アシュ=ダール(1)


          *


 なんの変哲もない村の、なんの変哲もない家。いつものような朝が来て、いつものように母ジーナのハキハキとした声が響く。


「アシュ。いつまで本を読んでるの? 朝ご飯! 早く、朝ご飯を食べちゃって!」

「……」


 少年アシュ=ダールは、いつものように無視をして読者を続ける。


「ほいっ」


 !?


 ゴロゴロゴロ。床に敷かれたシーツを強引に引き抜かれ、黒髪の少年は転がりに転がった。


「ったいなぁ! な、何をするんだ!?」

「いつまでも本を読んでるからでしょう? 朝ご飯食べないと片付かないんだから、さっさと食べちゃいなさい」


 母親のジーナは、快活に笑いながら答える。仕方なくアシュはため息をついて食卓の前に座る。


 だが。


「くっ……」


「ほら、いただきまーす、は? いただきまーす。はい、アーン」

「……」


 悪魔が笑っている。


「なんでニンジン入れるんだよ!? 嫌いって言ってるじゃないか!」

「美味しく作ったから! はい、アーン」

「……」


 バシッ。


 カランカラン……


「……」

「……」


         ・・・


「あんたって子はーーーー!?」


 グーリグリと。ジーナは、アシュのこめかみをグリグリする。


痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛いだだだだだだだだだだっ! ぼ、暴力に訴えるなんて、汚い大人だ」

「食べ物を粗末にする者には、当然の報いよ! 農家の人に申し訳ないと思わないの!?」

「ぼ、僕が勉強して、偉くなって、農家が楽になるような魔法を考えるから、だから全然悪いと思わないよ」

「あー言えばこー言う! そんなことやってると、ロクな大人にならないわよ!」


 ワイワイ、ガヤガヤといつも通りの会話の応酬が始まる。ひと通り拒否をして、怒られ、口に強制的にニンジンを食べさせられた後、アシュは深いため息をつく。


「はぁ……ところで? 父さんはまだ起こさなくていいの?」

「昨日も遅くまでお酒飲んでたからね」

「……結局、母さんが全部やってるじゃないか」


 アシュは忌々し気につぶやく。ジーナは朝早くから起きて、麦畑のことも、家事もやっている。一方で、父親は飲んだくれだ。


「私がやりたくてやってるのよ」

「……僕も手伝うよ」

「子どもは外で遊ぶのが仕事。お友達できた? できないわよね、あなた性格悪いもの」

「くっ……」


 ズバズバと、ハッキリと、息子の心を容赦なく、屈託なく刺してくる母のジーナ。


「それより、早く食べちゃいなさい」

「だったら、ニンジン残していい?」

「ダ・メ」

「……ちぇ」


 アシュは面白くなさそうに、あきらめてニンジンを口に運び始める。


 朝ご飯が終わり、家の外へと出た。ジーナには、友達と遊ぶように言われているが、黒髪の少年にそんな気は毛頭なかった。


 いくのは、決まって森の中。そこに、アシュの秘密基地を作った。誰にも見つからない、自分だけが知っている自分だけの隠れ家。


「……あれ」


 アシュが森の中を歩いていると、なんとなく違和感を覚える。普段歩いていた景色に、なんとなく違ったものを感じたからだ。


 その違和感を辿りながら歩いていると、目の前に結界が張られていた。


「……なにか、隠したんだな」


 少年は、好奇心旺盛な瞳をキラキラとさせてつぶやく。そして、すぐさま解除の魔法に取り掛かる。


「ええっと……」


 アシュはこれまで、貴族の邸宅に忍び込んで、多くの結界を解除してきた。大抵隠されていたものは、金や宝石類だったが、盗みはしなかった。


 裕福な家じゃないので、そうしたいのは山々だったが、母のジーナが悲しむ顔は見たくなかった。


「……」


         ・・・


「……ぶはぁ! はぁ……はぁ……な、なんだこの結界。難しすぎる」


 驚愕の眼差しで目の前を見る。アシュは大抵の貴族の張った結界であれば、数秒もあれば解除できるほどの腕前だ。城の宝物庫に忍び込んだ時だって、数分もあれば解除できた。


 だは、目の前の結界は何時間費やしても、ビクともしない。


「ククク……面白いじゃないか」


 アシュは一人で笑って、引き続き結界の解除に勤しんだ。





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