帯水のほとり
劉太守の顔を視る機会もまずは有るまいという予想に反して、
「こんな外地では、天地がひっくり返るみたいなこともあるものなんだ」
「なぁに、このくらいは驚くほどでもないのさ。東の海の中には、
「ああ、東母神の国というのだろう」
などとあやふやな話しをしている。
どこかそわそわとしている兵士たちの間を抜けて、陣幕が張り巡らされた中に入って行く。劉太守は胡床に腰をかけていたが、落ち着いたという様子は無い。案内の者は、
「
と知らせる。
「おう、来たか」
と言って劉太守は立ち上がる。二人が型通りの挨拶をすると、
「両名、まずはこれを見よ」
劉太守は机の上を指した。そこには地図が広げられている。帯方とその南に続く
「この地図は正しいかな」
と劉太守に問われて、張政と梯儁は顔を見合わせた。それは急に作ったらしい粗略な地図だから、正しいと言えば正しくない事もないし、正しくないと言えばそうも言える。それに二人ともこんな風に地形を見下ろした事は無いのである。
まあ大体で良いのだ、と劉太守が促すと、梯儁が答える。
「大まかには宜しいかと存じます」
そうか、と劉太守は言って、ふむ、と独り頷く。
「郡の者に訊けば、
との御下問である。そういうことなら話しは難しくない。まずは梯儁が韓地について説明する。
韓は、帯方の南に在り、東西は海を以て限りとし、南は倭と接している。面積はおよそ方七百里――一辺が七百里の正方形に相当する広さ――である。韓人には
次に倭地について説明するのは張政の役割である。
倭は東南の大海の中に在り、或いは小島に一ヶ国、或いは大島に数十ヶ国を
「この海峡が倭と韓の境をなしています」
と言った所で張政は一度説明を切った。その地図には、対馬までは自身の経験に照らして道を辿れる形で表されているものの、そこから先はかなり不確かに見えるし、図面上で十分な広さを与えられていない。
(地図を作るので呼ばれたのだろうか?)
と張政はさっきから疑っている。どうもそんな雰囲気ではない。一方で海をよく知らない劉昕は、海峡という耳慣れない熟語から何を想像して良いのか判じかねている。峡と言えば左右から高まりが迫った地形を指すが、海の峡とはどんなものなのだろうか。そこで劉昕はふと、
「その東南の大海というのは、一体どのくらいの広さがあるのだ」
と問いを発した。張政と梯儁はまた顔を見合わせた。海の広さなどというのは有りうべき質問ではない。劉太守はどうやら、この楽浪地方と大陸を隔てている海くらいの小さい海域から、海全体というものを類推しようとしているらしい。その海域を楽浪人は西海と呼んでいる。西海でも海には違いない。しかし本当の海というのはそんなものではない。
「海の端を見たという人は一人もおりません」
と張政は答えた。
(ちぇっ、おれが海を知らないと思って
劉昕はそう思った。何にでも限りが無いはずはない。しかし自分が海を知らない事に違いはない。まだ聞き出さなければならない事が有るのだ。
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