転校生
通常、ボグナー魔法学校への転校生は珍しくはない。国内ではトップクラスの名門校であるし、あのライオール=セルゲイが直々に理事長の座に就いている。なにより先日国別対抗戦で優勝し、国外にまでその名を轟かせた。
しかし、彼女の場合は幾分事情が異なっていた。成績は至極優秀で、将来有望であることは疑いない。大陸有数の大国であるセザール王国筆頭大臣の令嬢であり、このボグナー魔法学校にも多額の寄付金が計上された。しかし、それもこのボグナー魔法学校では決して珍しくないことである。
「ナルシー=デンドラです。このたび、敬愛するアシュ=ダール先生の特別クラスで授業を受けるためだけに、このボグナー魔法学校に転校してきました」
「「「「……」」」」
この言葉を、聞くまでは。
「しょ……変わった子だね」
かつて『教師の鏡』とまで謳われたロラド=ザビー。非行生徒は誰一人として見捨てずに『どんな人でも必ずいいところがある』という信条を掲げながら誇り高き教師道を歩んできた校長は、今、確実に『正気か?』と言いかけた。
「ところで、アシュ先生はこの場におられないのですか? もし、あの方が不快でなかったら一言ご挨拶だけさせて頂けたらと思ってるのですが?」
「……」
すでに、朝礼の時間は終わっている。なのに、来ていない。すなわち、遅刻。生徒の規範であるはずの教師が、一度として定刻に間に合ったことのないという現状に、ロラド校長は弁解の言葉が見つからない。
アシュ=ダールという教師に、神経と毛根をすり減らす、影と頭薄い校長である。
「あの……アシュ先生をなぜそんなに尊敬しているのかな?」
褐色美女教師のエステリーゼは、あくまでナルシーのことを傷つけないように尋ねる。
下駄箱を薔薇の花束で埋め尽くされたり、ロッカーを薔薇の花束で埋め尽くされたり、果ては机の引き出しを薔薇の花束で埋め尽くされたり。アプローチと言うよりは、もはや嫌がらせで埋め尽くされている彼女の脳内は、とめどない疑問で埋め尽くされていた。
「全てです!」
「「「「……」」」」
ほぼ、全て嫌いな教師一同は思わず沈黙してしまった。
「ま、まぁ彼も優秀な教師だからなぁ、みんな」
そんな険悪な雰囲気を破ったのは校長のロラド。彼女は転校初日。不安な生徒をとにかく安心させるのが教師たる者の務めである。たとえ、
「ル、ルックスはいいからね」「闇魔法使いとしては、確かに大陸最高峰ではあるし」「えっと……そうそう」「いいとこ……あるよね」「……あっ、執事のミラさんがとにかく有能だし」「ミラさんは凄まじい美人なんだよな」「ミラさんの性格は天使なんだよな」「ミラさんは最高なんだけどなぁ」
そんな校長の熱意を察したのか、教師たちが口々に援護射撃を撃つ。しかし、悲しいかな、彼から搾り出しされた長所は二つ。早々に美女執事のミラの賞賛に切り替えた。
「あの……アシュ先生って、恋人はいらっしゃるんですか?」
「「「「……」」」」
教師一同は、三度、沈黙した。
「な、な、なんでそんなことが知りたいのかな?」
エステリーゼは問いかける。
教師特有の『生徒の成長のため、敢えて答えさせる云々』では、もちろんない。ただ、理由が圧倒的にわからなかった。『君のことを想って、つい書いてしまった』と渡された恋文は300ページ。極大炎熱魔法で闇魔法使いごと燃やそうとした彼女には、ナルシーの思考は一切解さない。
「……」
ポッと頬を赤らめるナルシーに。
「「「「……」」」」
やっぱり、沈黙が周囲を支配した。
そんなやり取りが繰り広げられていることなど知る由もなく、二頭立ての馬車が悠々と校門の前に止まる。
白髪の魔法使いは、悠々と馬車から降りて歩きだす。
「アシュ様、30分の遅刻でございます」
執事のミラは、淡々と答える。
「ふっ……皮肉なものだな、時は巻き戻せない。エステリーゼとの語らいの時間が短くなってしまった」
「……官能小説を徹夜で読み耽って寝坊したことは、どう言い訳いたしましょうか?」
「そうだな……偽ることは、僕の心情に反する。あくまで、ロマンティックな
「……申し訳ありません。人形の私には、どうにも思いつきません」
こいつマジかよ、とミラが思ったのは言うまでもない。
「仕方ないな……」
そんな会話を繰り広げながら、アシュは職員室の扉を開けた。
「すまない、エステリーゼ。君のことを想っていて、寝つけなかった」
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