聞こえる。


『そうだとも。神は人よりも遥かに人を救う事ができるのだ。救世の為の存在なのだ。お前が人を救いたくないというのなら、人間として戦っていけば良い』


 ……人として戦って、救い、守るのではだめなのだろうか? 正直俺は神として奇跡をもたらしたり、導きを示したりできる気がしないんだがなぁ。


「——本来ならば大規模な調査部隊を送り、本格的な地質調査や生体調査をもう始めたい所なのだが、現状それは不可能な域にある」

「怪物ども、ですか?」

「そうだ。我々は更なる調査の為にこの地の魔性を鎮圧しなければならない」

「つまり、調査よりも今は怪物共の掃討の方に重きを置いているという事です?」


 隊長は肯定すると続いて一冊の紙の束を地図上に置いて見せた。その内の一枚を手に取るとあのコールタールの怪物、“ショゴス”についての説明書きが為されていた。


 他にも狗神グール、大鬼などアンナと彷徨っていた時に遭遇した化け物共の詳細な情報が載っている。他にも見た事のない怪物共についての情報もある。成る程、この情報量はこの土地の地質やら生体やらの情報より遥かに充実している。


「確認されているだけでも三十五種類。しかし、これはまだほんの一部に過ぎん。未だ油断できない土地だ」


 隊長は「その上で」と付け加え、


「我々は、極大の敵に挑まねばならない」


 そう言って隊長は明治神宮建立予定地に指を向ける。


「ここに何かあるって事ですか?」

「そうだな、百聞は一見に如かずと言うし辺りの敵をなぎ払いながら、かの場所に向かうとしよう」


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