与えられた首級
「斗米よ、
という王の言葉に、難斗米は項垂れる様に跪拝の姿勢を保ったまま、
「はっ……」
という声を絞り出して答えた。
「その手で斬ったであろうな」
「はっ、確かに……」
難斗米は震えを含ませた声で答える。姫氏王は
「首を
「はっ」
と言いながら伊声耆は躊躇った。王の後方では庁舎の軒の下で、
「構わぬ。出せ」
女王は顧みない。その身は夕陽に照らされて赤く燃えている。
「はっ、ただちに」
伊声耆は、手桶を封じた縄を解き、蓋を取って、汚れた塩の中から、
「金印は、身に付けておらなかったのであろう」
「はっ、申し訳ございません」
「どうせ海にでも投げ棄てたのであろうよ」
「手を分けて探しておりますが、まだ見付かりません」
「見付かるまい、死んでも予の手には渡さぬつもりよ」
姫氏王は、夕陽を背に影を伸ばす奴王の顔を睨め付ける。
「まあそれだけは与えておいてやろう――、印だけを持って、黄泉路を迷うがいい」
首の影が伸びる程、姫氏王の姿は真っ赤に染まる。
「斗米よ」
難斗米はその脇で、言葉らしい言葉を一つも言わないまま、まだ
「斗米よ。大儀であった。今日は家に帰って休むが良い」
はっ、とだけ難斗米は答えて、うつむきがちに去って行くその背中を、
奴の
「赤い、赤い」
難斗米の声を張政は聞いた。
「血だ」
難斗米は川に向かっている。
「斗米さん」
「血の色だ……」
宵闇が迫って、川は黒く染まりつつある。難斗米は粗い砂に落ちる様に座り込んだ。
「斗米さん、家に帰るはずではないか」
後ろから声を掛ける張政に、難斗米は振り向かない。
「家には帰れない。老いた母もおれを叱るだろう」
「どうして。あなたは立派に君命を果たしたのではないか」
「いいや、だめだ。おれは金印を失ったことで
張政は難斗米の隣に座って、その肩に手を掛ける。
「斗米さん、聞かせてくれないか。奴王の最期はどうであったか」
そこで難斗米は初めて張政の顔を見た。
「ああ、おれの心はまだあの場所にあるようだ……」
難斗米は、奴王の舟を追って、斯迦島に上陸した。斯迦島はそう広くはないとはいえ、奴王がしばし姿をくらませるには十分な起伏や叢林を有している。難斗米は奴王の姿を見失った。難斗米は手配りをして奴王を探させた。傍らには塩を詰めた手桶を下げた伊声耆が控えている。次に難斗米が奴王の姿を見たのは、島の南の海に臨む丘の上であった。取り押さえられた奴王は、後ろ手に縄を受け、両膝を突いて、やつれた顔の中に眼を光らせていた。難斗米は兵士を退がらせて、その場には奴王と伊声耆との三人だけになった。難斗米は最期の懇願をした。
――大叔父さま、どうか後生ですから、金印を渡して下さい。
――あの印はもう亡い、海に棄ててしまった。
――嘘でしょう。
――嘘ではない。この通りだ。
そう言って奴王は、腰を折って首を差し伸ばした。
――印の代わりに、この首をおまえの君主に捧げるが良い。
伊声耆の手前、難斗米は太刀を抜いて上段に構えた。しかし骨に震えが走って、振り下ろす事は出来ない。躊躇うのでなければ、何でこれ程の時間を費やし、君主を長く待たせようか。
――サァ早く斬れ。どうせ印を渡してもひめわうはわしを生かしてはおくまい。ならばおまえに生きる道を与えてわしは死にたいのだ。
波が磯を叩く音が胸に迫って、難斗米はとうとう奴王の首を打った。首は落ちず、二度打ったが、一度目で奴王は絶命したはずである。
「帰るしかない。奴王が与えてくれた道を歩くのだ」
それは難斗米も判っているに違いないが、言葉にして聞かせてやる事が肝心だと張政は思った。闇に消え入りそうになるその魂を呼び返さなければ、張政にとっても済まない事になる。市場の方では松明が焚かれて、鏡を割る音がまだ響いている。
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