手品


 至極簡単なトリックだった。詠唱者の感覚を狂わせるなど、幻術の初歩の初歩。通常ならば、誰もが容易に気づくことができ、たやすく対処できるだろう。


 一人だけ魔法が使えないという事象が起きれば、原因は詠唱者にある。そんな簡単な因果関係に気づかなかったのは、シルミ一族の巧妙な幻術によってである。


 彼女たちは幻術で世界を改変して、生徒たちの意識をそれに向けさせた。あたかも、万能である神のように振る舞うことで、対象者の魔法そのものを封じることができることを納得させた。


 リリー以外の魔法使いは、事前に彼らの魔法を見せていないので、詠唱チャントに至るまでの改変を行えなかった。それでも違和感を覚えなかったのは、シルミ一族が幻術世界のすべてを掌握できると勘違いさせることができていたため。


 大規模な仕掛けにこそ、細やかな用心をしなくてはいけないのだ。


 かつて、アシュは授業でそう説いた。事実、この闇魔法使いは、何度もこの類の手法で敵を騙す。ド派手に振る舞う裏で、本命の罠を仕掛ける。


「フフ……ウフフフフフッ」

「り、リリー……なにを笑ってるの?」


 自身の掌を見つめながら笑うリリーに、シスが恐る恐る訪ねる。その笑みは、魔法を放つことができた安堵感と言うより、相手の挙動を楽しむかのように。


 この金髪美少女にとって、小細工と言うのは取るに足らないものだった。すなわち、それは弱者の知恵であり、絶対的強者ーー例えばヘーゼン=ハイムほど実力をつければ、完膚なきまでに叩きのめせると思っていた。


 しかし、現実は違う。クラスメイトやアシュの助言がなければ、確実に殺されていた。魔法使いの戦いというのは、単なる魔法比べではない。互いのすべてを駆使し、生死を勝ち取ることなのだ。


「面白いじゃない」


 リリーは不敵に笑った。そして、躊躇なく詠唱チャントする。その細い指で華麗に魔法陣をなぞらえれば、深淵の黒き光が放たれる。


<<煉獄の使者よ 我と共に 死の山を 築かん>>


 召喚されたのは、魅悪魔オエイレット。漆黒の肌と髪が紅の瞳を一層際立たせ、綺麗すぎる輪郭とシルエットは、傾国の美女のような禍々しさを連想させる。しかし、それにも関わらず、華奢で弱々しそうにも見えるその姿が、とめどない悪寒を抱かせる。


「……我を呼んだのは……またお主か」


 オエイレットが呆れた視線をリリーに送る。


「幻術は精神に作用を及ぼす。なら、精神そのものを操れるあなたにはお手のものでしょう?」

「……確かにそうじゃが、主の願いをきいてやる義理はないぞ? むしろ、よくぞ駒遣いのように扱うてくれたものじゃの?」

「……っ」


 その刺すような威圧プレッシャーに、金髪美少女の全身に鳥肌が立つ。さすがは、中位悪魔。並の胆力では、ことごとく潰される。主導権を取らせれば、たちまち魂ごと喰われてしまう。


「オイリエット。あなたは悔しくないの?」

「……なに?」

「現世に召喚されるにあたって、悪魔の能力は著しく制限される。だから、あなたは単独では人間にすら敵わない」

「……」

「ヘーゼン=ハイム」

「……」

「あなたが、かつて完全敗北を喫した相手。悪魔でありながら人間に負けたことを、あなたの自尊心は許容できるのかしら?」

「……挑発には、乗らん。第一、あの人間はすでに死んでいる。儚く短い命しか持たない虫けらに、興味などはない」


 禍々しき笑みを浮かべる魅悪魔に、金髪美少女もまた、心の中でほくそ笑んだ。興味がないと言っておきながら、彼女はヘーゼンの死を認識していた。それは、オイリエットの欺瞞を如実に現している。


 リリーとって、さきほどの言葉は導入に過ぎない。いわば、擬餌だ。


 そして。


「アシュ=ダール」


 ぽつりと、確信をつぶやく。


「以前、あなたの心と同化した時、あの人に対するとめどない嫌悪感を感じたわ。そして、今なお彼が健在であなたはそれを放置している」


 それは、過去にアシュとなんらかの繋がりがあると言うことだ。一度でも会えば十分……いや、十二分。リリーには魅悪魔の圧倒的不快感が手に取る様にわかる。


 それは、ヘーゼン=ハイムを上回ると確信していた。


「……お主が、あの化け物に勝てるというのか?」

「むしろ、私以外に勝てる人間がいるのかしら?」


 リリーがオイリエットならば、駆逐できるものなら、駆逐したいはずだ。しかし、アシュに手を出さなかったと言うことは、彼女自身の力が足りていないということ。


 魅悪魔は単体では他の中位悪魔に及ばない。よほどの代償をかける魔法使いを用いなければ、戦悪魔と滅悪魔の両翼を要するアシュには歯が立たないだろう。


 金髪美少女は、魅悪魔と共闘すると持ちかけたのだ。


「……あやつは、お主の教師じゃろう? 敢えて反旗を記す保障があるのか?」


 そう尋ねた時、リリーは禍々しき笑みを浮かべた。それは、魅悪魔に取り憑かれたような、凶悪な微笑み。


「あなた、? 教師と生徒という関係性なんて、障害になり得ないということが」

「……クク。やはり、面白き娘じゃ。よかろう、気まぐれに力を貸してやるか」


 魅悪魔オイリエットは、同じく禍々しき笑みをリリーに浮かべた。

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