拒絶
「ぶひいぶひいぶひいぃいい!」
「い、威勢がいいなこの豚は!」
「全力で嫌がっているだけだと思いますが」
断固拒否するフェンライ。当たり前だ。縄を首につけて、裸で散歩。自尊心の高いフェンライにとって、絶対に見られたくない――いや、大陸中の誰もが見られたくない姿だ。そんな豚を、なんとか引っ張ろうと奮闘しているアシュ。冷静に分析するミラ。
「そもそもアシュ様。一般的に豚は飼育するもので、犬などのようにペット化するような習慣はないと思われます」
「ああ、そうだよ。あくまで、この地方ではね。だが、豚を神聖なものとして崇める地域もある。とすれば、僕の意志で僕の所有物をどうしようと構わないという訳だよ」
「……」
「ふっ……ミラ。それに、僕を一般人と一緒にしてもらっては困るな」
「……失礼しました」
そうだお前、キチガイだったな、と思い直した美女執事。
「ぶひいぶひいぶひいぃいい! ぶひぶひぶひぶひいいいいい! ぶひっ、ぶひっ! ぶひいいいい!」
一方で豚は必死に哀願する。
「なにを言っているのかな? 不勉強で申し訳ないが、僕は豚語はわからないよ」
「……っ」
ニッコリ。
謙虚に、はにかんだような笑みを浮かべるアシュに、フェンライは絶句する。言語の未習得? いや、謝罪ポイントが、絶望的にそこじゃない。むしろ、他の全ての項目にちりばめられているにも関わらず、一番どうでもいい謝罪を受けてしまった。
同時に、フェンライは自身が豚であるという事実をあらためて認識した。どうやって、この想いを伝えればよいのだろうか。人種間の違いどころではなく、種族の違い。捕食する側とされるの圧倒的な隔たりが、こうも大きい障害になるのだと思い知らされる、豚。
「アシュ様。恐らくですが、凄く嫌がっているんだと思います。『行きたくない、行きたくない』と鳴いているんだと思います」
「……君は、豚語が話せるのか?」
「いえ。フェンライ様の様子を見て、なんとなくですが、そう思いました」
てか、気づけよと、ミラは心の中でつぶやく。どう見たって、嫌がっている。超絶に嫌がっているこの様子を見て、なにも思わない方がどうかしている。
しかし、アシュはなぜか安堵の表情を浮かべる。
「ふぅ……安心したよ。ミラ、君がまさか他種族の言語まで習得しまったのかと危惧してしまった。つい、『そこまでの傑作を創り出してしまったのか』と、自身の才能に恐怖してしまったよ。気をつけてくれたまえ」
「……申し訳ありません」
死ね、と端的にミラは願った。
「しかし、ミラ。君の所感だと、嫌がってるということだが……そう見えるのかい?」
「むしろ、そうとしか思えませんが」
「ふむ……確かに僕は、少しだけ他人の心情に共感する能力が欠落している。それは、自己分析できている。そうか、この豚はそんな風に感じているのか」
「……」
なにやら深く考え始める盲目魔法使いに、ミラはジト目で見つめる。
見てわかるだろと思うが、見てわからないのがアシュ=ダールという男である。この男は、まるで無邪気な子どもだ。元々そうだったのか、長年の生がそうさせてしまったかは定かではないが、他人の気持ちを慮る能力がない……いや、ほぼまったく、限りなくゼロに近い……いや、限りなくゼロに等しい。
「ぶ……ぶひぃ」
一方で、フェンライは想いが伝わったと狂喜する。やはり、ミラは優しい。この一ヶ月間、まったく嫌な顔をすることなく、彼女は自分の世話をしてくれた。笑顔を見せないが、本当に心の底から好きだ。この子は自分が豚を卒業して、成り上がった暁には、アシュを飼育して、ぶっ殺して、ミラを解放して、我妻に――「それは、いけないな」
「……ぶひっ」
・・・
時が止まった。
「どういうことでしょうか?」
「過去の僕は『豚になれ』と言ったのだろう? だったら、豚が僕の言語を解する訳はない。博識で超天才な僕だって、豚語がわからないのだからね。だったら、この後にどうするかはわからないはずだ。そう言う意味だと、まだ、彼は豚になりきれていない」
「……単に散歩が嫌だということではダメですか?」
「ダメだね。豚が精肉されるのが嫌だと言えば、肉屋は精肉をやめるかね? 仮定だとしても、前提条件は忠実に勧めるのが研究者の条件だよ」
「……かしこまりました」
もはや、なにに対してツッコんでいいのかがよくわからないが、とにかく主人の決意は固かった。こうなってしまっては、ミラには覆す機能は持っていない。
「わかってくれて嬉しいよ。いいか、フェンライ。恥を捨てたまえ。自尊心を捨て、人間の殻を破って、心の底から豚になるんだ。そうすれば、羞恥心など感じない。過去の僕が君に見たいと言っていた覚悟とはそういうもの……だと思うよ?」
「……ぶひっ」
「さあ、行こうか」
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