娘(2)
とは言え、エロールが正室の娘であり、皇位継承権が第一位であることは間違いない。そして、太陽宰相と呼ばれるまでの莫大な権力者のフェンライが、いわゆるNTRに遭っているなど周囲に悟られる訳にはいかない。
密かに、そのような小説を読んでいるにしても。
興奮対象にしても。
絶対に知られてはいけないのである。
「……そう言えば、後学のために庶民を相手に商売をしているようだな」
「お、覚えてくださってたのですか?」
エロールのパアッと顔が明るくなる。一方で、フェンライの気持ちとしては複雑である。こんな娘がいたらと願って、理想的な娘ができたというのに、それが自身の子でない可能性が著しく、高いなどと。
「やはり、庶民の中にも勉強熱心な者たちはいました。彼らはお金がなくとも、少ない賃金の中やりくりして、書物を購入しようとしてます……一方で貴族であってもどうしようもない者も」
「……と言うと」
「自らの知識をひけらかすことで誤魔化しながら、お目当ての官能小説を買い漁ろうとする、恐らく貴族でしょう。風貌は異様でしたが、大した富豪のようでした。やはり、庶民であっても、有能な者はいますし、貴族であっても、クズはクズでした」
「そうか……ぶひっ。それは、いい勉強をしたな」
フェンライは、愉快そうに豚鼻を鳴らす。
愚かな娘だ。
エロールが見ている光景は、所詮自分が見たい景色を見ているに過ぎない。現実に統計を取れば、勉強熱心な庶民などはごく少数で、他はどうしようもないクズばかりであるとわかるはずだ。
何かを売ろうと思った時には、少数を見るのではなく、多数を見ることがより重要になってくる。それなのに、理想主義者は少数に着目し、そんな事象もあるから見捨ててはいけないと、脳内にお花畑が咲き乱れているような博愛主義を撒き散らす。
そんな風に馬鹿にされていることなど知るよしもなく、エロールは今がチャンスとばかりに身を乗り出す。
「今、お父様が困られていることがあれば、私は是非力になりたいんです」
「……なに?」
「い、いえ。もちろん、私のような未熟者がお父様のお力になれるなどど、おこがましいとは思いますが。ただ、もし何かできるのであれば」
「……」
ここで、フェンライは考える。アシュ=ダールの弱点は、明白である。史上稀に見る……いや、恐らく一番性格の悪さによって、とにかく女にモテない。
それゆえ、これまで何度もハニートラップを仕掛けようと思ったが、アシュには有能執事のミラが張り付いているので断念していた。
しかし。もし、ハニートラップを仕掛けるのが、我が娘であったなら。目下、自身の後継者と呼び声の高い娘であったならば。さすがに、そんな者をハニートラップに使うなどとは夢にも思うまい。
さすがに、娘のエロールも無事では済まないだろうが、むしろそれが都合がいい。恐らく、性悪ド変態真正キチガイ魔法使いによって、エロールは精神的に再起不能になるだろう。しかし、後継者候補は他にもいる。
継承順位第二位の次男、ジグダリオは外見的には確実にフェンライの血を引いている。それが、また無能で愚かで、そこがまた可愛らしいのだ。
「ぶひっ……ぶひひひっ……」
「お、お父様。どうかされました? そんなに、よだ……」
「なんだ?」
「い、いえ」
エロールは、よだれを垂らしている父親の姿を、見なかったことにした。
「我が愛する娘よ。お前の提案は本当にありがたい。お前がもし、嫌でなかったら、非力な私を手伝って欲しい」
「は、はい! もちろんです」
「しかし……敵は強大で、私の力など及ばないほどの魔法使いだ。我が国が全戦力を傾けても、倒せる保証がないくらいに」
「そ、それほど強大な相手と戦っておられたのですね。さすがはお父様です……でも、それでしたら、私なんかがお役に立つかしら」
エロールは不安げに唇に指を当てる。
「いや、我が愛する娘よ。そなたにしか、任せられない重要な仕事がある。しかし……いや、やめよう」
フェンライは大きく首を振る。
「どうしてですか!? ぜひ、私にお任せください」
「この任務はかつてないほどの苦痛が伴う。そんな過酷な任務を我が愛する娘に任せられるはずがない。別の手を考えよう」
「いいえ! いいえ、お父様。私は必ずやり遂げてみせます。どんなに、辛い任務でも、お父様のためなら、最後まで必ずやり遂げてみせます! どうか、私にお任せください!」
「……そうか。わかった。エロール……お前の覚悟は充分に伝わった。もう、これ以上の言葉は不要だな」
フェンライは顔を下に向けて。
笑いを噛み殺しながら。
咽び泣くフリをしながら。
震える声で伝えた。
アシュ=ダールという男を誘惑しろ。
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