王者の眼神

 国や不弥ふみ国が有る平野から川を遡って南して行くと、左右から山系が迫った狭い平地に入る。そこが投馬つま国で、そこからさらに南すると、今まで倭地では見られなかった程の大きい平原に出る。東は三方を山塊に囲まれた袋状の地形で、西は扇状に広がって海に開けている。かつてはここに二十余りの小国が有り、互いに平等の攻守同盟を結んでいたが、その中からやがて力を伸ばして盟主となったのが邪馬臺やまと国である。宗主国と附庸という関係が続く内に、国々は全く国としての体裁を失って、今や邪馬臺国に属する邑々まちまちに過ぎなくなっている。この広い水田地帯から上がる米穀が、邪馬臺の王権を支える原資となっている。

 西から東を望むと、樹々に彩られた美しい山並みに抱かれる様にして、氏王の都する所である邪馬臺の本国が、その姿を現す。岩肌を露わにした禿山などは見当たらず、流れ出す川は清らかである。邪馬臺の邑は、土塁と壕に囲まれ、矛や剣を持った兵士が人の出入りを見張っている。王宮はさらにまた柵と壕に囲まれている。この王宮は南向きではなく、西向きに建っている。より精確に言えば、夏至の日の出の方角から、冬至の日の入りの方角に向かって建っている。宮殿の建物は床を上げた形式だが、平屋で、屋根は余り高くない。これが姫氏王が政治を行う所である。張政チァン・センたちはこの日の夕方にここに着いた。案内の役を終えた伊声耆いせきは、静かに控えの間に退がる。

張政ちゃうせいか。久しいな」

 それが、姫氏王が張政に掛けた第一声であった。張政は、姫氏王が自分の事を憶えているとは思っていなかった。四年程前、張政が公務で初めて伊都いと国を訪れた時、この女王は偶々親ら巡察をしてそこにお出ましであった。姫氏王は、郡使の末席に加わった小身者に過ぎなかった張政を、ただ一顧しただけであった。張政自身はそう記憶している。姫氏王はその時と同じく、長い布で頭を包んで鼻の前で縫い合わせ、両端を胸に垂らすという形をした独特の頭巾を被り、虎を想わせる鋭い、人を畏れさせるその目だけを見せている。着物はさすがに庶民とは明らかに違う物で、中国の水準から見れば粗目の絹に過ぎないとはいえ、豪奢な光彩を放っている。背は張政と余り変わらないから、女性としては、と言うより、倭人としては大きい方である。

 張政たちが通されたのは宮殿ではなく、その傍に在る大型のむろである。ここは姫氏王と近親の者たちが寝起きをする生活の場であった。

臺与とよ、おいで」

 と女王が声を掛けると、そう呼ばれた子どもは侍女たちの後ろから顔を出し、

 とか細い声で姫氏王を呼ぶ。年頃は五六歳程と見え、髪は男の子の様に額で束ねてはいない。突兀鋭トツゴツ・ユェイが目をぎょろりとさせてその顔を覗くと、臺与は姫氏王の後ろに隠れてしまう。

「昼頃までは寝込んでおったが、いささか良くなったようでな」

「体内の陰陽の気の調和が少し乱れただけでございましょう。もう良くなってきているなら、よく食べてぐっすり眠れば朝にはすっかり治ります」

 と突兀先生が臺与の顔色を見ただけで診断を下せば、

「そうであろう」

 と姫氏王は、判り切った事だ、という風に言う。

「道を急いで疲れたであろう。あまざけでも取らせよう」

 姫氏王が先に立って、張政と突兀鋭は宮殿の方に通される。雨が多い土地柄なので、吹き込みを避ける為に軒が長く覆い被さっている。装飾の無い質素な建築だが、木材がしっかりとしていて上がる人を安心させる。

「臺与ぎみの事でございますが」

 と突兀鋭は座るなり切り出す。

「体の中に何か気を乱す原因が潜んでいるやに見受けられますな。しょっちゅう熱でも出しておいででしょう」

「それだ。それを訊きたい」

 と姫氏王は応える。

「生まれつき体の弱いおのこは、めのこの如くにして育てると強くなるとか。そう年寄りどもが煩さく勧めるので、ああしておるのだ」

 馬鹿な事だが、という風に言う。

「ではやはり男児でございましたな」

 張政は全く女の子だと思ったのに、さすがこの医者はよく見抜いていた。

「臺与の体を健やかにしてやる薬は無いか」

 という姫氏王の問いに、突兀鋭は直には答えず、

「臺与ぎみの母親は誰でございます」

 と問い返す。

わしが臺与の母だ」

「王は産みの母ではございますまい」

「産んだ母親は死んだ。父親は予の弟だ。それで予が引き取った」

「後継者としてお考えだそうですが、ご自分で子を産もうとはお考えになりませんかな」

 随分と遠慮せずに質問をして、王を怒らせはしないかと、張政は心配しながら、突兀先生の顔を黙って見る。先生はそんな心配など知らぬ素振りである。女王もさるもの、と笑って問いに答える。

「女は子を産めば十に一、二はその痛みで死んでしまうものだ。王として国を捨てて子を産むわけにはいくまいが」

 突兀先生は尚も問いを続ける。

「それでその母親はどうして死んだのでございますか」

「なぜそれを知りたいのだ」

「それが臺与ぎみの不調の原因と関係が無いとも限りませぬので」

 姫氏王は、ふむ、と遠くに目を遣り、

「女が子を産んで死んだとて、誰も怪しみはすまい」

 と落ち着き払った声で述べながら、張政と突兀鋭の方に向き直して、

「女の身で権力を執り続けるには、跡継ぎの母であるということが強みになるのだ」

 と付け加えた。眼神まなざしやはり虎の如く耀きを放っている。

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