優しい


 首に縄をつけた状態で、裸の男を引き連れながらアシュは歩く。その場所は、フェンライにとっては、よく見た見慣れた光景だった。のどかな田畑に、汗水働いて働いている村人たち。


 もちろん、彼の所有領である。


「こうして気分転換に来たのは、久しぶりだ。春の陽気が本当に気持ちいいね」

「……ぶひぃ」


 もはや、ヤケクソであった。自分は、もう選んでしまった。このキチガイ野郎と交流するに至ってしまった。時を戻せることなら、絶対にこの男には関わらない。だけど、戻せないから。過ぎ去った時を元に戻すことはできないから。


 そんな想いを込めて、ぶひぃと鳴いた。


 そんな中、恐怖の表情を浮かべて村人たち。何事かと、人々が遠くに集まってくる。当然だ。こんな異様な光景は、彼ら平凡な生活をしている者は見たことがないだろう。不思議と、フェンライの顔に羞恥は芽生えなかった。自分は豚だ、自分は豚だと何度も心の中で言い聞かせ、外の声が理解できないふりをした。


「……ねえ、なにアレ」「気持ち悪い」「あれって、よく見たら領主様じゃない? 何やってるの?」「あの白髪の男は誰」「なんで裸なの? 不気味」「異様」「異常」「気持ち悪」


「……っぶひぃ(無理)」


 嘘。滅茶苦茶、頭に入ってくる。むしろ、普段は領民の言葉など全く耳を傾けなかったのに、殊更に入ってくる。


 そんな中、トコトコトコと近くで遊んでいた無邪気な子どもが、こちらに近づいて来た。その子は、地べたで這いつくばっているフェンライをジッと見てアシュに尋ねる。


「ねえ、なんでこのおじちゃんは豚さんの真似をやってるの?」

「やりたいからに決まってるじゃないか……やりたくもないのに、こんなことをやるわけがないじゃないか」 

「……ぶひいっ!?」


 ニッコリ。


 子どもにすら容赦のない笑顔のアシュ=ダール。確かに、望んでいるというのは間違いではない。これが、強制でないことは確かだ。ただ、こんなことになるとは思わなかったから。こんなことになるなんて、まったく、思わなかったから。


「ふーん。変だね」

「ちょ……こっちに来なさい!」


 近所のおばさんっぽい人が、急ぎ足でこちらに走ってきて、急いで子どもの収集を図る。そして、子どもから情報収集した後、それを村人に伝えて、更にガヤガヤが拡がる。


「趣味でやってるんですって」「えっ!? じゃあ、アレを自ら望んでやってるってこと?」「なに、それ。本当に気持ち悪い」「でも、そんなことしてそうな顔でしょう?」「あー、なんか納得。豚鼻も印象的だったし」「そんな変態領主嫌だよな」


「……ぶひぃ(ひどい)」


 フェンライは鳴いた。泣きながら、鳴いた。わなないた。村人たちは領主の心配をするどころか、口々に罵詈雑言を口にしてきた。少なくとも、領民には善政を敷いてきたと自負していた。税金も他領よりも遙かに軽いはずだ。しかし、こんな仕打ち。


 自分が人間に戻ったあかつきには、絶対に許さないと豚は心に誓った。


「……フェンライ、彼らの表情を見たまえ」

「……」


 がっつりと無視をした。なぜなら、彼は今、豚だから。


「怯え。恐怖。疑念。僕は常に彼らのような表情を浴びてきた。なぜだかわかるかね?」

「……」


 キチガイだからだよ、と側にいるミラは心の中で横やりをいれる。


「今、彼らは自分の常識に照らし合わせているのだよ。自分の理解を超えるものに関しては、あのように受け入れることなく拒絶してくるんだ。僕らから言わせれば、彼らだって似たようなものだけどね」

「……」


 その時、フェンライは初めてアシュに視線を向けた。


「だって、そうじゃないか。税という名の不条理な搾取を受け、自ら望んでいもいない仕事をただ与えられこなしている。それが、豚とどう違うのかな?」

「……」

「フェンライ。君が人間に戻った時は、彼らを豚だと思うようにするといい。豚を満足させるにはどうすればいいか。簡単だ。飢えさせずに適度に運動させるのさ。簡単だろう? 君に優しくない者たちに君が優しくしてやる必要などどこにもない……まあ、これは僕の独り言だがね」

「……」
















 アシュ……優しいと心の中でフェンライは思った。

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