序章6 竹馬の友 二

「……悠雅」

「なんだよ?」

「俺はお前に付き合うよ」

「なんだそりゃ?」


 堅物な宗一は僅かに口元を緩めて、


「お前の道は俺の道でもあるってことだ」

「馬鹿を言うなよ。俺の道は俺の物だし、お前の道はお前の道だろ」

「そうだな。お前ならそう言うだろうと思ったよ」


 言いたいことはわかるし、俺はこいつの願いも、祈りも知っている。とはいえ、こいつにはこいつ自身が歩まねばならない道があるのだ。時折、こいつはそれを失念している節があり、俺はそれがどうにも気になるのだった。

 そんなことを考えている内に彼はずんずんと先に行ってしまった。


「待てよ!」


 薄情者め。心中にて悪態を吐く。


「——んで、今朝遅いのはなんでだ? 寝坊でもしたのかよ?」

「お前と一緒にするな戯け」

「お前の方こそ戯けだよタコ。俺が遅刻する時は大体ジジイの我儘聞いてやってるからだっての」


 主に朝食のおかずを一品増やしたりとかな。俺が食卓に着いてからぼそっと「~~が食いたい」とか言い出すのは本当にやめて欲しい。流石に殺意が湧く。

 今朝の姉ちゃんみたいに魚が嫌いだから肉に変えろといった献立を根本から台無しにしてくるようなものではないが、献立を見ながら‟目玉焼きが食べたい”だの、‟浅漬けが食べたい”だの、

 ぼそぼそと言ってくる訳だ。しかも、それを無視して作らないでいると今度は一日中ヘソを曲げてくださるから驚きである。本当に大人か? と問い詰めたくなったのは言うまでもない事であるが宗一は尚も眉根をひそめ続けている。


「あのな悠雅、師匠せんせいの事をジジイと呼ぶのをやめろと何度言わせるつもりだ?」

「本当に今更だな」


 それを矯正させるには十年遅い。


「悠雅。お前はあの方の偉大さを今一度知るべきだ」

「宗一はあのジジイを神格化し過ぎなんだよ」


 爺さんがすごいのは俺だって知ってる。腕っぷしのみで陸軍の大将にまで上り詰めた実力。そして、何よりもその剣技、推して知るべし。

 先も述べたが爺さんの弟子の中で爺さんから一本取れるのは姉ちゃんだけだ。詰まる所、俺も宗一も未だに爺さんから一本も取れていない訳で。

 反面、あの男の普段の行動や言動を見ていると……やっぱり、ジジイ、といった感じな訳で。


「それで、お前は何でこんな遅くに? いい加減答えろよ」


 再度問うと宗一は鋭く睨んでいた眼光を潜ませて、わずかに狼狽えた。質実剛健を常としている宗一にしては珍しい反応だな、なんて思っていると、排煙撒き散らす大きな蒸気自動車が路端に横付けされた。

 黒く光り、てかてかとした質感が正月の食卓を彩るお重を思わせる。そんな風に考える自分自身に所帯染みさを感じる。


「———、」


 僅かに、後ろから息を呑む音が聞こえた。

 それから余り間が置かれることなく、車の戸が開け放たれる。

 そして、俺はそこでようやく、宗一が通学を一時間も遅くした理由に気づいた。


「——ごきげんよう、深凪様。それと、宗一さんも」


 白磁のような肌を厳めしい軍服で隠した黒い髪の美しい少女。

 車から石畳の車道に降りるという極めて普通の所作にすら花が咲き誇る様を想像させる程に美しい君。


 【藤ノ宮雪乃ふじのみやゆきの】という少女は控えめに言っても美女と呼べる人物だった。


「よう、藤ノ宮」

「……おはよう、雪乃」


 宗一は藤ノ宮の方へと視線を向けているようでどこか遠くを見ながら挨拶をしている。

 昔からの恒例行事ではあるものの、やはりその歪つに組み上がった関係性に嘆息を吐きたくなった。

 藤ノ宮もジジイの弟子で、つまりは俺と宗一とは同門で互いに幼い頃から知っている腐れ縁になるわけなのだが、その頃からこのような調子なのだ。


「難儀な奴だな」

「それは宗一さんに言っているのですか? それとも私に言っているのですか?」


 一人ごちると藤ノ宮は目敏く、いや耳敏く俺の独り言を拾ってくださる。真にめんどくさい。


「そうい……いや、お前ら二人にだな」


 そのはっきりしない態度を一体何年続けるつもりなのか? と言ってやりたい。

 ……まぁ、伊達に長くこの二人とはつるんでいない。理由は概ね察せられるし、本人たちが一番四苦八苦しているのも知っている。

 だから、こうして早朝の逢瀬なんていう拙い努力をしているのだろうし。


「邪魔したな。俺は先に行くわ」

「あら、なぜです?」

「馬に蹴られたくねぇからだよ」


 薄く笑む藤ノ宮に言い捨てて、その場を離れる。二人とは幼い頃からの腐れ縁だ。並んで登校したいと思う気持ちも無いわけではないが俺は想い人同士の逢瀬の邪魔するほど空気の読めない人間ではない。

 藤ノ宮雪乃という女は土御門家と共にこの皇都ならびに聖上を守護する呪術師の大家、藤ノ宮家の血筋だ。

 呪術の技量は歴代随一、既に皇都の守り手となる事が宿命付けられている為、ある意味では、貴族よりもその身が貴ばれる。だから、つがいとなる相手も簡単に選ぶ事ができない訳で。

 間宮家ならば問題なく釣り合いが取れるし、藤ノ宮家は実際に雪乃の相手に間宮の男を指名した。それで、、なんていう都合の良い展開があれば良かったのだが。


「……ああ、だから、ままならないよな本当に」


 ぼやくようにごちて、腐れ縁二人の顔を改めて思い浮かべる。

 雪乃という少女には既に番いとなるべき男がいて、その男が他ならぬ宗一の兄だというのだから、本当にままならない。

 宗一は質実剛健を貫く男。同時に堅物の権化とも言える。そんな男が兄の許嫁に恋慕しているという状況自体、宗一的には辛い部分がある。だから、藤ノ宮に対してあんな中途半端な対応をしている。藤ノ宮もそんな宗一に気を遣っている、といった具合。

 運が悪い、と一言で片づけるには少しばかり不憫か。別に修哉しゅうや兄さんが悪い奴って訳じゃないんだけどな……。

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