狗奴王父子
狗奴王は姫氏王の父で、姫氏王の母は
かつて今より五十年程前、
しかし長く倭人の盟主であった奴王の権威に対する人々の思慕はまだ大きく、邪馬臺王の下風に立つ事を潔しとしない者の一部は、奔逸して東へ海を渡る動きを示した。そこで邪馬臺王は奴国の西辺の地を割いて
狗奴王はこの時に、派兵の酬いとして邪馬臺王の息女を得て、その家に通い、一女一男を産ませた。即ち今の姫氏王と狗古智卑狗である。
邪馬臺の邑を
「父上、お疲れでしょうに。屋敷の方へお越しにはなりませんか」
と、女王は挨拶をする。冷たい風がカサカサという音を奏でている。
「汝は今日こそ、この父をも下座に着かせるつもりであろう」
狗奴王が何を言わんが為に来たのか、女王には分かっている。
「もう遅うございます。この
女王は紫色の綬が付いた真新しい金印を手に輝かせる。狗奴王は眼をギョロリとさせて
「なぜじゃ」
老王は、顔の皺を更に深める。
「なぜ独り天子を仰いだ。この地を二つに分け、倶に天を戴くという約束、汝が祖父公の位と共に受け継いでおるはずではないか」
「物事には、出来る時と出来ぬ時とがございます」
「今は、出来ぬ時になったと申すか。なぜじゃ」
「父上とて、東へ行った連中が国を作って、こちらを窺っているのを知らぬわけではありますまい」
「そんなものは、力を合わせれば防げよう」
「防ぐのではない」
「何と」
「防ぐのではなく、こちらから打って出ます」
「何と申す」
「
女王は、きっぱりと言い放つ。
「フム……」
老王は、何を思ってか、しばし白い眉を持ち上げたまま押し黙る。北からの風が、枯れ葉をどよめかせる。
「
老王は、この話し合いを諦めて、傍らに控える王子に命じる。
「余はもう帰るが、おまえは奴王の霊を慰めてから戻れ」
狗古智卑狗は、それまで父と姉の対話を、聞くでもなく聞かぬでもないという態で、ぼうっとしていたのが、急に声を向けられてはっと目が覚めた様な顔をする。
「えっ、おれ一人で残るんですか」
「何じゃ、不服か」
叱られそうな気配を感じて、
「いえ、滅相もない。全て父上の仰るとおりにしますとも」
と小さくなる。
狗古智卑狗は、もともと邪馬臺で育てられた。狗奴王が多くの妃に生ませた何人もの王子は、この父が長生きをする間に、一人死に、二人死に、次々と世を去って、とうとう国許にはその墓が並ぶばかりとなった。そこで狗奴王は、狗古智卑狗を呼び寄せて、跡継ぎとして育てるべく副官の役目を与えたのであった。
すぐに帰ると言った狗奴王は、結局時間の都合で一晩だけ邪馬臺の邑に泊まり、翌日の朝早く帰途に就く。姫氏王は兵士を動員して薄明かりの中で調練を行い、これを以て老父の見送りに代えた。
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