ある魔法使い
職員室で、アシュが満足げにダージリンティーを口にしていると、テスラが戻ってきた。
「……あなたの教えは間違っていると私は思います」
「そうかい? 僕は間違ってないと思うけどね」
「あなたの言っている事は、その一面しか映していないものです。人々の醜さだけを晒しているのに過ぎません」
「ククク……僕にはあなたの授業こそ、物事の一面しか映し出していないと思うがね。『人はこうあるべきだ』という美しさに酔いしれているだけだ。しかも、それがまったく的外れだったから副担任として意見させていただいたまでで」
「彼らは弱いのです。だから、寄り添い、互いに認め合う」
「それも、僕の考えとは違うな。彼らは弱いことを正当化するために群れて自らを誤魔化す。互いに監視し合い、相入れない者は残酷に排除するんだ。あなたが言っていることは単なる理想だよ」
「……人々は理想に向かって突き進むものです。それが彼らの原動力となり、希望となる」
「人々は理想をくじかれて初めて前に進めるんだよ。自らの立ち位置を理解し、新たなる一歩を踏みだす。そんな妄言をいつまでも吐いているから彼らは進歩しないんだよ」
「理想をくじかれても、人はなおそれを追い求める。それが、困難な道であることは承知です。歴史とは人々の理想の積み上げです。そうやって、少しずつ前に歩んでいるのです」
「違う。そんなだから、人はまだその位置なんだ。理想を描き、苦悩し、挫折する。人はその人生において何年その人生を無駄に費やす? いや、人生のすべてをそれに費やす者もいる。まったく嘆かわしいよ」
「……」
「‥…ある政治家がいたよ……僕は豚公爵と呼んでいるがね。彼も当初は君のような青臭い台詞を吐いていたので、僕が徹底的に教育してあげたんだよ。今や彼は太陽王と誉れ高き敏腕政治家だ。僕の教えどおり、よく民衆を調教している」
アシュは歪んだ笑みを浮かべる。
聖と闇。理想と現実。切り取る箇所は同じでも、見えているモノがまったく違う。
テスラは、現実に負けずに理想を貫くことを教える。あらゆる困難な事態にも信念を曲げずに生きていけば、いつかは理想に辿り着けると。しかし、アシュは『それは逃避である』と斬り捨てる。現実から目を背けるのではなく、現実を受け入れて別の理論を構築する。
それは、互いの生き方の証明でもあった。彼女は、ひたすらに神を信じ、その高い理想を体現することで、数百万も信者を惹きつけた。一方で、彼は仮説と実証を重ねることで、誰もが知り得ない真実に辿り着く。振り返れば、彼のもとには誰ひとりとしていなかった。
異なる意見のぶつかり合いで、職員室に不穏な空気が流れる。
「……あなたとは生涯意見が交わることはなさそうですね」
「そんなことないよ。夜景の見える高級レストランで、超一流のワインで乾杯して一晩中語らえば互いの未来も見えてくることだろう。ミラ、今日の席を確保しておきなさい」
「……かしこまりました」
ミラは密かにキャンセルまでの秒数を数えた。
「あなたが言っていることを、本当に生徒が信じると思いますか?」
1秒。金髪の美女がキチガイナルシスト鬼しつこ男の誘いを完全にどスルーするのに、1秒。手配の『て』の字までも至らないほどの即フラれは、もはやモテないという領域を超えてしまっている。
「ククク……さすが、アリスト教徒は言うことが違う。信じるかどうかなんて重要ではないんだよ。いや、むしろ僕は盲目に信じる輩を軽蔑するね。僕が彼らに求めることは狂信じゃない。さまざまな意見を取り入れて、体現し、自らの知識とすること。それこそが教師の勤めだろう?」
そして、フラれたことを完全になかったことにしたフラれ教師は、完全なシリアスムードでこの場を誤魔化すことに決めたらしい。
「……あなたを見ていると、一人の魔法使いを思いだします。その方もあなたと同じ闇魔法使いでしたが、あなたと同様孤独でした。彼は生涯、誰からも理解されることもなくその生涯を終えました」
「奇遇だね、僕もあなたを見ていると一人の魔法使いを思いだすよ。あなたがただひたすら目に見えぬ神を愛するように、彼もまた、理想の恋人を思い描いて死んでいった」
「……」
「……彼が哀れだったのは、現実に目を向ける勇気がなかったことだろう。彼には想う人がいて、婚約もしていたらしい。もし、彼が彼女の現実を直視する勇気があれば……まあ、これは仮定だがね」
闇魔法使いは、えぐるように聖魔法使いをながめる。
キーンコーンカーンコーン。
「予鈴がなりましたので、次の授業に向かいます」
「ああ……僕は少しティータイムを挟んでいくとするよ」
「……」
テスラは黙って教室を後にした。
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