第二章14 英雄との会談 二
「……………………はぁ?」
大分間があったな。沈黙の長さがそのまま混乱の度合いの深さを物語っている。まぁ、そういう反応になるよな。荒唐無稽過ぎて呆けてしまう。
爺さんから説明を求める視線が飛んでくる。だが、それは俺に求める事ではない。
「冗談を聞く暇はないんだがなぁ……」
「冗談を言ったつもりは毛頭ありません」
きっぱりと否定する様子に流石の爺さんも困った様子。
「本気で言っているのか?」
「本気で無ければここにいない。私の事を調べたのでしょう? 私の決意の程、わからぬ貴方ではないでしょう」
爺さんは僅かに唸り、腕を組んだ。
「決意の程は理解した。求めんとするものも概ね察せられた。だが、その上で敢えて言わせて頂こう。貴女のその願いは理を超えた所にある。そして、それは――貴女以外の者達が選んできた選択、決意を踏みにじる行為だという事を理解しておられるか?」
「…………、」
答えはない。しかし、聡明な彼女の事だ。その問いに対する理解はきちんとしているだろう。答えないのは、そう、自身の願いに何よりも重きを置いてるから。
「私は貴女を軽蔑する。それは貴女が――貴女達が最もしてはいけない事の一つだ。ましてや貴方は……いやこれ以上は止そう」
「誹りは甘んじて受けます。報いも、いずれきっと。それでも、」
「それでも尚、己を曲げぬか」
アンナは無言で首肯した。
「……わかった。見逃してやるとしよう。御身にあれを御し切れるか知れぬがな」
爺さんはもう聞くことも言うことも無くなったのか立ち上がると、
「外はもう暗い。今日はここに泊まって行きなさい。悠雅、今日は外で食べてくる。夕飯は二人で食べなさい」
なんて、言い残して居間を出ていってしまった。
「俺はちょっとジジイに個人的な話があるからちょっと待っててくれ。落ち着いたら羊羹食ってみろ。旨いぞ」
それだけ伝え、ジジイを追って外に駆け出す。
「ちょっ、待てよジジイ!」
「何だ?」
「俺も話がある」
「何かあったのか?」
「……俺、軍に正式に入隊することになった」
「知っておるよ。特務機関、第八分室、神祇特別戦技科、だろう?」
「東御大佐殿に聞いたのか」
「まぁ、それだけでも無いのだが概ねそうだな」
「それでさ、俺、寮住まいになるんだ」
「……そうか、だからか」
爺さんは何か得心したように頷いた。
「急に間宮の当主が訪ねてきたのはそういうことだったか。お前も宗一も心配症というかお節介というか」
「ジジイだって歳だろ。まだ情けないけどさ、心配くらいしたって良いだろ」
ずっと世話になって来たんだ。爺さんには穏やかに過ごして欲しいと思うのは当然だろう。
「お前に心配される程老いぼれてないわ。……だが、まぁ、なんだ、ありがとうな悠雅」
爺さんは俺の襟首を引っ掴んで無理矢理頭を下げさせると乱暴に頭を撫で付けてくれた。
「やめてくれって! 外なんだから」
「どうした? 恥ずかしいのか? ん?」
「そうだよ恥ずかしいんだよ!」
こんだけでかい男が頭を撫でつけられていたら奇異の目で見られかねん。
爺さんの手を振りほどき離れた俺の前には先ほどまで殺気立っていた老剣士が嘘のように朗らかな笑みを浮かべていた。
「明日の朝には戻る」
「……りょうかい」
爺さんはヘラヘラと笑いながら夜闇に溶けていった。
目が見えないからって提灯も垂らさないで夜道を歩いたらまた亡霊扱いされるぞ。
ちょこん。家に戻るとアンナは一人座していた。羊羹とお茶に手を付けられた様子はない。
「お茶冷めちまってるぞ……」
「ごめんなさい。そういう気分になれなかったの」
「そうか」
「私の願いは……そんなにおかしな事なのかしら?」
「……どうなんだろうな」
彼女の問いに対して、俺は正しく解答できる自信が無かった。間違っているのは誰だって分かる。死んだら一方通行。戻って来てはいけない。それがこの世の理だし、人としてその倫理を遵守し、呑まねばならない。仮にその理を破る方法があったとしても。
だが、人にそれぞれ個性があるように呑める悲劇にも許容量がある。それを超えてしまった人がその方法に縋り付く事は悪なのか? 唾棄すべき悪なのか?
……単純に善悪で割り切れる話でもないか。
「……やっぱり、私行くわ」
彼女はスッと立ち上がって、袴の皺を伸ばすとこちらに向かって薄く笑んだ。
「おじいさん――御陵幸史氏と引き合わせてくれてありがとう。一先ず、私の願いに一歩近づけたわ」
「外、もう暗いぞ。野郎と一つ屋根の下ってのが気になるのはわかるがこんな暗いのに一人で出歩かせるわけには行かねえよ」
「大丈夫よ。知ってるでしょ? 私結構強いんだから!!」
そう言って彼女は細腕を見せ付ける。ちっとも強そうには見えないがこいつも現人神。細腕とは思えない程の膂力を秘めている。しかしながら女を一人、暗がりの中に放り出すというのは受け止めがたい。日本男児の沽券に関わる。
「わかった。ホテルまで送っていく」
「あら、優しいのね? でも繁華街まででいいわよ? 繁華街は明るいし」
「そういう問題じゃねえ」
相変わらずこの女は自分の事となると頓着しなくなる。
「お前みたいな綺麗所が夜の繁華街ブラついてたら攫われるだろ」
「は、はぁ!?」
彼女は酷く頬を紅潮させ、狼狽えた様子。さっきまで視線を合わせて喋っていたというのに彼女の眼球は忙しなく動き回り、あちらこちらに視線を飛ばしている。
そう大袈裟に反応されるとこちらまで恥ずかしくなるからやめていただきたい所だ。
「とかく、ホテル行くんだろ? 飛び込みで部屋を取るんだ。急ぐぞ」
「わかってるわよ偉そーに!」
「そりゃ悪うござんした。じゃあお急ぎ下さいアンナさん」
「ぐぬぬ、悠雅のばーか!!」
「ガキかよ……」
「ガキで悪かったわね!! これでも十七よ!!」
「はいはい悪かったよ。とっとと行くぞ――っと、その前に、」
外に出る前に仏間に向かう。線香を消していかないと、だ。冬は空気が乾燥して火事になりやすい季節。火の元は根絶するに限る。
「――不思議な香りね」
後ろから付いてきていたアンナが線香の香りを物珍し気に嗅いでいた。
「ここは何の部屋なの?」
「仏間――あー、簡易の墓みたいなもんだ」
「礼拝室ではなくて?」
そう言われて、確かに祈ったり拝んだりする場でもあるな、とも思ったが、やはり、
「いや、どちらかと言えば墓の方が近い気がする」
墓所に納骨はしたが、それでも仏となった両親はここに居る様な気がするのだ。もちろんそれは観念的な考えで、人によっては礼拝室だと考える人もいるだろうし、その考えを否定するつもりは無い。
「この写真、貴方の家族のもの?」
仏間の一角に置かれた真新しい写真にアンナはしげしげと視線を送っている。
「そうだ」
「貴方のお父様も軍人だったのね」
「ああ、露西亜との戦争に行ってそれきりだ」
この写真は出兵直前に撮った、たった一枚きりの家族写真。朧気になりそうだった両親との絆を繋いでくれる思い出深い遺品だ。
「…………………そう、」
何か、含んだように、か細い声で頷く。こいつも家族を失っているからか、何か思う所があるのだろう。
それから、ややあってから俺は線香の火を吹き消した。
「俺とお前の考え方は違う。今までで散々確認し合ったはずだ。だから、お前がおかしい、なんて事は無い」
「何よそれ、慰めてるつもり?」
「別に。答えは一つじゃねえって言いてえだけだ」
踵を返し、今度こそ玄関へと向かう。「ちょっと、待ちなさいよ!!」なんて叫び声を背中で受けて。
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