第二章15 闇夜の襲撃者 一

 満天の星空とはこの事を言うのだろう。冬の澄み切った空にいくつもの宝石を散りばめたような光景。光の弱いものから強いものまで、白だけではなく赤や青、黄と薄く色づいているものまであり、それぞれがチカチカと自己主張している。鋭く尖った月は孤を描いて宝物を守る剣みたいだ。

 寒風に煽られて提灯が揺れる。


「寒くないか?」

「大丈夫よ。私の故郷の雪風に比べれば穏やかな春風のような物よ」


 どんだけ寒い所に住んでたんだこいつは。そう言えば爺さんが欧州の北方の国々は凄く寒い地域だと言っていたな。

 北欧と言えば鮭料理が有名だったな。鮭は日本でも一般的な食材だ。爺さんも気に入るかもしれない。


「悠雅」

「どうした?」

「まだ、お礼を言ってなかったと思って。さっきはありがとう、貴方が割って入ってくれなかったら私、首を刎ねられてた」

「俺はあんたにまだ借りを返してない。死なれたら困る」

「貴方は十分に返してくれた。それにそれを言ったら私だって助けられてる。これ以上は良くされたら私は貴方に借りを返せなくなってしまうわ」

「そう言ってもな。俺はお前が無事この国を出て故郷に帰るのを見届けるまでが恩返しだと思ってる」

「……私は、この国に戦いを挑むかもしれないのよ? アンタこの国の軍人でしょ? アンタはむしろ私を捕えなきゃいけない筈」

「それとこれとは話が別だ」

「別じゃないわ。アンタのおじいさんの反応を見たでしょう!?」

「それでも別だよ。お前を殺させない。お前を必ず生きて故郷に返す」

「……強情ね」

「お前がこの国に牙を剥かない限り俺はアンナの味方であり続ける」

「矛盾って言葉を知らないの? 貴方の国の言葉でしょ?」

「矛盾してないよ。敵になる前に故郷に返してみせる」

「……私が魔導書でこの国に仇なすとは思わないの?」

「お前はしない」


 そもそもそんなことを考えているような輩だったら既に俺はこちらに戻って来る前に野垂れ死んでいる筈だ。確かにまだまだ全幅の信頼を置いている訳ではない。しかし、それでも、俺は彼女を――


「なんでそう言いきれるの? 嘘を付いているとは思わないの?」

「なんで? ……そうだな、きっとそう信じたいからだろ」


 こいつの祈りはあんなにも綺麗な祈りだったから。実際に言ったら笑われそうだけどな。


「信じたい、ね。喜んでいいのか、よくわからないわね」


 コロコロと笑って、でも少し嬉しそうに、彼女は目を細める。提灯の明かりに照らされた彼女の顔は昼間のものとは少し違って、美しさの中に色気とでも言うのか、酷く扇情的だ。


「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」

「なんでもねーよ」

「嘘。食い入るように見てたじゃない」

「自意識過剰だっての」

「絶対見てたのに」


 口を尖らせる彼女。美麗な花のかんばせとは裏腹に彼女のその仕草は余りにも子供っぽい。


「はいはい、それよりもどこのホテルに入るんだ?」

「あ、話逸らした」

「喧しい。そろそろ都市部だから方針決めてくれ」


 ホテルと言っても一件や二件ではない。その上宿泊施設という括りなら百を超える。それもそこらかしこに。


「貴方のおすすめは?」

「知らん。ホテルなんか使わない」


 そもそも皇都に住んでいるのだから宿なんかとったことが無い。


「それもそうね。仕方ないから昼間までいた所にしようかしら」

「なら、東京駅の方か」

「東京駅……」


 寒空に溶ける声は、どこか不安気だ。それもそうか、三日ほど前に(俺にとってはつい昨日の事の様に感じるが)あんな世界に放り込まれ、怪異蔓延はびこる東京駅で命を落としかけたのだ。多少不安にもなるか。


「ねぇ」

「なんだ?」

「あの世界何だったんだろうね? あの小さな上官さんから聞いてないの?」

「俺も詳しい事は聞けてない。ただ、あれは、魔界だと」


 実際には逢魔ヶ刻おうまがどきと言っていたが、こいつにはこちらの方が伝わりやすいだろう。


魔界ゲヘナですって!? ……ああ、でも、あの世界の光景は正しく魔界と言えたわね」


 げ、げへ? げへへ? 何笑ってんだ? 相変わらず向こうの言葉は聞き取りづらい。


「……でも、なんで魔界に落ちたのかしら? ダンテの神曲じゃあるまいし」

「そのなんとかの神曲ってのはよく知らないが、この国はどうも魔界への穴が開きやすいらしい」

「なんでよ?」

「知らねぇよ。詳しく聞いてないって言ったろ?」

「そうだったわね。でも開きやすいって言うならもっと公になっていてもおかしくないんじゃないかしら? 偶然出会った貴方と私がなんで落ちたのかしら? なんで私達の居場所に穴が開いたのかしら?」

「偶然じゃないか?」

「うーん、それにしては出来すぎてる気がするのよね」


 唸る彼女は何やらぶつぶつとあーでもない、こーでもないとあれこれ考察しているが正直何を言っているのかわからなかった。きっと藤ノ宮や光喜ならわかるんだろうが、残念ながら俺にはあいつらみたいな学はない。


「――あ?」


 繁華街に入った時のことだった。瞬きをした瞬間、街の明かりが一斉に消えた。眠らない街と化していた皇都の明かりが一斉に落ちたのだ。

 出歩いていた住民たちも一瞬にして闇に落とされた事で不安の声を上げていた。

 明かりは一つ。俺が持っている提灯一つ。


「兄さんちょいと明かりをおくれよ」

「ああ」


 明かりの中に初老くらいの男が入ってきた。


「ガス管に穴でも空いたかね」


 それはないだろう。それだけだったらここら一帯の明かりが落ちるくらいで終わる。それならば大通りの先の方のガス灯が点灯しているはず。ならばそうなると、ありえそうなのはガスの供給施設に何かがあったという事。ならば事故か、または事件か。


「軍人さん俺にも明かりをくれ」


 一度許すとこうなってしまう訳か、そう内心思いつつ明かりに入れてやると釣られて周りにいた他の人間もぞろぞろと寄ってくるのがわかった。余り多くの人間に寄り付かれたくない。暗がりだというのもあるが、空気が、妙だ。



 ――既に、この時点で俺達は連中の術中に嵌っていたのだろう。そう気づいた時には、それは既に俺たちの懐に立っていた。



 生暖かい物が頬に跳ねた。鉄臭くて、どこか生臭い感じ。ああ、これは俺が良く知る物だ。明かりに入ってきた男の、首が宙に舞う。

 咄嗟にアンナの手を掴む。しかし、


「ゆう、が―――!!」


 俺の手はアンナの手を握る事なく空を切る。

 一歩どころか二歩も三歩も、それ以上に出遅れていた。軍刀へ手をかけるよりも早く俺の体は人垣の外へと吹き飛ばされた。アンナの叫び声が酷く遠くに聞こえた。


 やられた。


 一体どこの人間かはわからない。だが、一つわかることがある。


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