夢と幻
鋭い声の響きに、
「
「大王はこの世にあられる」
故老たちは泣き、大夫たちは迷う。
「おお、王は黄泉の坂よりお還りになられた!」
異変を察した
「王たる者は、殺すと決めたら一思いに殺せなくてはならぬ」
「無理だよ!」
狗奴王は血塗れた太刀を取り落とし、喉を絞る。息は絶え絶え、瞳は大きく震え、心は甦った姫氏王の影に
「子犬だって殺せなかったのに……!」
篝火が燃え立てば、姫氏王の姿は、蜃気楼の如くに仄めく。仄めきながら、冷たい声を放つ。
「奪わざれば、奪われるのみだ」
狗奴王は、頭を抱えてウワーッと叫び、腰から崩れ落ちて、そのまま気を失った。倒れた体を、腹から血を滴らせた弥馬獲支や、死に装束の女たちが見下ろす。空に曙が射して、馬上の
朝靄に日が光を落として、昔の記憶を映し出す。
かつて
「この犬どもはいずれ膳に上るもの、汝らの手で屠ってみよ」
姉は身じろぎもせず、子犬の綱を把んで一振りにその首を斬り落とした。弟は怖じて進めず、姉が再三促してやっと綱を握る。それでも手は戦いて切っ先は鋭からず、毛皮を
「王たらんとする者は、殺すと決めれば、一思いに殺せなくてはならぬのだ」
やがて祖父は姉の方を跡継ぎと決めた。
霧が走り、波が打つ。波の音と風の冷たさが、ぼうっとする
「おう、これはどうしたことだ」
筏からは綱が伸びて、もう一艘の舟に曳かれている。舟には難斗米が乗っている。難斗米の横で一人の従者が、黄色い飾り幢を支えている。
「斗米よ、斗米よ、おれを何とする」
難斗米は風の冷たさのままに答える。
「王の
狗古智卑狗はほっと息を吐いた。
「そうか、ああ、打ち首は免れたか。有り難いことだ」
難斗米は筏を曳く綱を持ち、刀を添える。
「ああ、斗米よ、教えてくれ」
刀はまだ綱を切らない。
「おれは夢を見ていた。長い夢だ。悪い夢だった。だが分からぬのだ。いつから眠っていたのかのう。どこからが夢であったのかのう」
「これから海に漂う間に、よく思い出されませ」
狗古智卑狗は何かを考える様に、項垂れて暫く口を結ぶ。難斗米も黙って待っている。一つ強い風が吹いて、太陽を垣間見せる。
「いや――、もう良い。何も分からなくて良い。もう何も思い出すまいぞ。もう何も思い出すまいぞ。さあ早く流してくれ」
難斗米は刀を持つ手を引いた。筏は舟から離れる。筏はどんどん東へ流され、小さく小さくなって行き、波に揺られる木の葉ほどになって、ついに見えなくなった。見えなくなっても、難斗米はまだ舟を留まらせて、東の方を向いている。張政が声を掛ける。
「あの人はどうなるだろうか」
難斗米は胸に溜めた息をほーっと吐く。
「
去った人への名残を断って、舟は舳を巡らす。
数日して、帯方から
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