第3話 その街の名前は
「――れ。これ、坊や起きなさい」
眠っていた弥の身体は優しく揺さぶられていた。
「う……ん?」
ゆっくりと双眸を開き、未だ視野の暗い寝ぼけ眼を擦る弥。ピントの合わない景色には初老の車掌か駅長みたいな人がいた。
「……おじさんだれですか?」
「私はこの駅の駅長だよ。ここは終点、これからこの電車は車庫に向かって回送になるから車内を点検しにきた。そしたら君が眠っていたから起こしたんだよ」
まだうまく頭が回らない弥に初老の駅長さんが温かく答えてくれた。
「……終点?」
「そう、終点」
「……」
そこでようやく弥は状況が呑み込めて、慌てて左右を見る。
「寝過ごしてた……!」
頭を抱え、うんざりため息をつく弥。
「坊や大丈夫かい? まぁとりあえずおりなさい」
「あ、はい」
弥は素直に従って駅のホームへと降りた。
ホームに降りた家出少年を出迎えてくれたのは、そよ風に乗る潮と酸味が強そうな柑橘系の酸っぱい薫りだった。
潮風が香るというのは海が近いのだろうか? 弥は思いっきり深呼吸する。潮風に混ざる柑橘系の薫りが気になってホームを見回してみると、隅の方にオレンジみたいな木の実が生えた木がある。興味津々な弥が近づいて木の実を見てみると、そこには『街の特産品・カボンの実』という立て札が刺さっていた。
(……へぇ。これが特産品なのか)
弥くん、あちこちの角度から見ては観察を続けている。
「坊や、次の電車待ちかい?」
そんな彼に駅長さんが優しく問いかけてくる。
「いえ……僕はこの駅で大丈夫です」
「それなら改札口はあっちになるから行きなさい」
駅長さんは改札口へと続く階段を指さした。青色の、塗装がちょっぴり剥げ落ちた、年季を感じる連絡階段だ。
「はい、ありがとうございます」
弥はそう答えて、改札口へと向かう。軽快に連絡階段を登り連絡通路を渡っているその時に、緑の海が飛び込んできた。
「樹海だぁ……!」
吹き抜ける風を心地良さげに全身に受けながら弥は細めた双眸を開く。そう、駅の奥には広大な樹海が広がっていたのである。潮風の香る本物の海と活力溢れる大木の樹海を一緒に堪能できるとは……! 温泉地にも行ってみたかったがこれはこれで悪くない。ここで降りて正解だったかも♪ 早足が駆け足に変わり弥はさらにご機嫌になってゆく。早く出ようと改札口で交通電子カードを出して当てた。ビーっというブザー音が鳴る。どうやら乗ってきた駅からはチャージ金額が足りていないみたいだ。
「坊や、貸してみなさい」
振り返ったら駅長さんがいた。あ、はいと弥は素直に手渡す。駅長さんは部屋の中に入るとコンピューターを操作する。
「千リークぐらい足りないみたいじゃの。坊や、チャージしてくれないかい?」
「判りました」
弥は千リーク紙幣を駅長さんに手渡した。
「○○駅から来たのかい? 大分遠くから来たんだね?」
「はい、えらいこと遠くから来ちゃいました」
「……今日は旅行かい?」
「えぇ。してみたかった一人旅ですよ♪
――! あれは何ですか?!」
精算中の世間話、その途中で、弥の双眸が駅前ロータリーの中央に吸い寄せられてゆく。
「あぁ、あれはこの街の守護神――土着神さまの石像じゃよ。ほれもう終わり。いってらっしゃい」
交通電子カードを手渡しつつ、駅長さんは笑顔でお見送り。くしゃくしゃの
「はい、ありがとうございました‼」
弥も元気にご挨拶して、駅の入り口を飛び出し――その瞬間何故か『パチッ!』という静電気みたいな音がした。
「……?」
一瞬止まり、疑問符を浮かべながら全身を見回す弥。彼は気づかなかったが駅長さんが険しい顔でちらりと見ていた。
まぁいいやと弥は駆け足で飛び出して近寄り石像を見上げ、
「う、わ……綺麗なお狐さまだなぁ……!」
素直に感激する。
目の前にある狐の石像。それは九本の長い尻尾に壮麗な銀色の毛並みを持つ、神秘的な雰囲気の巨大な石像であった。
『――る街『テンモク市の守護神『狐竜神あらせと
(……へぇ、あらせと狐って言うのか)
近くの観光客用のプレートに刻まれている名前を見て弥は息を呑む。ここまで美しい狐の神様なんて初めてみた、こりゃ幸先良いぞと歴史好きの弥は胸中で唸った。
瞬間、風が立ち昇る。強くはないが鋭い風だ。まるで剃刀が飛んでいるような切れ味鋭い風が肌を吹き抜ける。
そして風が渦を巻き昇る中心に、女性が一人舞い降りた。肩まで伸ばした黒髪に黒いスーツ姿、郵便局のマークが入った鞄を提げたお姉さんだった。
(もしかしてあの『魔法使い』さんって奴なのかな? 確か最近『魔法技術』の授業で習ったぞ――!)
弥の脳裏に数日前の授業の内容が呼び覚まされる。
「……配達はここで最後。今日の業務も滞りなく終了だ――む?」
手紙を出して確認していた彼女と弥は目が合ったのだ。
「……君は観光客さんか?」
「えぇはいそうです……」
触れれば斬れそうな、鋭い刃物のような空気を身にまとう美人さん。その切れ長の眼差しに怯えて後退りしつつも、弥はちゃんと答えた。
「……奇妙な空気だな、君は。呪いと
「へ?」
「多分その呪いを退ける為の神徳なのだろうが……? ……だが君はどうみてもこの街の出身ではないな……それなのに何故守護神さまの神徳が……?」
「あ、あのぅ……?」
訳の判らない独り言に間抜けな返しをする弥くん。
「おやおや『カマイタチ』ちゃんかい。いつもお仕事ご苦労様」
そんな時、駅長さんが出てきたのだ。
「駅長さま。今日の郵便物を配達しに来ました」
すっ……と手紙を差し出すお姉さん。
「カマイタチ?」
「あぁ、彼女はカマイタチなんだよ」
こそっと尋ねる弥に駅長さんは優しく答えた。
しかし……。
「カマイタチってなんですか?」
肝心要な知識が不足していたのである。
「カマイタチというのは妖怪の一種じゃよ。この街に昔から住んでいるのじゃ」
「へぇー……初めて聞きました……」
感嘆の息をつき、弥は今日一日で色々楽しい事を学んだ。
「君の年なら『魔法技術』の授業は習っているはずだ。だったら認識があると思うが」「習うには習ってましたけど……精霊などの授業はまだしていませんですから……」
「成程、それなら仕方ないな」
弥の問いに静かに答えるカマイタチさん。
「駅長さん、これをどうぞ」
ついでにお手紙を駅長さんにご配達。
「おやおや、そろそろ『狐祭り』も近いからねぇ。ありがとうさん」
「確かにお届け致しました」
ぺこりと頭を下げるカマイタチさん。
「……ところで君? 観光客さんなら宿は取っているのか?」
「え? いや別に……」
カマイタチさんにいきなり質問されて、弥は驚いた。
「もうすぐこの街ではお祭りがある。ホテルはもちろん、民宿なんかも空いていないかも知れないのだ」
「えぇっ?! どうしよう……!」
いくら今が夏で風邪の心配があまり無いとはいえ、野宿は出来る限りごめんである。何より汗臭くなれば健康にも良くない……。
「心配しないでいい。君ならすぐに宿が見つかるはずだ。……うん、すぐにな」
そんな時奥歯に物が挟まったような発言をするカマイタチさん。
その様子を訝しげに見ながら振り返ると、駅長さんも心底疲れたようなため息をつきながら「だろうねぇ……」と明後日の空を見上げていた。
……訳が判らないなぁ。弥は胸中で小さくため息をつく。
「それじゃあ駅長さんにカマイタチさん、二人共ありがとうございました!」
弥は満面の笑顔で二人に感謝すると、
「またどこかで会えると思いますから、よろしくお願いします!」
元気いっぱいの駆け足で、立ち去ってゆく。
「……あの子はきっと『アレ』ですよね?」
彼を見送りながら、カマイタチさんは嘆息した。
「やれやれ……ま、なるようにしかならんじゃろ。心配せんでも護り神さまもいるしのう」
なぁ……と駅長さんは狐竜神さまの看板を見据えた。
そこには弥が見損ねた街の二つ名が書かれている。
――かつてを今に伝える街・テンモク市――と。
かつての街の狐竜神 なつき @225993
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