三国志外伝 張政と姫氏王
敲達咖哪
文明の波濤
楽浪郡治は、朝鮮県に置かれた。朝鮮の地は古くから、中国に戦災などがあると、北回り陸伝いに、或いは内海に舟を浮かべて、難民たちが流れ込む所であった。ここに
楽浪郡には、
漢の統治が衰え、
献帝の建安九年(204)、度が死んで、子の
公孫康が死ぬと、弟の
太和二年(228)、公孫康の次子
景初元年(237)、天子は
今や公孫氏は魏王朝にとって明らかに伐たざるべからざる敵である。景初二年(238)、皇帝は太尉の
「淵は如何な計略を以て君を待つであろうか?」
仲達が答える、
「城を棄てて予め逃げるなら、淵の為には上策というもの。遼水を堀として我が軍を
「然らば実際にはどうなるであろうか?」
「ただ明智なる者だけが、彼我の戦力を慎んで察し、予め居る所を棄てる事があるものですが、これは全く淵などの及ぶ所ではありますまい。我らは遠征軍を出すのですから、持久することができないと思い込んで、必ずまずは遼水で拒ぎ、後には城を守るでありましょう」
「どのくらいかかるであろうか?」
「往くに百日、攻めるに百日、還るに百日、六十日を休息とします。一年にて足りましょう」
かくして司馬仲達が陸路遼東を征伐する。長雨に降られて遼水が溢れたとしても、今度は船を仕立てて兵粮を十分に運び込む様に用意をしてある。
これとは別に、水軍が編成され、海を越えて楽浪・帯方両郡を収める手筈である。
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