正始年間

 魏朝の統治に帰して已来、辺鄙な帯方タイピァンの地にも、中国の噂が早く聞こえて来る。官営の連絡網は常に京師洛陽ラクイャンと情報を繋ぎ、商人の往来も繁くなった。太傅の司馬懿シェィマ・イーは、先帝が宮殿を華麗に飾らんとして徴用した労働者を帰郷させて、国家予算を節約し、農業に努めさせたというので天下の評判が良いらしい。大将軍の曹爽ザウ・スァンは、帝室に近い血筋を笠に着て、佞臣を近付け、奢侈に耽っていると云われている。皇帝は幼弱であり、政治はこの二人が分担していたが、世上の批評は全て司馬氏に実力が有るとしている。おりしも張政たちが郡に帰還した丁度その頃、南方では呉の軍団が襄陽の辺りに侵入していた。これに自ら兵を率いて対処したのも、若い大将軍ではなく、還暦を越した太傅なのであった。

 郡に戻った張政チァン・センは、まず二通の書類を作らなければならない。一つは朝廷に提出する復命書で、これには氏王からの答謝の書を添える。それも張政が代筆を頼まれている。もう一つは司馬氏の内命に対する報告書である。姫氏王から司馬氏へ寄贈される銅材を運ぶ手配もする必要が有る。その一方で張政は、郷里の両親にも信書てがみを出す。王碧フヮン・ペクの母に気を掛けてくれる様にとの用件である。王碧から母への封書は、いずれ近い内に時間を見付けて持って行くつもりにしている。

 使節としての務めに始末を付け、突兀鋭トツゴツ・ユェイに頼まれた薬種も送り、短い休暇を取って郷里で過ごした後、張政は日常の業務に戻った。帯方郡と邪馬臺やまと国との関係は、より密になった。交易の拠点になっている、弁韓の狗邪国まではよく行く。そこには相変わらず、南北から様々な種族が行き交っている。知った顔の倭人たちともよく会う。王の金印を紛失した事については、司馬氏からの咎め立ては別に無い。朝廷からは、四年間隔を目安として叶う限り定期的な朝貢を続けられたしとの旨が、姫氏王に宛てて伝えられた。

 正始四年、邪馬臺から洛陽へ第二次となる朝貢使が発遣された。今度の使者は伊声耆いせき掖邪狗えこやこら八人で、前例と同じに梯儁テイ・ツュンと張政が引率した。伊声耆らは率善中郎将の印綬を賜って国に還った。

 さてこの頃、北方では、高句麗カウクリ数々しばしばイェウ州を侵凌していた。もともと冷涼な山地に刻まれた谷筋に建国した高句麗では、地味が貧しくてはたけを耕しても食うに足りず、食糧を求めて南下の機会を窺っていた。幽州刺史の毌丘検クァンキウ・ギェムは、正始三年から度々進撃して高句麗王のクュンと戦った。五年には首都の丸都クァントを陥れ、宮を敗走させた。しかし検が軍を引いて還ると、宮はけろりとして元の勢いを盛り返す。高句麗人は団結が固く、打たれ強いのである。

 正始六年になると、高句麗を後方からも突くという作戦が持ち上がる。楽浪ラクラン・帯方両郡の東に住むワイ沃沮オクツョなどは、高句麗と同じマクと呼ばれる種族で関係が深く、食糧の供給源ともなっていた。そこで幽州から両郡に命令が下り、楽浪太守の劉茂リウ・モウ、帯方太守の弓遵クュン・チュンは、軍を興して濊を討つ。この作戦は図に当たった。毌丘検は再び宮を敗走させ、宮の跡を追った玄菟クェント太守の王頎フヮン・ギーは、沃沮を踏み越えて陸の果てまで至った。

 所がこの事件は、濊の南に接する韓人諸国に動揺を惹き起こした。そもそも濊は楽浪郡との関係も良好だったし、高句麗に食糧を輸出していたのも通常の交易に過ぎない。それでいて征討を受けるなら、次は我々が攻撃されるのではないか。韓人たちはそう思った。一方幽州では、韓人諸国との交渉を所管している帯方郡の規模が小さいのを不安として、辰韓の八ヶ国を楽浪郡の担当に移そうとする。それが韓人たちの間には何か誤って伝わったらしく、情勢は反って悪くなる。朝廷からは遠交近攻の策を執る様にとの指示が有り、倭人の協力を得る為、難斗米なとめに将軍の印である黄幢を授ける事が決まる。

 黄幢は帯方郡まで届けられたが、海を渡らない前に戦端は開かれた。正始七年の夏の事である。韓人諸国の連合軍は、帯方郡の崎離キーリー営を攻める。楽浪・帯方両郡太守は兵を興してこれを防ぐが、陣営の士気は上がらない。楽浪地方の民人は濊人の血が濃く、前の作戦でも厭戦気分が濃かったし、今も寧ろ韓人に同情を寄せている。それに中国から派遣された高級官僚の思い上がりで、自分たちが普段から積み上げてきた外交関係を壊されるのは、とても納得できないと思っている役人も多い。この戦いで太守弓遵は死んだ。その後で、張政や梯儁ら現地採用組の奔走により、和平調停がなんとか成功した。帯方太守には王頎が、正始八年の初めに転任して来た。

 黄幢はまだ帯方郡に在る。張政としては、これを早く難斗米の手に渡してやりたい。あの狗奴くな王は六年に死に、狗古智卑狗ここちひこが位をいでいる。すると姫氏王は狗奴国を併呑する計画を着々と進めているはずだ。黄幢それ自体は飾りに過ぎないが、権威的な助力にはなるであろう。八年の夏を待って、黄幢を届けに行くという計画を、張政は上官に提出した。しかし渡航に適した季節を迎える前に、邪馬臺からの使者はやって来た。

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