リリーによって、壊滅的な被害を負った彼女たちは観念した。すかさず、ミラが雇用契約を彼女たちに申し入れた。実質的な従属である。もちろん、アシュによって味あわされた屈辱は、彼女たちの脳裏に焼き付いているが、それでも圧倒的な戦力差によって表面上は付き従うという選択を取らざるを得なかった。


 夜が更けた頃に。シルミ一族の村を離れて、一行は馬車を走らせる。生徒たちがクタクタになって眠る中、白髪の魔法使いが窓の外を静かに眺めていた。


「……月を見ていた」

「……」


 いや、知らんけど、とミラは思った。別に聞いてもないし、なんなら話しかけてもないのに、勝手に質問を想像して答えてきた。どう対処したらよいかわからなかったので、とりあえず無視することにした。


<<月よ その暖かな光で 悲しき亡者を 滅せ>>ーー聖者の微笑みシグラル・エレ


 アシュはつぶやき、シールを描く。もちろん、聖魔法が使えないため、発動はしない。しかし、一人。目を覚ました青髪の美少女、シスがそれを見ていた。


「なんですか、その魔法は?」

「なんだ、起きてたのか」


 闇魔法使いは、つぶやく。


「今まで、そんなシールは見たことないです」

「超広範囲浄化魔法。一帯を白い光で満たし、数百の死兵を殲滅する魔法さ。死兵は成すすべもなく立ち尽くし、やがてその身体は地面へと還る」

「凄い」

「ああ。凄かったよ。消滅しているにもかかわらず。それは、まるでいだかれているようだった」

「……」

「彼女がこれを編み出したのは、ちょうど君くらいの歳頃だったかな」

「誰ですか?」

「……」


 アシュは答えない。それがなぜなのか、シスにはわからなかった。


「不思議だな。光と闇は相克の関係だ。光が闇を滅し、闇が光を喰らう。互いが互いを反発し、敵対し合う……しかし、月は違う」

「……」

「月は闇がなければ、輝かない。光が闇にとって相生の関係が成り立っている」

「……」


 シスはアシュの言葉を黙って聞きながら、なにかを思い出しているのだとわかった。ミラといた時のことだろうか。それとも、もっと前の。聞きたいのに、聞けない。聞きたいのに、聞きたくない。青髪の美少女は、白髪の魔法使いの横顔を見つめながら、両手の拳をギュッと握りしめた。


「先生」

「ん?」

「私が、先生の光になっちゃ駄目ですか? あなたを照らす光に」

「……」


 シスは顔を真っ赤にしながら答えた。アシュは、少しだけ驚いた表情を見せ、やがて、フッと笑った。


「リリー君が太陽だとしたら、君は月だな」

「……太陽にも、月にも闇は必要です」

「そうかな?」

「そうですよ」

「……」


 アシュは答えない。その心の奥にあるのは、なんだろうか。シスは、どうしようもなくやらせなくなった。目の前にいる魔法使いと、同じ時を刻めないことに、ただこんなにも胸が苦しくなるなんて。


「これを読みなさい」

「……なんですか?」


 手に渡されたそれは、魔法書だった。著者には、レイア=シュバルツと書かれていた。


「僕には不要な書物だ。聖魔法が使えないからね」

「……それでも、大切なものでは?」


 ページが開かれた形跡がない。探究心の塊であるはずのアシュが、ついに開くことがなかった魔法書。


「なんで、これを私に?」


 シスは真っ直ぐな瞳で尋ねた。この本の価値がどれだけのものかは、すぐにわかった。そして、目の前の魔法使いが、どれだけこれを大事にしていたのかも。そして、これは本来、リリーが持つべきものじゃないかとも思った。


「月が太陽を必要とするように、太陽もまた月がなければ休むことができない。でなければ、夜が瞬く間に、染まってしまうから」

「……闇に染まることは悪いことですか?」

「さあ。月は虚いゆくものだから。僕は、水面に揺れる三日月も嫌いではないけれど」

「……先生?」

「ん?」

「なんだか、今日はいつものアシュ先生じゃないみたいです」


 そうシスが言うと、アシュはフッと微笑む。


「これも、僕さ」




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