注意
*
その頃、アシュは用意された家で、いつも通り椅子に座って本を読んでいた。超有能執事のおかげで、彼はいかなる時も高級ホテル並みの待遇を享受している。人里離れた辺境の小村に似合わなぬような豪奢な椅子。彩り鮮やかな食机。最高級のティーカップ。すべてを自分色に染めて、優雅にくつろぐのが彼のスタイルである。
その部屋は、もはや、旅の意味がないほど自室であった。
「さて。読書の時間もそろそろ飽きてきたな」
「官能小説を読書と言うかどうかは各々の価値観であると思いますけど、確かに時間としては3時間ほど経過しております」
「書物に貴賤はない」
「……」
本来は素晴らしい名言。それが、エロオカシイ主人によって、汚されているとミラは感じた。そして、そんな彼女のジト目をまったく気づくことなく、不感症魔法使いはダージリンティーに口をつける。
「さて、どう思う?」
「言葉とはそれ自体が重要ではなく、発する人が重要だと感じられる貴重な経験でした」
「ん? なんの話だい」
「書物に貴賤はないと言うアシュ様の発言のことだと思いますが」
「ああ。そのことじゃなく、生徒たちのことだよ」
「……」
なんの脈絡もないのに、わかる訳ねーだろ、と有能執事は思った。
「君は案外白状な性格なのだね。もはや、彼女たちはいつ死ぬかもしれない、絶対絶命のピンチなのに」
「……私は人形なので、性格があるかどうかはわかりかねますが、アシュ様に言われると、蟻が全身に這い上がってくるような感覚に襲われます」
「ふっ、それは興味深いね」
「……」
なぜかすべての罵詈雑言をジョークと誤解するアタオカ主人に、有能執事はもうなにを言っても無駄であると判断した。
「やはり、鍵を握っているのはリリー君だろうな」
「かなり苦しんでおられた様子でしたけど」
「そうでなくてはね。幻術使いとの戦いは貴重だ。せっかく、その場を用意したのだから、せいぜい苦労してもらわないと」
「……生徒の方々が負けることは考えないんですか?」
「まあ、あり得ないだろうな。他ならぬ僕が教えているのだから」
自信満々に答える闇魔法使い。確かに、アシュは教師として超一流の手腕を持つ。ただ、人として最低なので、それが激しく見え隠れするだけで。
「シルミ一族の者たちは、幻術に特化し過ぎた。なので、ハマる相手にはハマる。しかし、生徒たちはすでに多彩な解決法を学んでいる。その中に答えは含まれている」
「私自身、幻術にかからないので、その対処法については明るくないのですが、例えば?」
「闇魔法で言えば、その世界そのものを黒で満たせばどうなる?」
「……外部からは見えなくなります」
「そう。彼女ら幻術使いはあくまで対象を視覚で捕捉し、その世界を創り上げる。だから、視認できないことは彼女たちのそれを不安定にする。ミランダ君あたりが思いつき、ナルシー君あたりが実行するかな」
「……」
ミラは素直に驚いた。まさか、そんなことで幻術が解除できるとは。しかし、アシュは長年の闘争で、何度も何度も幻術に掛かっている経験を持つ。その彼がそうだと言えば、あながち現実離れした回答だとは思えない。
「試行錯誤だよ。生徒たちには無数の時間が残されているのだから、いろいろと試すいい機会だ。まだ、あと数個は思いつくよ」
「……」
アシュは得意げにツラツラと思うままに話す。例えば、彼女たちが幻術を施して小規模な自分たちだけの世界を創ること。例えば、時空間移動魔法で幻術世界を抜け出すこと。例えば、幻術そのものを忘れるように一時的に忘却魔法を自身にかけること。
「つまるところ、幻術とは当人たちの思い込みによるもので、やろうと思えばやれるのだよ。そう言う意識そのものの改変さえ行うことができれば、必然的にそれを抜け出せると言う訳だ」
「……」
なんで、こんなに優秀なのに、なんで、こんなに嫌われているのだろうか。ミラは心の底から不思議に思う。
「あとは……いや、これはやめておこう」
「なぜですか?」
「……もっとも速く簡単な方法の一つであることは確かだな。しかし、最も愚かしいとも言える」
と闇魔法使いが答えた時、大きな悲鳴が聞こえた。ミラがすぐに外に出ると、そこにはシルミ一族が散り散りに逃げ惑っていた。そして、彼女たちを追いかけながら倒していた少女は、他ならぬリリー=シュバルツだった。
「ああ、ミラさん。もう少しで片付きますから、少しだけ待っていてくださいね」
「……」
その言動に、有能執事は違和感を抱く。肉弾戦で薙ぎ倒していく様は、いつものリリーの戦い方ではないし、そもそもシルミ一族の女たちを人間と見てはいない。
それは、まるで、悪魔かのように。
「呆れたね。やはりオイリエットと手を組んだか」
あとから外に出てきたアシュが、悠々と近づいてくる。ミラは、反射的に主人の前に立ち防衛をする。目の前の相手は、それだけの危険性があると彼女自身が判断した。
「一刻も早くここから抜け出したかったんです。それに、もともとこうするつもりだったんでちょうどよかったです」
「……君は魅悪魔を従えたつもりかもしれないが、それは最も浅はかな答えだよ」
「あら? どうしてですか?」
いつものリリーとは違い、感情の起伏がない。魅悪魔と同化した影響からか、かなり悦楽的になっている。
「その主従関係は、君とオイリエットの実力に依存する。彼女に実力の及ばぬ君は、むしろ、彼女に従えられている状態だと言うことだよ」
「安心してください。私は手を組んでいるだけですよ。ねえ、オイリエット」
「……悪魔に魅入られた者は、みんなそう言うのだよ。自分だけは大丈夫だ。自分だけは御しきれると。そうやって、魂ごと悪魔に喰われるのだよ」
「フフフ……心配症ですね。なら、すぐに解いてみせましょうか?」
リリーはそう笑い。同化した状態からオイリエットと分離した。瞬く間に、金髪美少女はいつもの彼女に戻った。多少、息切れしながらも、身体的な異常は特に見られず、魅悪魔もまたすぐに姿を消した。そして、すぐに勝ち誇ったような、褒めて欲しそうな表情をアシュに向ける。
「ほら。ほらほら、大丈夫だったじゃないですか」
「……まあ、君の好きにすればいいがね。僕の望む答えを出すことが正解ではないし。ただ、注意するといい」
「注意?」
「寝る時も起きる時も食事をする時も彼女の存在を忘れてはいけない。身体を動かす時も、息を吐く時ですら、彼女の存在に気を配っておくことだ。さもなくば、ある日突然、君はもっとも大事な人を喰らっているだろうから」
アシュはそう言い残し、リリーに背を向けて自室へと戻った。
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