授業


 ナルシャ王国のホグナー魔法学校は、国の発展を担う優秀な魔法使いを育てるべく設立された超名門養成所である。各地から有力な貴族が英才教育を施した子どもたちを送り込み、全寮制で集中的な魔法教育を行う。中でも、1年次の成績、適性からが選抜される2年次特別クラスの生徒はエリート中のエリートである。


「……遅い。遅い遅い遅い遅いーーーーーーーーーーーーーー!」


 西館の最奥、2年次特別クラスの教室において、国家の中枢を担うエリートにしては、やや心配になるほどの怒号が、本日も室中に木霊する。


 リリー=シュバルツ。特別クラスで首席の成績を誇る生徒である。その細く流れるような金髪。不可思議な輝きを放つ深緑色の瞳。天使を描いた絵画のように整った顔立ちに添えられたその特徴は、まさしく大陸有数の美少女というにふさわしいが、その圧倒的なせっかちさ、真面目さ故に、クラスでの人気はイマイチである。


「落ち着いて。先生の遅刻はいつものことじゃない」


 恒例行事のように、怒れる美少女をなだめるのは、隣の席に座っているシス=クローゼ。一点の曇りもない湖の色を映し出したような藍色のロングヘアがそれより深く彩る同色の瞳と見事にマッチしている。その肌は、雪のように白く滑らかであり対峙するものは必ず目を見張るほどの美少女である。彼女は、体内に『聖櫃』と呼ばれるアリスト教徒にとって、秘法とも言えるものを体内に宿しており、魔法が使えぬ、いわゆる『不能者』である。魔法史上主義のこの国で生まれた魔法使い男子たちにとっては、彼女は両親に決して婚約者として紹介はできない。しかし、その美貌に惚れ込み、愛人にしたいという野望を持つものは数知れない。


「この状況に慣れちゃダメなのよ! 許してしまったら、あの男の思うツボなの。だから、断固として戦わなくちゃーー」


 ガチャ。


 その時、教室のドアが開き、アシュが入ってきた。


「アド、デ、ヴアー」


              ・・・


 いきなり、意味不明な言葉を発する闇魔法使い。途端に、沈黙、静粛、静寂。あらゆる静けさがこの教室を支配した。


「……なにをおっしゃってるんですか、アシュ先生?」


 ものすごく落ち着いたトーンで、優等生美少女が質問を投げかける。ふざけた回答であったら、すぐにでも万物を破壊する威力の聖闇魔法をぶっ放そうと心に決めて。


「ククク……君は、知らないのかい?」


 得意げに、そして位高々気に、彼女を見下ろす。


「……は?」


「ふっ、『時には、知っている時の方が哀愁を感じることも、人生にはままあることだ』ーーオーレ=サーフィン。知らないということを、堂々と、羞恥なく、臆面もなく出せる君という人格が羨ましいよ」


「なっ、なっ、なんでーすってぇ!?」


「勉強不足だな、リリー=シュバルツ君。古代リブロフ語のあいさつすら、知らぬと言うのは」


 グリグリ。


 グリグリ。


 顔を真っ赤にして膨れる優等生美少女の頭を、押さえ込むように撫でつける。


「グ……グギギギギギッ……グギギギギギギッ」


 悔しい。この性格最低教師に教えられることなど、なに一つとして失くしたい熱血美少女は、本日徹夜で古代リブロフ語の猛勉強をすることに決めた。


「さて、君たちが古代リブロフ語くらい知っていると思って授業を進めようと思っていたが、アテが外れたようだ。仕方がないから、君たちのレベルに合わせて授業をしようーー「あっ、俺、分かりますよ」


 !?


 手を挙げたのは、男子生徒のダン。彼の父親は考古学者であり、古代リブロフ語を専門にしている。


「ライー・ザ・リグーザ。マサトーメン、リーウラー?」


 おお、と生徒たちから歓声があがり、ダンの疑問符がアシュへと投げかけられる。


「……」


 なんちゃって古代リブロフ語使いは、額に一筋の汗を流した。昨日、有能執事に辱められて、すぐに勉強を中止したおかげで、実は、ほとんど、話せない。


「強がってないで白状したらどうでしょ――「ミラ、黙りなさい」


 有能執事の口を封じ、アシュはダンの方に向かって歩く。


「リー・リー? シャバン・ドレクラシ、マサ――「セブラキュセブラマカラーヌ……ボラ」


 ボソッ。


「……っ゛!?」


 耳元で囁かれた古代リブロフ語に、慄くダン。


「ソバラタジローバック……ダロ」


 ボソッ。


「……ぐっ!」


「セルデバロラ……マロ!」


 ボソッ。


「ハワッ……」


 ダンは、次々と囁かれる古代リブロフ語に戸惑いながらも、恐る恐るアシュの方を見上げた。


 ニヤリ。


「……ぅ」


 なんで、そんなにも堂々と笑えるのか。ダンは、この魔法使いの途轍もない闇を感じ、それ以降顔を下に向けたまま動かなくなった。


「ふっ……さあ、みんな授業を始めようか」


「……なんで、そんなに堂々と生きていられるのか、私にはわかりませ――「ミラ、黙りなさい」


 そう有能執事にバッチリと口止めをした時、再び教室のドアが開く。そこには、ホグナー魔法学校理事長、ライオール=セルゲイが立っていた。


「ラ、ライオール理事長、おはようございます」「どうされたんですか、こんな朝早くに」「もしかして、特別クラスの授業を見てくださるとか?」「バカ、理事長は今、一番忙しい時期なのにそんなわけねーだろ」「そ、そうか。そうだよね」「でも、やっぱり授業を受けて見たいなぁ」「私も私も」


「……ホッホッホ、みんな元気がいいね」


 鳴り止まぬ敬意と歓迎。国一番の名声を誇る、この白髪の老人は、つい先月に国の中枢を掌握し元老院のトップの座に君臨した。


「なにしにきたのかな? 今は、授業中なのだが」


 人気最低魔法使いは、不機嫌そうに、尋ねる。


「「「……」」」


 今までの一連のやりとりが、授業に当たるかどうか。生徒たちには、限りなく疑問だった。


「失礼しました。今日は、いち早く生徒たちに伝えたいことがありまして……みんな、おめでとう。君たちが代表だよ」


 ライオールが微笑みながらそう言うと、生徒たちから一斉に歓声が上がる。


「な、何事だい? 騒々しい」


「おっと……アシュ先生は、まだ知りませんでしたかな。今回、この特別クラスが、国別魔法対抗戦のナルシャ国代表として選抜されたんですよ」


「国別魔法対抗戦……ああ、あのくだらないイベントをまだやっていたのだね」


「ホッホッホッ、相変わらず手厳しいですな。しかし、アシュ先生には、この特別クラスを率いて、ぜひ優勝を狙って――「出ないよ」


          ・・・













 一斉に、静寂が、訪れた。




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