過去


          *


 誰にでも、夜は明ける……生きている限りは。


「ぜ、全滅だと……」


 ダルーダ連合国の国家元首ファンライ=ロウが、秘書の報告を震えながら聞く。

 派遣した兵士は3千人。もちろん、国家では精鋭級である。とてもではないが、小さな一団で対処できるような戦力差ではない。


「なにかの間違いじゃないのか!? イージーな報告ミスだったら許さんぞ!」

「い、いえ。アシュ一向の馬車は、依然としてこのダルーダ連合国へと向かってきて……というより、この首都へと向かってきております」

「ブッブヒッ……ブッブッブッブヒイイイイイイイィ!」


 間違いない。ヤツは……アシュ=ダールは間違いなく、ここへとやってくる。

 すぐさまファンライの脳裏に、過去の屈辱がフラッシュバックした。


 豚々ぶたぶたしい。かつて、アシュに優しくなでなれていた首元を、彼はガリガリとかきむしった。

 かつて、完全に飼育されていた時期がある。豚小屋で、豚としての生活。豚のように四足歩行で、豚のように地べたで飯を喰らった。


『ククク……君は本当に豚となるのが好きなんだね』

『ブヒッブヒッブヒィ……ブヒィ』

『おいおい、豚語は僕にはわからないよ』


 お腹を見せて鳴くファンライの喉を、アシュは優しくなでる。そして……かつて恋した彼女にも、その醜態を晒した。

 一介の田舎貴族にしか過ぎなかった彼は、家畜のようなこの扱いを嬉々として受け入れたのだ。


           *


 領地が肥沃な訳でもなく、特別な魔法が使える訳でもない。強力な配下がある訳でもない。ただ、体重が100キロを超え、近隣からは豚公爵と揶揄される始末。


 人生は退屈なものだと思っていた。強者である上位貴族に上納し、弱者である平民から搾取する。そんな無為な日々を過ごしていた。


 だが、突如として見知らぬ館が発見されたという報告が届く。不気味な黒鉄の塊で覆われた、禍々しき建物。そこの主人は、髪が白で覆われた男。


 そして、恐ろしいほどの美貌をもつ執事。


 一目見ただけで心が射抜かれた。幼い頃から一目惚れなど信じていなかったファンライが、息をすることを忘れたほどに。


 次の瞬間、抱いた感情は主人らしき男への憎しみ。端正な容姿も、屈折したような笑顔も。なによりも、このような美しい淑女を傍に置いていることも気に入らなかった。


 だが、ファンライは落ち着いていた。目の前にいる白髪の男の危険性を見抜いた。彼は、引き連れてきた衛兵が襲いかかるのを、瞬時に引き止めた。


「やぁ……僕はアシュ=ダール。君の名は?」

「……っ、ファンライ=ロウです」


 圧倒的な狂。この男は、総じてヤバい。そう結論づけた。だが、同時に。なんとかこの者を利用できないかと思った。一介の田舎貴族からの脱却。この男はその助けとなるんじゃないか。


 その日から、ファンライはたびたび禁忌の館へと赴くことになる。そして、この不気味な魔法使いは、彼の来訪を快く向かい入れた。


 アシュという男を知れば知るほど、破格の底知れなさを思い知った。最強魔法使いヘーゼン=ハイムの元弟子であること。裏の世界で『闇喰い』と呼ばれ、史上最も人を殺した魔法使いであること。


 なにより、国家規模の財を個人で保有しているということ。


 彼の後ろ盾があれば、このダルーダ連合国で成り上がることが可能だ。この地に足らぬものを、この男は全て兼ね備えていた。不死の兵を使った労働力。そして、莫大な財源。


「あの……相談が」

「ああ、ファンライ君。もちろん、友達である君の頼みだ。なんだって言って構わないよ。まあ、僕は男と付き合う趣味はないから、告白には答え兼ねるけどね…… ククク……クククククククククククククククククククククククク……ハハハハハハハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

「……っ」


 くだらないクソジョークだ。そうファンライが思った瞬間、白髪の魔法使いの眼光が光る。


「ふむ。君は冗談を解さないのか。感性の合わない人と付き合うほど、僕も暇じゃないのだが」

「……っ、ブハハハハッ、ブハハハハハハハハッ、ブハハハハハハハハ……ブヒッ、ブヒッ」

「おお、君はやはり僕と性格が合っているようだ……ところで、君の笑い声は面白いね。まるで、豚みたいだ。コツがあるのかな?」

「……ははっ、光栄です。ところで相談事なんですが」


 吐きそうなくらいに不快な会話をこなし、ファンライは人生を賭けたプレゼンテーションを始めた。それを、アシュは静かに聞いた。


 やがて。


「話はわかったよ。僕は君の友達だからね。協力するのはやぶさかではない。ただ……」

「……条件が?」

「そんなに難しいことじゃない。僕はただ、君の覚悟が見たいのさ」


 アシュはそう笑い。


















 

 ファンライの豚生活は3ヶ月続いた。

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