幕間 扉


             *


 扉の向こうに人の気配を感じる。ただ、黙ってなにもせずに立ち尽くしている。


「どうかしましたか?」


「……いえ、なんでもありません」


「集中してください。一週間ここで過ごすだけではなく、聖女であるという自覚をここで育むのです」


「……私に務まるのかな」


「務まる……ではなく務めるのです。あなたは選ばれたのだ」


 もう、何百回も聞いたであろうその言葉に、思わず逃げ出したくなるような想いに駆られる。もちろん、何度も迷いを払った。もう、すべてを捨ててきた。


 なのに……


「しかし、よかったのですか? あえて駆け落ちなどと言う嘘をつかずとも、他にやりようはあったのに」


「……いいんです」


 酷い女である方が、きっと彼は忘れられるだろう。一緒に歩いた桜並木も、二人で見た夜空の月も、互いに契った誓いの言葉も、すべてまがい物であったと思ってくれれば。


 でも。


 なんでだろう。


 外で彼が立っている気がするのは。


「わかりました。今後あなたには、髪を染めて目の色も変えていただけねばなりませんな。あと、名前も」


「……」


「今後、布教にまわられる際、あなたは人々に聖女と認識されなければなりません。申し訳ありませんが、アリスト教徒が信仰する聖女像と同じ外見でなければいけません。そして、あなたという過去をすべて捨てていただかなくてはいけません」


「……わかりました」


 従者の言葉よりも、外の気配のことが気になる。今さら会わす顔などない。いや、もしかしたら私を殺しにきたのかもしれない。それでも、その扉が開いてほしいと自分は願っているのだろうか。


 結局、扉は開かず。


 私はマリアという名を変え。


 神を愛し。


 ゼノスを……捨てた。


             *


 ホグナー魔法学校から最寄りの教会。貧相な一室のベッドの上で、テスラは静かに瞳を開き天井を眺める。


「……」


 あの時の夢を見たのはいつ以来だろうか。


 アシュ=ダールという男は、本当に彼に似ている。性格、容姿、言動……あらゆるものが時折、彼とダブる。


「うわああああああああああああああああっ!」


 そのとき、廊下から声が聞こえた。すぐに、部屋の扉を開けると、一体の鴉が窓に止まっており、その下に従者のセナがしゃがみこんでいた。


『オマエガコロシタ。オマエガコロシタ。オマエガコロシタ』


「黙れ……違う……違う……」


 テスラはため息をついて、セナを抱えて部屋に連れて行く。そこは、聖魔法の結界が張ってあるので、鴉の声は届かない。


 あれから、セナへの精神攻撃はずっと続けられていた。彼が道を歩けば、道行く信者や、動物たち、木々や建物からすら同じように呪い言葉が発せられる。


「ふぅ……」


 あの男はやはり危険だ。一度でも彼に刃を向ければ徹底的に攻撃をしてくる。たとえ、もう相手が抵抗できない病人だろうと、発狂するまで……もしくはその命が途絶えるまで攻撃が緩むことはない。もう、セナは二度とまともに外を歩けない。一生、聖魔法の結界の中でしか生活することはできないのだろう……アシュ=ダールを殺さない限り。


 テスラが自室に戻って瞑想している時、トントンとノック音がした。扉を開けると、そこにはライオールが立っていた。


「……あなたは相変わらず気配を消しながら近づいてくるのですね」


「ほっほっほっ……女性には失礼かと思いますが、無意識にこうなってしまうのです。不可抗力ではないのでどうかお許しいただきたく」


 好々爺は白い髭を触りながら朗らかに笑う。


「どうかされたのですか?」


「いえ、たまたま近くを通りかかったので、少し寄ってみただけのことです。どうですかな、アシュ先生は?」


「……難しい方ですね」


「そうですか? 私から見れば見事な対応かと感心しておりますが」


「……」


「あなたは瞬時にあの方を見抜き、敵対せずに協調をする手段をとった。アシュ先生は敵にはめっぽう強いが、味方には甘いですからな。しかし、気をつけたほうがいい」


「なにをです?」


「あの方には無数の側面があります。今はそのうちの一つを表しているに過ぎない。思いもよらぬところで、思いもよらぬ出来事が発生している可能性があります」


「……私にはあなたの動きの方が、気をつけた方がいいと思っていますが」


 目の前の老人の思考が読めない。彼と比べれば、アシュなどの思考は断然ハッキリしている。どちらにつくわけでもない。敵でも味方でもなく、ただ事態のバランスをとるためだけの奇妙な行動。それは、不気味な道化のようだ。ただ、舞台を盛り上げるために、おどけて笑っているだけの不気味な道化。


 目の前にいる者こそ、最も気をつけねばならないのだ。


「ほっほっほっ……これは一本とられましたな」




















 愉快そうに笑いながらライオールはその場を去って行った。


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