ウロウロ


 トントントン。


 アシュが軽いタッチでノックをする先は、同僚であるエステリーゼの部屋。生徒たちの部屋でパーティができないと見るや、すかさず美人を口説こうと言うロクでもない算段に、有能執事は軽蔑を禁じえない。


 しかし、その音は、虚しく鳴り響いた。


「……」


 トントントン。


 トントントン。


 またしても、ノックを試みる非モテ魔法使い。すでに、午後10時を回っており、反応がないということは三択しかない。すでに就寝しているか、外に出ているか、鍵穴から覗き見て無視しているか。いずれの選択肢も、再びノックするという結論に至る余地はないはずなのだが、その音には一片の迷いもない。


 当然ながら、その音は、虚しく鳴り響いた。


「ふっ……留守か」


「……」


 ミラは、二の句を告げることができなかった。確かに、何度もノックしたことで、寝ているという選択肢は消去されたのかもしれない。しかし、彼が嫌いで無視されているとは微塵も考えていない。


 恐るべきメンタルである。


「仕方ない、ミラ。町へと繰り出そうか?」


「仕方なく、はい」


「ふっ……いい返事だ」


 耳が腐っているのだろうかこの男は。いや、恐らく脳みそが腐敗しているのだとは、有能執事の確信である。


 すぐに自分の部屋に戻り、灰色のオーバーコートを着て、愛用のシルクハットを被る。


 ここまでは良かった。


「あの……それは?」


 思わず、ミラは質問した。大陸中の書物が頭に入っているほどの博識を持ち、あらゆる教養、常識、最新の法律までも熟知している彼女ですら、認識できなかったもの。


「ククク……さすがは我が執事。気づいたかね?」


 アシュは、首に真紅の布を、得意げに巻いている。


「……気づいたもなにも、そんなに攻撃的な……武器でしょうか?」


「なにを言っているんだ。どう見たってマフラーに決まっているだろう?」


「……失礼いたしました。ちょっと私が認識していたマフラーとは違いましたので」


 尖っている。


 真紅のマフラーが、剃り立って、尖っている。


「大会までに、少し時間があったのでね。町をブラついていたところ、これを見つけたんだ。庶民的な場所にも、良品は置いてあるものだね」


「ちなみに、おいくらで買われたんですか?」


「まあ、安くはないよ。細かい額は覚えていないが、首都ジーゼマクシリアで一軒家が買える額、とでも言っておこうかな」


「……そうですか」


 得意げに経緯を説明するアシュだったが、ミラはこの男がとんでもなくボッタくられていると確信した。そもそも、このボッタくられ魔法使いは、研究にしか興味がない超インドア派であり、服装のセンスが皆無である。本人もそこまで興味はないので、基本的にはミラのコーディネートに任せているのだが、たまにこういう訳のわからないものを信じられない高額で買ってくる。


 なんなんだ、今にも刺さりそうじゃないか。そもそも、どうやって剃り立たせているんだ。理解とファッションを超えたそのアイテムに対する疑問は尽きない。


「ふっ……じゃあ、ソロソロ行こうか?」


「アシュ様、もう一度確認させて頂きたいのですが、そのマフラーを巻いたまま外へ出られるのですか?」


「うん」


「……かしこまりました」


 こんな変な奴と歩きたくないというのは山々ではあるが、主人の命令には逆らえない悲しい人形である。


「では、出発しよう。ミラはどこか行きたい場所はあるかい? せっかく首都ジーゼマクシリアに来てるんだ」


「特にはないですが、希望を言わせて頂けるのでしたら、そのマフラーが刺さりそうなので、尖っていない側に立たせて頂いてもよろしいですか?」


「ククク……相変わらず、君の冷たい皮肉ブラックジョークは冴えているね」


「……」




















 そのマフラーは、通行人に、刺さった。



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