洛陽の朝食

 洛陽ラクイャン城には北西から穀水ククかわが引き込まれている。穀水は王城の周囲をめぐる濠に注ぐ。この濠を陽渠ようきょと呼ぶ。陽渠を満たした穀水は市街を東へ流れて行く。王城の東、穀水の南には、市場が有ってマー市と呼ばれる。洛陽には三つの市場が有り、馬市は帯方タイピァン郡邸から最も近い。多くの人々が集まる馬市に張政チァン・センたちも足を運ぶ。

 市場は朝早くから開き、人の流れが輻輳する。洛陽の内から、或いは外から、ハン人のみならず、北狄プォクデク西戎セイニュンコー人らしい顔も多い。店先には各地の名産が並ぶ。真定チンデンの梨、故安コーアンの栗。醇酎じゅんちゅうは千日の酔いにおぼれるという中山チゥンサンの産。信都シントの棗、雍丘ヨンキウおおあわ錦繍にしき襄邑シャンイプ羅綺あやぎぬならば朝歌テウカの名物。稲は江南から輸入しなくても清流シェンリウで獲れる。西域から送られる象牙、瑪瑙、瑠璃の器、目が回りそうな模様を染め出した絹、浮屠ぶっだの道士が用いる神人の像や香炉などは、東の辺境いなかに居ては想像も出来ない物ばかりである。競りに懸けられる牛馬、自ら身売りする奴婢、経史子集の書物も棚に上がる。

 しかしこうした東西の豊富な商品をよそ目にして、多くの人々がまず財を散らすのは、何といっても食事を出す店である。水一杯ばかりを口にしただけで出掛けて来た人々の為に、朝食向きの料理が湯気や香りを立てる。東からの低い陽射しも食欲を誘う。煮餅チョーピェンの類などはどこでも食べられるから、張政たちはもっと珍しい物を探す。探すといって別に目を皿にする程の事も無く、そんな物はすぐに見付かる。

 目に付いた店には「胡飯コーブァン」という看板が掲げられている。そこでは鉄板の上にこむぎこを薄く伸ばして焼いている。焼き上がると、細長く切った酢漬けの瓜、炙って割いた肉、他の生野菜をその中に巻く。指を広げて測る程の長さになるので、二本並べて三つに切り六個とする。これに芹と蓼を酢に和えたタレを付けて食べる。

 胡餅コーピェンというのは、この頃各地に広まっているが、楽浪ラクラン地方の様な東の辺境ではまだ作られていない。脂と蜜を麪に混ぜ、発酵させて、胡餅炉で焼く。胡餅炉は筒型で、上が狭く下が広い。麪は捏ね上げて手頃な大きさの平丸にし、胡餅炉の内面に貼り付ける。表面には胡麻が撒いてあり香ばしい。

 膏環カウクァンは、もちあわの粉を水と蜜で溶き、よく捏ねて丸め、前腕より短い程の長さに伸ばし、曲げて両端を繫いで環状にし、油で煮る。

 細環餅セイクァンピェンは、麪を水で溶くのに蜜を加えて調え、紐状に伸ばして、それを何本も束にし、両端を付けて円環形にし、油で揚げる。蜜の代わりに棗の煮汁を使ったり、牛や羊の脂、或いは乳を加えた物も有る。しっとりとしてほろほろと崩れる。截餅ゼツピェンは、乳だけで麪を溶いて油で揚げる。口に入れるとすぐに砕け、雪の様に脆い。

 胡羹コーカンは、羊を煮て葱頭たまねぎ、香菜、石榴の汁を加えて味を調える。胡麻羹コーマーカンは、磨り潰した胡麻を煮た汁に、葱頭と粟を入れ、粟に火が通るまで加熱する。酸羹スァンカンは、羊の腸、あめゆひさごの葉を用い、葱頭、小蒜にら、麪を入れ、みその溜まり、生姜、橘皮を加えて味を調える。

 食材は季節柄もあってか新鮮な物が少なく、干物や漬物が多い。豚や羊は多く魚は少ない。四方の物産が集まる京師とはいえ内陸とあって海産物は少ない。天下三分の時勢にて温暖な地方の産物も不足している。それでも全体として物の豊富さは辺境とは較べられない。

 珍しい食品はまだまだ多い。何でも食べてみたいという気になるが、別に機会は今日だけではないのだからと、二三の物を選んで張政は梯儁テイ・ツュン難斗米なとめ都市牛利としぐりと分け合った。張政は暇が有れば市場に通う。或いは四人連れで、都合によっては一人で来る。食事や衣服は朝廷からの支給で郡邸に用意されたから、買い物をする必要は余り無い。市場には声が溢れている。雑踏の中で言葉を聞き分けにくいが、すぐに耳が慣れる。客引き、値切り、雑話……。賑やかで朗らかな市場……。

 所が何度か通う内に、張政は奇妙な事に気付いた。洛陽の市場では漢人に雑じって夷狄の人も少なくない。烏丸オークァン鮮卑シェンピィキャンテイなどの人は、顔は漢人に近いが、それぞれに特徴が有る。キェツ人や胡人は、顔の彫りが深くて髯が濃いのでそれと分かる。外地に住んでいて、交易などの為に中国を訪れる人は、そのまま異俗の服装をしている。だがそればかりではなく、漢人と同様の服装をしている姿も見える。それは傭兵として官軍に従う者とその家族で、已に中国に移り住んで父子三代を過ごした家さえ有る。グェィ王朝の軍隊では、この様な帰化人が戦力として重みを持っている。こうした新来の人々の中に埋もれる様にして、古くからの中国人である漢人は、数の上では尚も最大の存在ではありながら、一段低い声で喋っているのである。

 ――今、この王朝はまだ三代目なのに、幼帝が立てられて権臣が政治を執っている。これは漢の最後と同じだ。董卓トゥン・タクの時と同じ事だ……。

 或る日、張政と梯儁は市場で食事をしている時、喧噪の中からこんな囁きを聞き取った。

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