第2話 少年が家出する理由
とある地方都市。そこの一番大きな駅で、弥は乗り換えと決めていた。何故ならこの駅は色々な支線と繋がっていて、何処に自分が家出したか足取りを掴むのに苦労するからだ。この駅の構内で着替え、自分の足跡を消して、支線に乗れば多少は撒けるだろう。
しかし……最初から計画が狂ってしまったと弥は嘆息した。あのお姉さんがとんでもない事してきた為に、乗り換えの計画がずれてしまったのだ。本来はこの駅まで乗っていて切り替える予定だったから、別の駅から乗り継いでくる手間がかかったのだ。まぁ足跡をさらに消す事が出来たと思えば悪い事では無かったが……。
(……思い出すのは止めよう、うん)
どうせもう、二度と逢う事は無いのだから、思い返すだけ間違いだ。ひと夏の思い出の一ページにしておけば良いのである。今から自分は家出するのだ、きっちり逃げ切る事が大事なのである。
(……あの糞オヤジめ、俺を無理やり卓球部なんかに入れやがって‼)
家出だと思うと電車待ちのホームで一番嫌な記憶を思い出してしまう。
そう、自分は無理やり卓球部に入部させられたのだ。確かに中学生は部活が必修だと知っていたし、自分にやりたい事なんか何も無かったからどこか適当に入部するとは感じていた。しかし父親のアホはこちらに何も話さず無理やり卓球部に入部させたのだ。
その事を話した時に父親は説教をしてきた。
曰く――俺さまはお前みたいな馬鹿の為に有難い説教してんだぞぉ?――と。
……その時の光景は忘れもしない。親身になって説教してくれているのなら、多少の気持ちも伝わって来ただろう。だがあの糞オヤジときたら自分を正座させて缶ビールを一杯やりながらニタニタ嗤い木刀で自分を叩きのめし、途中で話し飽きたからパソコンで将棋をやりだす始末……。
――あぁ、お前まだ居たのか? とっとと帰れや馬鹿。馬鹿で恐竜みたいに鈍くてもそんだけ正座してりゃ俺さまのありがたーい説教の価値が判るだろ?――。
そう抜かしてビールの缶を投げつけ、残ったビールが溢れたから「お前が俺さまを怒らせたから悪いんじゃ馬鹿‼」と叫んで床を拭かせてきたのだ。……もちろん、その自分の後頭部に唾も吐き捨ててきて。
その時から語るに落ちた。もう絶対この糞オヤジは信用ならないと思った。まぁその後もテスト勉強していたら「馬鹿にゃ勉強なんか無駄じゃ‼」と子供部屋のブレーカーを落として火傷しないぎりぎりの温度の熱湯を頭からかけたりそれで成績が落ちたりしたらまた木刀で叩きのめしてきたりしたのでますます信用しなくなったが……。
卓球部の連中が信用出来なかったのかと言われたら、間違いなく「信用ならない」と答えるだろう。何故ならあいつ等もあいつ等で小学生の時代から自分を嗤ってきた連中だからだ。人が本を読んでいたらいちいちどんな本を読んでいたかクラス中で嗤い話にし、常に聞こえるよう陰口を叩き、反撃したら嘘を並び立てて教師と一緒に苛め抜いてきた。机に落書きなんかざらにあったし、給食の中に雑草やゴキブリ、犬の糞を入れられたりもした事もあるし……時にはいかがわしい書籍を鞄に入れられて冤罪を流されたりもした。
だから。奴らに盛大に恥をかかせてやろうと思い、この家出計画を練ったのだ。この日の為に自販機の釣り銭を集めたり、あの我が家に鎮座ましますおウンコお父様こと糞オヤジの財布からちょいとくすねたり(当然だが良心はまったく痛まなかった)して費用を捻出し着替えの準備や路線図の記憶をして、逃走経路を考えに考え抜いた。
そして合宿が始まる七月二十一日、夏休みのこの日に一瞬の隙を突いて脱走を実行したのである。まずは電車が閉まる瞬間を見計らって反対の車両に飛び乗り、この大きな駅でほとんど誰も乗らないローカル線に飛び乗る予定が全行程だ。もし駄目だったとしても駅の構内で着替えて逃げ出すつもりだったから計画に支障は無い。計画は一部――あの自分好みのお姉さんの事以外は――全て計画通りに運んでいる。
「……中一最初で最後の夏だ♪ 存分に楽しませて貰うぜ♪」
思い切り伸びをして弥はご満悦。悪戯が成功した子どもそのものだ。
……しかし、
「……おい、お前弥だろ?」
だがしかし、運命とは上手く行かないものらしい。
「ぎゃあああああっっ⁉」
よくよく見知った声に、話しかけられたからだ。
「やっぱりお前弥だ。こんな所で何してんだよ?」
「そおゆうアナタさまは『
ぎこちなく振り返る弥の双眸に、竹刀袋を背負った黒髪に鋭い魅力の少年が飛び込んでくる。
彼の名前は『
「こ……こんなトコでなにを……」
「そんなお前こそ何をしてる? 卓球部は夏の合宿の予定だろ?
……まさかお前、逃げてきたのか?」
若干つり上がった目付きを細め、雪之丞は詰問してくる。
ヤバい……ヤバすぎる……! こいつは無茶苦茶厳しい奴なのだ。良く部活をサボっている自分を叱りつけてくるし無理やり引っ張ってゆく事もある奴なのだ。そんな奴が部活から脱走した人間を放ってはおくまい。引っ張って部活へと連れていくだろう。
「ふん……やっぱりそうか……」と呟く雪之丞を見て。あぁ、やはり悪い事は出来ないのですね、神様! と弥は叫びそうになり、
(とか思うかコンチキショォォォォっっ!)
盛大に脳内で吼えたのだった。
「まぁいいや。今日は見逃してやるよ」
「な……ふへっ?!」
うん? 今なんて?
「だから、見逃してやるって言ったんだ。俺は何も見なかった。さっさと逃げ切れよ」
じゃあなとひらひら手を振る雪之丞。
「え……ちょ……何でだよ?!」
慌ててすがる弥に、
「お前は前々から「卓球部行きたくねぇー!」って言ってたろ? 何か理由でもあったんだろ? おれは立場上、やらないといかんからしていただけだし何より――」
雪之丞君、そこで一旦区切り、
「……おれも今日から夏休みだ。初日からつまらん事は御免だよ♪」
一番の本音らしい一言を吐いたのだ。
「ヲイ⁉」
これには弥も堪らず突っ込んだ。
「いいじゃねぇか。おれはやっと故郷に帰れるんだぞ? 何で夏休み初日からメンドイ事をしなけりゃならんのだ?」
「いや確かにそうだけど……」
「だろ? ならそれで良し。おれは何も見なかった。家出旅行、楽しめよ。
あぁそうだ。ほら、餞別だ。貸しにしとく」
そう言うと一万リーク紙幣を財布から取り出して。雪之丞は弥のポケットにねじ込んだのだ。
「いや悪いだろこんな大金……」
「一度出したモンを引っ込められるかよ。金は邪魔にゃならんからな。
じゃあもう行くぜ。何せおれの故郷は電車が四時間に一本のど田舎なんでな」
「そんなに田舎なのかよ?!」
思わず叫ぶ弥。まぁ仕方ないだろう。
「あぁ、だから乗り過ごしは御免だよ。また四時間近く待たないといけないからな」
「なぁなぁ! おれもお前の故郷に連れていってくれよ‼」
弥は興奮気味に提案するが、
「いや……おれの故郷は止めとけ。良い所だけど止めておけ」
雪之丞は苦々しく呻くばかりだ。
「えっ?! 何でだよ⁉」
「何でも何もあそこの土着神さまは……いや、言うのは止めよう。知らん事が良い事って幾らでもあるからな」
言葉を濁して言い終わる頃に、電車が一本停車した。
「じゃあな」と無理やり気安く笑い、雪之丞は電車の中へと入り込む。
「お前の故郷ってどこだよ‼」
叫ぶ弥に、
「『かつてを今に伝える街』、だぜ♪」
雪之丞は屈託なく笑って答えた。
やがて電車はゆっくりと、力強く、疾走していった。
「『かつてを今に伝える街』、だって……?」
この地方にとどまらず、この世界にある街や地名には昔からその地を端的に示した二つ名が付けられている。例えば『機械と天才の街』と言えばかの有名な『からくり都市アキバ』を、『
しかし『かつてを今に伝える街』……か。きっと歴史の深い古都なのだろうな……と、感慨深くなる。意外にも弥は歴史が好きで、常に歴史書を読んでいる。特に世界規模の歴史を書いた『忘却の戦史』はお気に入りで毎日読んでいる。女神が降臨した神話から幼き勇者『ルーティス・アブサラスト』が魔王と永遠の戦いを繰り広げ続けている『還流の勇者伝説』、様々な英雄が生まれて消えた群雄割拠の『大罪戦争』……色々拾い出せば切りがない。それだけこの世界の歴史は深く果てがないのだ……。
……おっと、物思いに耽ってる暇は無い。自分は家出するのだ。弥はそう感じると雪之丞が乗り込んだホームとは逆のホームに向かう。本音を言えば歴史が深そうな雪之丞の故郷に行ってみたいが……彼が嫌っていたみたいだから止めておいた。
(――そう言えばこのホームから向かう電車は温泉街だったな)
ほぅ……。貰ってきた観光パンフレットをめくりつつ、弥はうっとりため息をつく。
そんな時に。反対のホームの光景が飛び込んできた。
白地のランニングシャツに半ズボン、麦わら帽子を被った虫取り網装備の少年が、嬉しそうにはしゃいでいたのだ。
(すげ! 虫取り少年なんか始めてみた‼)
今時こんなステレオタイプの田舎風景が見れるなんて思わなかった。何だか心地よい、落ち着く風景に思わず見とれてしまう。
少年ははしゃいでいたが、ふとしたきっかけで振り回していた虫取り網が隣のお姉さんにぶつかってしまう。すぐに母親と思わしき中年女性が少年を叱りつけ、少年と一緒にお姉さんに謝っていた。 凄く微笑ましい光景だなぁとついつい見入ってしまう弥。
(……お♪ あのお姉さんすっげぇ好みの美人だ!)
少年が謝っているお姉さんを捉えて、弥の双眸が輝いた。
まず自分より遥かに年上の、二十歳ぐらいなのが素晴らしい。自分は年上のお姉さん好きだからだ。腰まで伸ばした銀色の長髪にこの距離からでも見える丸みある
謝る少年に微笑みながら応じるお姉さん。性格的にも包容力があるとはますます好みである……。
などとお姉さんに見とれていたら。電車がやってきたのだ。乗り込む瞬間、嬉しそうにお姉さんが自分に手を振ってきたような気がしたが……まぁ気のせいだと思った。幾ら何でもお姉さんがこちらの視線に気づくはずはないのだから。
停車した電車は対面座席の車両だった。窓辺にジュースの缶でも置けそうな小さな机のある電車。実際に見た事は無いはずなのにどことなく懐かしい気持ちに駆られるのは何故だろうか……? まぁ考えても仕方ない。この懐かしい空気を楽しめば良いのである。弥はそう納得して座席の窓辺に座り、ついさっき自販機で買ってきたサイダーの瓶を置いてみる。
……うん♪ 中々風情があるぞ♪ ついついにやけてしまう。
「……しな」
そんな時、いきなり話しかけられた。
「へっ?!」
大慌てで声のした方を向く弥。
そこには年上の女性が一人、ぽつんと立っていた。今日良く年上の女性に話しかけられるなぁ……弥は胸中で感嘆の息を吐いた。
それにしても……。
(何か薄気味悪い人だなぁ……)
ちょっと身を引く弥くん。
「……しな」
何故なら彼女はついさっきから変な事しか言わないでずっとこちらを見下ろしているのだから……。
「……しな」
長い黒髪に浴衣姿、だけど目を隠すように前髪が顔全体を覆っている。先ほど見下ろしていると思ったが、視線を感じると言うよりは雰囲気を感じると言った方が正しいかも。
「……しな」
「……あのぅ、何かご用ですか?」
途中で割って入る弥くん。ちょっと我慢が出来なくなってきたからだ。訳の判らないお姉さんなんか御免だ。
刹那、千本の
「――?!」
どっと冷や汗を溢しながら弥は勢い良く振り返る。そこには何も無い。あの懐かしの虫取り少年がきょろきょろしているだけだ。氷柱なんかどこからも飛んできてはいない。ただの勘違いだ。
(……殺意って奴かなぁ?)
弥は冷や汗を拭いながら呻く。確かにそれなら納得できる。それっぽい感覚だったし。
「お姉さんごめんなさい――ってあれ?!」
お姉さんの方に向き直り、弥はまたしても驚いた。
何故ならさっきのお姉さん、どこにもいないのだ。影も形も無いとはこの事で、彼女のいた痕跡がまるで無いのだ。
「……キツネにつままれたって奴かなぁ?」
辺りを見回して、弥はぽかんと口を開け間抜けな顔になる。
(……まぁいないならいいか)
弥くんは改めて窓辺を向いた。まだあちら側には電車が来ていないらしく、あの虫取り少年くんが母親と一緒にまだいた。どうやら未だにきょろきょろと何かを探しているらしいが……。
(……? なんか足りなくね?)
ふとそんな気がして改めて見やる弥。しかしどこも変わりはない。何故なら『母親らしき中年女性』も『ステレオタイプな虫取り少年くん』も、全員いるのだから……。
(まぁいいや……。僕には関係ないね)
弥は窓辺に頬杖を付いて顔を傾ける。
その瞬間プシューっという音と共に電車が揺れ扉がぎこちなく閉じて。ゆっくりと加速して行った。
その光景が、どこか物悲しい。何故だろうか? 自分が家出するからなのか?
そう、これから自分は家出をするのだ。行方を眩ませてひと夏は帰らない予定だ。
弥は優しく寝かされるように双眸を閉じ、夢の中へと誘われてゆく。目が覚めたなら新しい人生が待っていれば良いのにと、弥の意識はゆっくりと灰色に沈んでゆく。
やがて糸が切れた傀儡人形のように弥は眠りについた。電車内は弥以外に誰もいない。これが店なら閑古鳥が飛んでいそうなぐらいに貸し切りの景色。財布を狙うスリの心配も無い程にがらがら―― ……いや、一番奥の座席に誰かいた。弥からは死角の席に人がいたのだ。
白地のカッターシャツ、紺色のタイトスカート。腰まで伸ばした銀色の長髪の女性が一人、座っていたのだった。
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