帯方郡の張政

 張政チァン・センは、あざな子文シェィムンといい、ハンの献帝の建安二十年(西紀215)に帯方タイピァン郡帯方県で生まれた。本籍は楽浪ラクラン郡に在るが、父のシァンが帯方郡の設置に伴って転勤し、帯方県に住んでいたのである。張家は代々楽浪郡に仕える官吏を出す家柄であった。漢の武帝の時、楽浪郡が置かれてより以来このかた、高官というものは皇帝に任命されて、中国から遙々やって来るものであったが、下役は現地でワイ人を採用するのが原則であった。こうして官人層となった濊人は、漢人と婚を通じ、漢服を着て暮らし、漢語を話し、漢文を読み書きする技術を身に付けた。尤も混血が始まったのは、旧朝鮮テウシェン国時代からのことではあった。長く交わった為に、漢人と濊人の区別はもう曖昧になっている。強いて言うならば、公的には漢人、私的には濊人、というのが、張政の様な楽浪官人の意識になっている。

 帯方郡は、人やカン人との交渉を管轄し、張敞もその任に当たっていた。連絡を取る必要から、帯方郡に住む倭・韓の人々も多い。そこで張政も、幼い頃からそうした人々と交わって、年少にして通訳ができる程になった。若くして郡に登用され、外交に携わる役人となって、帯方と倭・韓の諸国とを往復する生活をしている。

 グェィの景初二年(238)秋、司馬仲達シェィマ・ヂュンダツ公孫淵クンスォン・ウェン襄平シャンビェン城に追い詰めた頃、朝廷は別に水軍を出して楽浪・帯方両郡を衝いた。皇帝が新たに楽浪太守に任命した鮮于嗣シェンウー・ジェィと、帯方太守に指名された劉昕レウ・ヒンがこの水軍を率いた。公孫氏の方では陸から攻められるものとばかり考えて、戦力を全て遼東レウトゥン郡に集めていたので、楽・帯両郡は直ちに魏王朝の手に入った。ただ張政は、帯方城に劉昕の軍隊が入るのを、その目で観はしなかった。というのは、倭人の使節と会見する用が有って、南の大海に面した韓地の港市まで出向いていたからである。

 張政が帯方のまちに還ったのは、已に公孫淵が殺された後、八月も末の事であった。郡が魏王朝の支配に帰したという事は聞き知っている。しかし帯方城はいつもと変わりなく見えた。今までは漢王朝の制度に則って赤色の旗を掲げていた所が、魏王朝に従って黄色のものに換えられていたのが、少しは目新しいくらいである。中国で革命があってから十八年、ようやくこの辺境にも時代の風が吹いたというわけだ。後で親しい先輩役人の梯儁テイ・ツユンに聞くと、ここでは別に戦闘というものは無く、ただ高官数人が逃亡を図って殺されたということであった。

 梯儁は、字を高雄カウユンという。身分や経歴は張政と似ている。張政からは五歳の年上だが、仲が良くて同輩付き合いをしている。張政は父が楽浪郡に帰任したので帯方県に一人暮らし、梯儁も嫁が無くて気楽な身の上、この日も張政が旅から帰るのをすぐに見付けて、梯儁はひょいと張宅に上がり込んだ。

「やあ子文。ああ、君も一緒か」

 と言って梯儁はもう一人の男に目を送った。張政は一人の倭人を連れていた。年格好は張政と同じくらいで、名を難斗米なとめといい、倭人の名家難王なわう氏の一族である。難斗米も目で答える。難斗米は少年の頃に何年間か帯方郡に滞在していた事もあり、張政とは旧知の間柄で、片言の漢語で会話する事も覚えている。ただ倭人の口には張政チァン・センという音は言いにくいので、と訛る。子文シェィムン梯儁テイ・ツュン高雄カウユン帯方タイピァン楽浪ラクランである。逆に張政や梯儁はを中国風に難斗米ナン・トウメイと呼んでいる。

 梯儁は、張政が留守中の出来事、新太守劉昕が入城した次第についてかいつまんで教えてくれる。そして、

「これからおれたちの身分がどうなるかだな」

 と、さして心配でもなさそうに言う。これについては張政も特に心配はしていない。魏王朝からは高官が派遣されて来るだけのことで、別に下役になる人材の出所が有るわけでは無いから、どうせ自分たちがそのまま働く事になるに違いない。自分の様な下役には誰が主君になっても大した違いは無い、新太守の顔を視る機会が有るかどうかさえ怪しいものだと思う。梯儁の思う所はまた別であった。

「まあわが郡も中国に通じたからには、洛陽ラクヤンに上る機会がないこともあるまいな」

 と梯儁は言う。洛陽と言えば、上古にシウタンが開いた成周ジェンシウの地であって、近代では光武帝の中興より二百年、漢王朝の京師みやこであった。そして今は魏王朝の皇城である。そのまちは漢末に奸臣董卓トゥン・タクによって焼き払われたとはいえ、その後曹操ザウ・ツァウによって再建の事業が興され、今上の代になってからは更に華美を益したと伝えられている。真新しく、きらびやかな大都会、まさしく文明の中心地、梯儁はそう想像している。

「すると哥々あにきは計吏にでもなるつもり?」

 と張政はからかう。計吏とは会計関係の役人で、上計吏になれば朝廷に報告をするのに公務として上京する機会が得られる。しかしそれには何かと要領が良くなければならず、好哥々いいあにきには難しそうだと張政は思う。

「なに、上計吏の荷物持ちくらいにはなってやるさ」

 と言って梯儁は哄笑した。難斗米は静かに二人の会話を聞いている。

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