かつての街の狐竜神

なつき

第1話 嫌な事からは逃げてしまえばいい

反対の電車のドアが閉まりきる瞬間に、少年のひさしは車内に滑り込んだのだ。それは一瞬の隙を突いて無駄なく正確に、呆気にとられた間抜けな顔立ちの中年女性と男子数十人を尻目に行われたのだ。連中は電車のドアが閉まりきる寸前まで、馬鹿みたいに呆けていたのだが……。


「あの野郎! 逃げやがった‼」


少年の一人がようやく事態を飲み込み、彼を指差し声を荒げた。

だが時すでに遅し。少年の乗った電車は発車していたのだ。

「くそ!」

ゆっくりと加速し、離れてゆく電車を見て、毒づく男子達と中年女性。


「へっへ~ん! オメーらがヌケサクの間抜けなんだよバーカバーカ‼」


悪戯が成功した悪ガキの表情で、中指を立てる弥。ついでに舌も出してやる。

改めて車内を向くと、そこには何事かと見ていた大人連中が居たが……慌てて目を反らした。やっぱり大人は面倒くさい事が嫌いなのだろう。

「はいはい通りますよっと♪」

弥は気安く手慣れた様子ですり抜けて。車内を端の方に向かってゆく。

一瞬、双眸が窓を捉えた。 そこには眼に墨で描いたようなはっきりとした隈がある、半眼の目付き悪いくたびれた陰気なくそガキが映っている。


――目付き悪ィな、相変わらず。


ふんっと自嘲して鼻を鳴らす弥。態度もますます悪くなる。仕方ないとはいえ……こんな態度なのはいかがなものか。まぁ今は仕方なかろう。

などと思い耽っていた刹那、電車が大きく揺れた。

「おわっ?!」

つり革を持っていなかった弥は案の定バランスを崩し、

「きゃあ!」

目の前に立っていた若いお姉さんにぶつかってしまう。

「……あ! 申し訳ありません‼」

思い切り頭を下げる弥。

「ふふっ♪ 良いのよ坊や♪」

……でも何故かお姉さんはご機嫌だ。朗らかな笑顔で微笑みかけてくる。

自分好みの綺麗なお姉さんだと、弥は見とれてしまう。腰まで伸ばした銀色の髪に丸みのある紫水晶アメジスト色の妖しい輝きを湛えた双眸。汚れ一つ無い白地のカッターシャツに紺色のタイトスカートの美しくも妖しい魅力に、思わず吸い込まれそうになってしまう。

「あ……えっとその……離してくれませんか?」

いつの間にか自分の腰に手を回して抱き締めている満面の笑みを浮かべる美人のお姉さんに、弥は少し赤らめた顔を剃らせながら要求する。自分の方が背が低いから、豊かな胸元に顔を埋める状況になっているのも辛いのである。

「私は大丈夫よ、大丈夫♪」

「あ……いや僕が……」

さらにしっかりとすべすべの柔らかい手を腰に絡ませてゆくお姉さんに、ますます顔が赤くなる。

「ところで君? さっき電車に飛び乗って来たけど……家出かしら?」

右手で彼の頭を撫でながら。ふ……と妖しく微笑むお姉さんに。

「あ! も、もう僕行くからっっ‼」

耐えられなくなって、弥は電車のドアが開いた瞬間に飛び出してしまった。

鼓動が心臓を痛めるみたいに早い。荒ぶる息が落ち着かない。とにかく今は彼女から離れたかった。

「あらあら……残念だわ♪ せっかく好みだったのに……♪」

扉の閉まる車内で隣のホームに止まった電車に飛び乗る少年を見送りながら、お姉さんはくすくすと嬉しそうだった。

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