魔法

          *


 アシュの漆黒の瞳は、リリーと対峙しているローランですら釘ずけにさせる。


「バカな……」


 思わず、ひとり言をつぶやいていた。


 異空間に閉じ込めたはずだ。魔力も全て封じたはず。身動きすることすら奪ったはず。そこから脱出することなど不可能。ライオール=セルゲイですら、ヘーゼン=ハイムですら、もちろん自分にだってできはしない。


 まず、頭に浮かんだのは偽者フェイクの可能性。あの執事ならばこの短期間にソックリの人形を用意しても不思議ではない。しかし、当人のミラですら『笑う』という感情が欠如した不完全な人形だ。たとえ、外見を酷似させたとしても、すぐにバレてしまうだろう。


 そして、彼の瞳に捉えているのは喜怒哀楽の表情をハッキリさせたまさしくいつも通りのアシュ=ダールだった。別人だと斬り捨てるには疑念が残る。仮に、奴が本物だとすればこの試合を一刻も早く終わらせなければいけない。他の国々の者が彼への恐怖で寝返れば厄介な事態になる。


「悪いが一瞬で終わらせてもらう」


 そう言って。


<<聖獣よ 闇獣よ 双壁をなし 万物を滅せ>>ーー理の崩壊オド・カタストロフィ


 ローランは渾身の聖闇魔法を放った。


 もはや、ギブアップの時間は十分に設けた。これだけの検討時間があれば、監督側の不備も充分に糾弾できるだろう。


 光と闇が入り混じった膨大なエネルギーは、一直線に彼女の元へ向かい、衝突と同時にまばゆい光が放たれた。


 そこには、リリー=シュバルツの影も形もない……


 はずだった。


 実際には。


「はぁ……はぁ……」


 血まみれになって。


 緊張で息をきらして。


 その深緑色エメラルドの瞳を輝かせた彼女の姿があった。


「そんな……馬鹿な」


 ローランは震えながらつぶやいた。


 決してあり得ない事象が起きていた。聖闇魔法をまともに喰らって消滅しない人間がいるはずがない……いや、消滅しない生物がいるはずがないのだ。しかし、実際には魔法壁で防ぐことすら彼女は行なっていない。


「あり得ない……」


 再びそうつぶやいたローランを。


 リリーは不敵な笑顔で返す。


 ローランにとって『あり得ない』ことは、リリーにとっては『あり得ない』ことではなかった。ヒントになったのはアシュによる『属性変換』の授業。その柔軟な発想により魔法を『遊ばせる』というのは、優等生のリリーにとっては革新的な出来事だった。


 以来、彼女は魔法に対してさまざまななアプローチをとるようになる。決して、知識と魔力の底上げが疎かになったわけではないが、そこに費やす時間の約半分ほどをそれに当てることになる。


 先人たちの道を追うのではなく異なる道を『造る』という作業。初めは思うように進まずにヤキモキもした。こんなことをしていて、本当によいうのだろうかという葛藤もあった。


 そんな中、ひとつの光明が差し込む。


          *


 アシュがことさらに力を入れていた解剖学。植物、鉱石、動物、そして……人体に至るまで。まさか、実際に死体の解剖まで行うとは思わなかったが、そこで『魔法を使用する』という構造について身をもって知るようになる。


 通常、魔法を外部に放つには詠唱チャントシール、最低限2つの手順が必要である。詠唱チャントは、魔力野から生じた魔力を体内に構築し、魔法の理を言語化する作業。シール象徴シンボルを描くことによって、魔法の理を外部に放つ作業。


「では、魔法はシールがなければ放つことは出来ないか?」


 いつも通りアシュは生徒たちに投げかける。


「できない……んじゃないですか?」


 優等生のジスパは考えながらそう答える。


「なぜ?」


シールが魔法の理を外部に放つ作業だとすれば、それ無しだと体内に詠唱チャント状態の魔法が残り続けることになります」


「ふむ……おおむね僕の意見と一致しているな。ただ、『放つ』という定義にもよるということだけは付け加えておきたいところだね。僕が以前、属性変換の時に行った魔法を覚えているかね?」


「は、はい。私の腕に手を添えて一属性魔法を二属性魔法に変えるという内容でした」


「よろしい。確かにあれは『放つ』という作業ではない。しかし、確かに僕の魔法は君に伝わった。そうではないかね?」


「……確かに」


「魔法というものの性質は面白くてね。直接触れたものに対しては効果を示すんだよ。僕の知り合いの魔法医は、患者を触診すると同時にその魔力の流れを確認している。これは、幾千もの臨床を行なっていた熟練の魔法医による経験則だよ。貴重な知識だから頭に入れておくといい」


「そ、そんなこと教科書には載ってません」


「そうだろうな。この『教科書』が君たちの知識の根幹となっていることを否定はしないが、今話しているのは大陸一の研究者と自負する僕の最先端の論文の内容だからね。いつか、大陸魔法協会最優秀賞の論文にこれが載った時には、『ああ、あの時にアシュ先生が仰っていた論文だ。さすがはアシュ先生だ』とでも思ってくれればいい」


「「「……」」」


 自慢さえなければ凄くいい授業なのにと、生徒の想いは一致した。


          *


 直接触れることによって、魔法を『伝える』という行為。それを、リリーは魔法に直接触れることで応用できないかと考える。もともと、彼女は『魔法壁』というものに、非効率性を感じていた。確かに、放たれる魔法に対して防御する最も効果的な方法であることは間違いない。しかし、それは維持するための魔力と複雑なシールが必要である。


 もっと簡単で効率的で使い勝手のよい防御方法。


 直接魔法に触れて、魔法そのものを相殺する。これは、誰が見ても馬鹿げている方法だった。触れれば即座に傷つくものに、自ら触れにいこうというのだから。しかし、リリーは実戦で聖闇魔法を相殺してみせた。


 もちろん、彼女も無傷ではない。初級魔法は何度も相殺が成功しているが、聖闇魔法ほどの極大魔法は経験がないので一瞬の戸惑いでズタズタにされた。しかし……いざ実行してみればひどく簡単な作業だった。


「……これはリリー=シュバルツでなければ無理なのだよ」


 得意げに。


 観客席に座るアシュは、周囲に自慢する。


「聖闇魔法を放つことのできる技量。死を前にしても躊躇なく実行できる無謀さ。彼女自身の柔軟な発想。ローラン=ハイムに同じことをやれと言われても、彼は断固拒否するだろうね。僕は光の魔法が使えぬので当然無理だ。ライオール、君だって無理だろう?」


「……はい」


「諸君……この時点で。リリー=シュバルツは大陸では誰も発想しない方法で魔法を相殺してみせ、彼女しかなし得ない聖闇魔法の相殺をも成功してみせた。これが、若さゆえの才能というものだと僕が思うのだが異論はあるかい?」


「「「……」」」


 誰もなにも答えない。


「ふっ……」






















「アシュ様。リリー様の功績を勝手に自分の功績かのようにされるのは、見ていてすごく気持ちが悪いのでやめてもらえますか?」


 ミラはダージリンティーをいれながらつぶやいた。


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