親魏倭王

 外夷の王に爵位を授ける儀式は、儒教礼式に則るのが建前である。しかし一方でこれは在地の人々にその君長が天子より冊封された事を知らしめるものでもあるので、彼らに対して効果的であることも必要になる。張政チァン・センは式次第について詰める為に、氏王と梯儁テイ・ツュンの間を何度か往復した。

 〔漢倭奴国王〕印の返却なしに新印を引き渡す事については、張政と梯儁の間に意見の相違は無かった。〔親魏倭王〕印を授けるのは勅命であるが、旧印の回収は司馬シェィマ氏からの内命に過ぎない。償いとして司馬氏に宛てて銅材を贈るという姫氏王の内意が伝えられた事も、張政と梯儁の心を軽くした。

 梯儁はようやく投馬つま国を発って、邪馬臺つまと国に入った。一行が投馬のまちに着いてからもう一ヶ月以上が過ぎ、季節は冬に差し掛かっている。姫氏王の命を受けて伊声耆いせきが梯儁を邪馬臺の邑に案内し、入れ替わりに姫氏王は投馬の邑に入った。難斗米なとめ都市牛利としぐりも同行している。難斗米は口数少なに、そして静謐に過ごしている。しかし王は罪人として死んだので、喪に服する事はしていない。またそれは許されないのである。

 伊声耆は姫氏王の名に於いて民を動員し、南郊の広閑な地に土を盛って壇を築く。壇は夏至の日の出から冬至の日の入りを向いた長方形である。両側の短辺を削って階段を付け、そこから上り下りをする。壇の中央には縦に小室を掘り下げて、象徴的に奴王の首桶が安置される。壇が少し低いのではないかと張政は思ったが、これは倭人が余り高さを尊ばない為と、姫氏王が余り日子を掛けない様にと注文したからであった。

 姫氏王は、対馬つしま一支いき末廬まつら伊都いと・奴・不弥ふみ・投馬などの諸国から、その首長や土地の名士を呼び寄せ、率いて倶に邪馬臺へ向かう。邪馬臺の邑では、今度は姫氏王が賓客の立場で入り、梯儁が主宰として迎える。姫氏王は斎戒して身を清め、儀式に備える。南郊の壇上には、勅使と王の席がしつらえられる。奴王の首桶を埋めた上には、王碧フヮン・ピェクが縫い上げた王服を着た木の人形が立てられる。人形の前には、稲と粟の穂をいたに載せ、そのを炊いた飯はたかつきに盛って、神饌として供えられる。この壇上の場は、やはり幕で囲われて、外からは僅かに消息を窺えるばかりになる。西側が壇の前面で、ここには賜り物の金、絹や錦、刀、百枚の銅鏡が並べられる。これに臨んで、参席者は序列に従って着座する。

 梯儁も禊ぎをして、控えの間で勅使の正装を纏う。張政も輔佐をする為に礼装に着替える。

「なんだか恐ろしいようだ。このおれがあの女王に対して上座を占めるとはなあ」

 と梯儁は言ったが、天子の命令を伝えるという大役を果たす準備は十分に出来ていると張政には見えた。

 壇の周囲や会場の要所には矛を持った兵士が立ち並んでいる。青銅の矛は太陽を受けてきらきらと輝く。姫氏王は倭人の正装で、賓客の席の中を通り、壇の西側の階段を上る。難斗米と都市牛利が介添え役として付き従う。張政と梯儁は、壇の東から階段を登る。壇の上では、王服を纏った人形から見て、左前に梯儁、右前に姫氏王が座る。壇の下では、この日の為に遼東レウトゥン郡から貸し出されて遙々やって来た楽団が雅楽を奏でる。その調べは、倭人たちには全く耳慣れない神妙な旋律であるに違いない。

ああなんじ卑弥呼ひめわう

 詔書と印綬を手にし、策命を伝えるのは、張政の役割である。姫氏王は平身低頭して叡慮に接する態度を示す。こんな役割は張政にしても身分不相応なのだ。今更ながらに緊張が手足を強ばらせる。それでも滞らせてはならない。

「天子は、爾が所在の遙か遠きにも関わらず、遣使して参り来たるをお哀れみになり、爾を親魏倭王に封じると仰せになられた。その勅命により、今詔書と金印紫綬を授ける。よって爾の国人に知らしめ、その民庶を綏撫し、封土を平らけく治め、以て皇沢に応えよ」

 姫氏王は身を起こして答える。

が身は微小なりといえども、それ勉めて国を治め、以て天威につつしんでつかえるでありましょう」

 ようやく女王は印綬と詔書を受け取り、再拝する。難斗米は杯に神酒を注いで姫氏王に渡し、王は杯を捧げて神に進めるしぐさを三度する。張政がその杯を受けて梯儁に渡し、梯儁もそれを三度神に進め、自ら口を付ける。梯儁は別の杯に神酒を酌み、難斗米の手から伝えて姫氏王に取らせる。王は再拝して杯を受け、酒を啜る。互いに口を付けた杯を、再び張政と難斗米の手を介して交換し、三度繰り返して酒を飲み干す。事が済むと、梯儁と張政は先に下がり、姫氏王は王服を人形から外してその身に纏う。王服を着た女王は壇上で西に向いて座り、周囲の幕が取り払われる。新しい倭王の登場を、一同は感嘆の声と拍手で迎える。

 張政と梯儁は、今度は西側の階段から登り、膝を突いて姫氏王に拝し、賓客の席に着く。一同に杯を回して神酒を分け与え、ひとまず乾杯が済むと、改めて酒と料理が運ばれて祝宴となる。招かれた人々が酒に酔い肉を食うのを、姫氏王はむしろ冷めた目で視界に捉えている。難斗米は、何を想ってか、何処を見るとも付かない顔をしてずっと座っている。

 宴も酣を過ぎた頃、侍女の一人が上がって来て姫氏王に耳打ちをする。何かの知らせが届いたらしい。頭巾の中で眉間に皺を寄せているのが判る。

「老体を押して来ずともよいものを」

 と女王は呟いた。

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