アシュ=ダール(2)
陽が暮れて、アシュはハッと我に返った。
「ヤバい。母さんに叱られる」
名残り惜しくはあるが、一度、この場から離れて森を出る。だが、走りながらも、あの強固な結界の存在に心が躍っていた。
どれだけ試行錯誤しても解けないものだったからだ。
まるで、自分だけの宝物を見つけた心地だ。その場を離れるのは、少し寂しいような気もしたが、仕方がない。
家に帰ると、母のジーナが怒り肩で待っていた。
「ひっ……」
「おっそい! こんな夜遅くまで何してたの!?」
「ちょ、ちょっと友達と遊んでて」
「嘘つかない! あなたに友達なんているはずないんだから」
「くっ……」
母親の台詞とは思えない。
「いいから、早く食べよう」
食卓で、父親のトマスが、酔っ払いながらつぶやく。酒を飲んでいるからか、今日は機嫌がいい。
「はぁ……わかりました。アシュ、次やったら許さないからね」
「う、うん」
返事をしながらも、逃げるように食卓に向かう。夕ご飯を食べていても、先ほどの超高度な結界が頭から離れない。
「アシュ……キチンと噛みなさい」
「……うん」
「ニンジンも食べるのよ」
「……うん」
「はぁ。ダメね、こうなったら、何も受け付けないんだから」
「……うん」
「ったく。農家の息子が、何を考えることがあるんだか」
「……うん」
言葉として会話は聞こえてくるが、頭には入ってこない。どのような理論で、あの結界が構築されて、どのような形で分解を試みるか。グルグルグルグルと脳内にそれだけが巡り巡る。
「ご馳走様」
なんとか食事を済ませて、洗い物をして、シーツを被る。父親はすぐに酔っ払って眠ってしまう。問題は母のジーナだ。
「ところで、アシュの学校は決まったのか?」
「うーん。私は魔法学校に行かせてあげたいけど」
「平民出身の魔力持ちだぞ? 貴族どもに迫害されるのがオチだろう」
「でも、アシュは本当に勉強が好きで、その能力を伸ばしてあげたいのよ」
「農家の息子が魔法ができてどうするんだ? 全く意味がない」
「……アシュは、将来、別の仕事につきたいって思うんじゃないかしら」
「あり得ない。農家の子は農家を継ぐものだ。魔力を持ってたって所詮は平民だ。平民の子が貴族の真似事をしたって辛いだけだ」
「でも……」
「……」
また、いつも通り自分の進路で揉めている。アシュは来年が初等学校入学の年だ。最近、母と父(特に母)はこの話題でずっと持ちきりだが、あまり興味がなかった。
早く寝ないかと願っていると、父のトマスが根負けして、逃げるようにシーツを被る。母のジーナはため息をついて皿洗いを始める。
それから1時間後、やっと、ジーナも就寝した。アシュはそーっと家を抜け出して、再び森の中へと向かう。
「はぁ……はぁ……」
あまり時間がない。走りながらも、頭の中で理論を構築する。
「……っ」
森の中に入ると、先ほどとは景色が違っていた。夜になったからだけではない。一度、外に出ると再び入った時に、地理が変わるような魔法が組み込まれている。
「ククク……面白い」
アシュは再び目を輝かせて、感覚を頼りに結界の元へと進む。これほどの魔法で封印されているものは、なんなのだろうか。それを考えるだけで胸が躍る。
数時間後。やっと、辿り着いた。満を持して、その結界に触れた時、アシュは愕然とした表情を浮かべる。
「……嘘でしょ」
結界の魔法式が完全に書き換わっている。時限式なのか、一度この場を離れたからなのか。完全に
毎日、少しずつでも解き明かしていけば、いずれは解けるというアシュの目論見が、一瞬にして消え去った。
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