教育
リリー=シュバルツには……いや、この場にいる全員が理解ができなかった。自称『至高の紳士』が言い放った言葉を飲み込むには、あまりにも、いろいろと足りていなかった。
「あの……アシュ先生」
「なんだね?」
「今……なんて言いました?」
「ふぅ……君は、喋ってばかりいるから、人の言葉が耳に入らないんだよ。『民衆とは、ゴミだよ』と言ったまでだよ」
「……」
どうやら、幻聴ではなかったようだ。
あまりにも、目の前の男がおぞましすぎて、自分の頭がおかしくなってしまったと本気で疑ったが、どうやら、目の前のクズの頭がおかしいのだと、金髪美少女は再認識した。
「んなに言ってるんですか―――――――――――――――!」
その声は、ホグナー魔法学校中に、響き渡ったという。
「な、なんだねうるさいなぁ」
「言うに事欠いてあなたって人は……」
「な、なにかおかしいこと言ったかな?」
キョトン。
キョトンである。むしろ、なにがおかしいのか、まったくもって理解できない様子。当然だろ。当然の如くクズだろ、と言わんばかりのキョトン顔である。
「ほ、本気で言ってるんですか?」
リリーはまるで私がおかしいことを言っているのかという錯覚に陥る。
「もちろん。と言うか、僕はこれに関しては出版して書籍に残している。まあ、民衆のようなゴミには必要のない知識だから、価格設定は通常の書籍の十倍の価格だがね。特別に今回はこの一小節を紹介してあげよう」
と、モゾモゾと教壇の引き出しから一冊の分厚い本を取り出す。題名は『統治論』。著レザード=ゼオライト――アシュが使用している
*
民衆とはゴミである。全生物の中で彼らは、最も醜く、低能で、利己的な集合体だ。普段は、権力に甘え、怯え媚びへつらうにもかかわらず、ひとたび弱みを見せれば、ハイエナのように襲いかかってくる。それは、常に彼らが加害者であることを望むからである。強者に対し決して逆らうことはなく、弱者に対してはどれだけでも残酷に傷つける。
権力者の汚職は彼らの自尊心を満足させる餌である。さも弱者の味方のフリをして、より弱者に堕ちた権力者を蹂躙する。そうすることで、彼らは自分が醜く、低能で利己的あるという事実をごまかすことができるからである。
人間とは想像力を働かせることができる生き物である。人が傷つけられれば痛い。裏切られれば哀しい。しかし、彼らが多数に集まるとその想像力が著しく低下する。
彼らは常に加害者の立場に立ちたがる。普段から、より弱き者を虐げ、時折出てくる強者の弱み(多くは汚職や不道徳)を責めたて、自分たちが少しでも強者の立場に立とうとする。決して、彼らは弱者の側の立場を想像することはない。
被害者の気持ちを省みない想像力の欠如。弱者になった途端に責め立てる不道徳の弱さ。民衆はその両方を持っているにもかかわらず、自分たちがそうあるということを考えることはない。
権力者というのは、基本的には有能な者が多い。そして、理想主義者であり、向上心があり、バイタリティにも溢れている。一方、民衆というのは、絶対的に低能である。そして、月日が経つたびに、権力者は考える。『なぜこんなに愚かな者たちを守らなければならぬのか』と。
権力者を腐らせたのは彼らなのだ。
*
「と、まあこんなところかな」
・・・
「「「「「……」」」」」
生徒たちは思った。
こいつは、ゴミだ、と。
「ふっ……あまりの高尚さに返す言葉もないか」
「……私にはそうは見えませんが」
同じ生徒の表情を見ているにも関わらず、ここまで違った表情に見えるとは、とんでもないキチガイ教師だと思う有能執事。
「……ふざけないでください」
しかし、数人の生徒が微妙に異なった表情をしていた。その中のひとりがリリーである。
彼女は震えていた。それは、果たして怒りからなのだろうか。先ほどまでは確実にそうだったであろう感情が、今はむしろ混乱していた。それは、彼女自身がアシュの思想にある程度の理解を示していたからに他なかった。
そんなはずはない。
そんなはずはないと、彼女は何度も何度も否定する。
しかし、そんな彼女の抵抗すらも虚しく、白髪の教師はその優しき声で、漆黒の冷たい目でそれを誘ってくる。
「ふざけてなどいないよ。いいかい? 一言すらも、彼らの妄言に耳を傾けてはいけない。一ミリすらも、彼らのために行動をしてはいけない。彼らはあくまで使われるだけの羊に過ぎない。必要な時に餌を与え、調教をして、放牧をすればよいのだ」
「……」
「民衆とは、決して綺麗なものではない。いや、むしろ目を背けたくなるほど彼らは狡猾で低能で醜悪だ……羊と例えることすら羊に失礼なように」
「……」
「この世で一番卑怯なことは、多数の影に隠れた声だ。安全な位置から、巧妙に自分の本音を隠しながら、常に加害者の立場でものを吐く。それが、民衆というものの正体であり、不幸ながらそれは巨大な力を持っている」
「……でも」
違うと言うには、その言葉はあまりにも蠱惑的だった。まるで、脳内に麻薬を注射されたように、何度も何度もアシュの言葉が反芻する。
「歴史が証明している。彼らは聖人君主さえも腐らせる化物なのだよ。そして、君が戦わなければいけないのは、彼らなんだよ」
「……」
「為政者が為すことは、二つだけでいい。自身の信頼する優秀な者に耳を傾けること。そして、声すらだせない真の弱者を救うこと。それが、君の使命なのだよ……わかったかい、リリー=シュバルツ君?」
「……」
キーンコーンカーンコーン。
「おっと……チャイムが鳴ってしまったようだね。では、ごきげんよう」
闇魔法使いは礼儀正しくお辞儀をして教室から出て行った。
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