第二章13 英雄との会談 一

「来たか」


 居間には既に爺さんが腕を組んで待っていた。

 テーブルと椅子ではなく座布団と卓袱台ちゃぶだいの会談場所というものに慣れていないらしく、やや狼狽しているアンナに座るよう促す。その後、


 湯を沸かしに厨へ向かう。

 五徳の上に南部鉄器という歪な光景を後に、俺は居間で行われている会話に耳を傾ける。


「――さて、先ずはうちの悠雅が世話になったようで、謝辞を述べさせてもらうとしよう。有難うアンナ・アンダーソン殿」


 口火を切ったのは爺さんの方だった。しかもどうやって調べたのか、自己紹介すらしていない連れてきたばかりの彼女の名前を呼んで。


「調べはついているようで」

「何、失礼が無いように御身について調べさせていただいただけですよ」


 互いに零距離で威嚇射撃をしている様な会話に胃痛がしてくる思いだった。しかし、妙な言い回しだな。わざわざだなんて言うなんて。その身が尊ばれる方なのか、はたまた単なる皮肉か。後者だとは思うものの、妙に頭が良いというか、博識というか。白人とは言え、ただの平民とは思えない。かと言って軍人という風にも見えない。だが令嬢という風にも思えぬ。彼女の言動は余りに粗野に過ぎるし、


 そうなってくるといよいよわからなくなってくる。そして、命を救われた、とはいえ家に上げるとは些か軽率過ぎただろうか?


「……いや、」


 ぽつり零して頭降る。

 彼女の素性は知らない。しかし、俺は彼女の真摯な願いを知っている。そして、あの尊い祈りを知っている。言葉の上ではどうであれ、祈りは嘘をつけないのだから。


「元陸軍大将の名は伊達では無いようですね。では、自己紹介は省いて本題と参りましょうか」

「今から話してもよろしいので? このままではうちの馬鹿弟子に丸聞こえになるが?」

「彼は私の目的を知っていますので」

「ほう……」


 感情の色が見えない返答だった。それだけに空気が冷え込んだ気がした。


「悠雅」


 短く、呼ぶ声。


「なんだ?」

「本当か?」

「本当だよ」

「そうか」


 短い言葉のやり取りを終え、爺さんは改めてアンナに向き直った。それもひどく呆れた様子で。


「大層あれを信用しているのだな。あれもかなりの阿呆だが、貴女も大概だ」

「彼は私の命の恩人ですので。最低限の誠意としてお伝えしました。この国に敵対するつもりは無いと」

「その温情が悠雅にのみ通じるものでしかないと知った上で来たというのか」

「それでも私には成し遂げなければならない事がある」


 引くつもりは無いという意思表示。

 わかってはいたが以後、余り良い予感はしない。と、背にしていた南部鉄器からかちゃかちゃと蓋が揺れる音が聞こえて来る。注ぎ口から湯気が立ち上っている。


 さっと茶器に緑茶を淹れ、羊羹を切り分ける。その間声は聞こえず、空気が悪い方向へと流れているのが肌で感じ取れた。


「俺が言うのもなんだがピリピリするのが早いだろ。羊羹ようかんでも食って落ち着けよ」

「どこの羊羹だ?」


 とは爺さんの質問だ。相変わらず甘いものに目が無いようで、殺気立っていたのが嘘のようにちらちらと目の前に鎮座する一切れの羊羹に視線を落としている。


「あんたの好きな中村屋だよ」


 創業十七年とまだ歴史は浅いが大変美味いと評判の店だ。「ほう」、と頬を緩ませた爺さんは早速お気に入りの羊羹を頬張った。ピリピリとした空気はある程度払拭されたであろうか? しかし、余りそう隙を見せるのもどうかと思うんだがなぁ。ほら、アンナが逆に余計にピリピリしだした。


「アンナも食っていいぞ。日本の甘味だ。こっちは日本茶。最初はかなり渋く苦いと感じると思うが、旨いもんだ」

「私は後で頂くわ」


 彼女はそう言って羊羹には手を付けなかった。もちろんお茶にもだ。彼女はただずっと、正面で胡座をかく老人が羊羹を食し終わるのをじっと待っていた。


「そう睨まれたままではゆっくり味わうことも出来ん」

「早く食べていただきたいですから」


 爺さんはアンナの厳しい返答に小さく息をついて、最後の一欠片を呑み込むといざ向き直った。


「さて、それではその本題を聞かせていただこうか」

「私はこの国の地下に眠るさる聖遺物、引いてはその聖遺物に記されたとある外法を求めにやってきました」

「聖遺物、か。この国ではそれを神器と呼び、或いは御物として皇室に召し上げ、国宝として扱い、或いは神格が握る決戦兵器として振るわれる物なのだが……それをわかって言っているのか?」

「いえ、私が求める物は御物にはなっていないはずです。それは神聖なものでは無いと聞き及んでおります故」

「それは詰まり、妖刀や魔剣といった所謂いわゆる呪物指定されたものであるということか」

「然り」


 アンナ頷く。


「その名を‟妙法蟲聲經みょうほうちゅうせいきょう”——通称‟八色雷鳴やくさのらいめい”」


 瞬間、音が失せた。

 間一髪、俺はアンナを押し退け爺さんとの間に体を滑り込ませた。動くのが分かっていたからこそできた事だった。


 刹那の斬光。


 吹き出る冷や汗が頬を伝った。秒遅ければアンナは今頃頭と胴体が分かたれていたと確信した故に。そんな俺の行動を突き飛ばされたアンナは咎めることなく爺さん向かって続ける。


「嘗てアラビアで書かれた窮極の魔導書。‟アル・アジフ”‼ 千年前、日本に写本に紛れ、名を変えて流れ着いたその原点を私は欲する‼」

「……退けい、悠雅。その少女は斬らねばならん」

「待ってくれ爺さん!! アンナが何を言ってるのか知らんがそれは待ってくれ」


 ぎらつく刀の刃は今にも俺ごとアンナを斬りかねない程の殺意を帯びていた。普段の俺だったら確実に硬直しているであろう密度の殺意を。


「わからないのなら口を出すな。そこを退きなさい悠雅」

「頼む、話を聞いてくれ」

「退け」

「嫌だ。俺はこいつに借りがある!! こいつの事は最低限の命の保証をしてやらなきゃならない!!」

「だったら失策だったな悠雅。それなら一刻も早く故国に帰してやるべきだった。


 つまり、このアンナという少女は知ってはならない事を知っていることに他ならないという事か。俺には彼女が口走った単語について何一つ理解が及んでいないが。

 爺さんのこの反応は相当やばいもののようだ。しかし、だからとて彼女を殺させるわけにはいかない。


「最後通告だ。悠雅、そこを退きなさい」

「退かない」


 細く弧を描く目が薄く開かれる。全身の毛穴という毛穴が屹立する。奥歯ががちがちと音たてるのを力任せに噛みしめる。

 初めての感覚だった。格上過ぎる存在が相手だと、戦意すら浮かばないらしい。


 どれだけ視線を激突させていただろう。実際には数分と経っていない筈なのに、永遠にも感じられた。


「はぁ……」


 やがて、爺さんが大きく溜め息を零した。


「もう良い、好きにしろ。だが、悠雅、途中で投げるなよ?」

「わかった」


 俺が頷くのを見てから、爺さんはアンナに顔を向けて、


「アンナ殿、八色雷鳴に何を求めるつもりだ? 興味本位ならばやめておけ。あれは人ひとりくらいなら容易く喰らい尽くすぞ」

「私は彼の魔導書に人体蘇生の法を求めに来たのです」

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