バー
明けぬ夜を喜ぶかのように、首都ジーゼマクシリアの繁華街は華やかな賑わいを見せる。煌びやかな店が並ぶ中、商業地としては申し分ない贅沢な立地にそぐわぬ建物が一軒。あまりに不似合いな薄汚れた酒場の錆びついた扉を、アシュ=ダールは強めに開いた。
「ここも変わらないな」
一瞥するや否や、慣れた様子でバーカウンターの前に腰掛ける
店内は、外の喧騒がまるで嘘かのように、酷く閑散としたものだった。
「来られたことがあるんですか?」
ミラが主人のコートを脱がしながら尋ねる。
「ああ……遥か昔ね、100年以上も前になるかな。もう、以前のような仕事はしていないようだが、ここの雰囲気も全く変わっていないな」
アシュはバーテンダーから差し出されたカクテルに口をつける。
「懐かしいのですか?」
「……少し、昔のことは思い出すが、ただそれだけさ」
「……」
「当時は、このジーゼマクシリアも発展途上の首都でね。いろいろな事件が起きたものだった。ああ、なんの罪もない、いたいけな僕を殺めようという少女もいたりしてね」
「……」
隣で控えるミラは思った。
この男、間違いなく、記憶を捏造している。
無罪ということは、ほぼ間違いなくないだろう。というか、存在そのものが有罪であるような魔法使いだ。彼女は、面識もなく、名も知らぬ少女に深く同情した。
「ところで、マスター?」
「はい」
「このお店には、女性がいないようだが」
どストレートに尋ねる、エロ魔法使い。
「ええ、まあ。一応、ここは私一人でやらせてもらっています」
「ふむ……まあ、これは一人の客としての意見だが、君みたいな男性のバーテンダーよりも、女性バーテンダーの方がより収益に繋がるのではないかね?」
「……はぁ」
「仮に女性客ウケ狙いだとすれば納得もいく。女性がこの店に溢れていれば、僕はなにも言わない。しかし、現に周りを見渡しても数人の男性客しかいない。これは、いったい、どういうことだね?」
「……なるほど」
苦痛。モンスタークレーマーからの指摘に、圧倒的な苦痛を味合わされる男性バーテンダー。
ここは、煌びやかな街並みに佇むレトロな雰囲気を味わうための店だ。確かに、客は少ないし男性客の比率も多い。しかし、『この大都会に一軒くらいそんな店があってもいいんじゃないのか』という初代オーナーの意向を汲んだ形で継いだ店だ。
すなわち、大きなお世話……いや、圧倒的に大きなお世話だ。
「まったく……本当にここのバーテンダーはロクなのがいなかった」
「あの……女性のいる店を望まれるのでしたら、別のお店をご紹介しましょうか?」
言い換えれば、さっさと帰れよ、テメー、である。
「ククク……お店の雰囲気に合わなければ、客を追い出す。そうやって、今まで『売り上げ』という現実から目を背けてきた訳だ」
「……っ」
男性バーテンダーは、この時、我が身を呪った。目の前の小憎たらしい男に、馬乗りになってボッコボコにぶん殴ることができない身の上を。
「あの……アシュ様。先ほどここに来て懐かしがっておられたのではないのでしょうか?」
あまりにも悲しげな表情を浮かべるバーテンダーに、思わず助け舟を出す有能執事。
「なにを寝ぼけたことを。『少し、昔を思い出しただけだ』って言ったじゃないか」
「……そうですか」
ミラは、この時、我が身を呪った。『懐かしがっていない』と否定したのは、単なる照れ隠しで、実はなんだかんだ懐かしがっているんじゃないかなと深読みし、結果、言葉通りの意味で、ただ単に最低であったゲス浅はか主人に永劫仕えないといけない身の上を。
そんな中、二人の客が入ってきた。黒髪で輪郭が整った少年。もう一人は、20代の美人女性。連れというわけではないようで、女性の方はテーブル席の方に向かって憂鬱げなため息をつき、少年の方はアシュに向かって歩いてくる。
「隣、よろしいですか?」
「……ああ」
珍しく軽口を叩かずに闇魔法使いは答える。
「僕にも同じものをくれますか?」
朗らかな笑顔をバーテンダーに向けるが、そのまなざしは鋭く、冷たい。
「アシュ=ダールさんですね。お初にお目にかかります、僕はローラン=ハイムと言います」
「……知っている。確か、円形闘技場の選手宣誓を行なっていたね」
「それは、ありがたい。まさか、あなたのような偉大な魔法使いに認識いただいているとは」
至極丁寧な様子で、ローランは喜びを表現する。
「これでもハイム家とは因縁が深くてね。そうでなくても、その風貌は僕の忌々しき師匠にソックリなので、つい覚えてしまったよ」
口にしたカクテル置き、アシュはミラの方を向く。それは、一瞬のことであるが、唇を微かに動かした。すぐさま、ローランの方に視線を合わせ、真面目な表情を浮かべる。
読唇術。
彼の口は、ミラに尋ねていた。
『後ろの女性は僕に注目しているか?』
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