チョコレート


          *


「まったく……それは君にあげるチョコレートじゃないのだがね」


 その低い声は、冷たく突き放したように響く。


「おいおい、アシュ。少しぐらいいいじゃないか」


 もうひとつの暖かい声に引き寄せられ、幼いレイアはその背中に隠れる。父の背中は、やはりその声と同じくらいに暖かかった。


「シャール。君のしつけが足りないんじゃないか?」


「そうだな……俺はどうにも甘くていかん」


「幼少の頃の教育は重要だよ。これだけ手癖が悪いと将来は窃盗犯かな……この子の未来が断固危ぶまれるね」


「ハハ……しかし、気のせいかな。なぜか、お前が女性へのプレゼントだと言い張って持ってくるものは全て、この子の手に届く椅子にあるんだが?」


「……気のせいだろう」


 やはり、その低い声はぶっきらぼうに、突き放したように響いた。


          *


「……夢」


 小鳥のさえずりとともに、レイアは目を覚ました。あの時の光景以外、今まで小さい頃のことを思い出したことなどなかったのに。


「あっ……」


 低血圧の頭がやっと回り始めた時、昨日の出来事が突如としてフラッシュバックする。瞬時に身体の調子を確認するが危害を加えられた様子もない。鏡で顔も確認するが、いつもどおりの自分だ。


「なんで……」


 そう言えば、闇魔法使いこの部屋にすらいない。いったい、どこにいるのだろうか。


「こ、こら。順番だよ、君たち……まったく意地汚いな」


 外から声が聞こえて部屋の扉を開けると、アシュが子どもたちになにかを配っていた。


「なにをやってるの!?」


 急いでレイアは、子どもたちのものからそのを取り上げる。


「……なんだ、君は。そんなにこの最高級チェダーチーズが食べたいからと言って、小さな子から取りあげることはないんじゃないのかい? 意地汚い」


「えっ……」


 手に持っているのは、小さく丸型のチーズ。そして、向けられているのは不満気な子どもたちの視線。


「……まさか、僕が毒でも盛るかと思ったのかね?」


「うっ……」


 図星をかかれて、数歩後ずさりする金髪美少女。


「はぁ、僕がそんな意味のないことをする訳がないだろう?」


「そ……」


 そんなことわからないじゃない、と言う言葉を慌ててレイアは飲み込んだ。


「……まあ、いい。じゃあ、君が判断して配ればいいさ。ちょうど僕も群がられて困っていたんだ」


 ぶっきら棒にそう答えて、アシュは持っていたチーズを面倒くさそうにレイアに手渡す。


「あっ……と、でもそんな……」


「お姉ちゃん、それ……食べていい?」


「ちょ……っと待って」


 慌てて一つを齧ってみると、毒は入っていない。残ったチーズを一つ一つ配っていくと『わーい!』と満面の笑みを浮かべて走って行く。


「……」


「まったく、あのチェダーチーズの価値をわかっているのかね」


「……じゃあ、あなたはなんで配ったの?」


「本来なら、君との甘美なるひと時のために使用したかったのだがね」


 闇魔法使いは、まるでふざけているかのように、低く笑う。


「あの……昨日の夜のこと……ですけど」


「君は、寝相が悪すぎるな。まあ、あれだけ悪いのだから絶対に男性と夜をともにしたことがないのだろうな」


「なっ……」


 デリカシー皆無の自称紳士の言葉に、顔を真っ赤にする純粋美少女。


「安心したまえ。僕は寝ている女性を無理矢理どうにかするようなゲス男とは違うんだ」


「……信じられない」


「なにがだい? 君に指一本触れていないことかい? 僕が子どもたちに慈悲を施すことがかい?」


「……両方よ」


「ふっ、レイア君。君は自分の魅力を過大評価し過ぎているな。昨日のことは単なる戯れ。僕の魅力に参ってしまうのは仕方ないが、もっと自分を磨かなければ僕に見あう女性とはなり得ないよ」


「なっ……ななななななっ」


 開いた口が塞がらない金髪美少女。


 事実は紛れもなく異なる。実際には、かなり、執拗に、粘り強く指一本触れようとしたのだが、相当というか破滅的な寝相の悪さで手出しできなかった。むしろ、隷属魔法の効果を無視して、殺しにかかってきてるのではないかとは闇魔法使いの疑いである。


「チーズのことだって、こっちは迷惑してるんだ。あの子どもたちがあんまりにも意地汚そうに見るからさ。まったく、貧乏というのは悲しいな」


「……」


 やはり、この魔法使いは最低だ。


 あらためて、レイアはそう認識した。


「それに……たまたま、お腹も減ってなかったからね」


 闇魔法使いは窓の外で遊んでいる子たちを心地よさげに眺める。


「……」


「さあ……さっさと準備をしたまえ。君が寝坊をしたおかげで、活動する時間が短くなってしまった」


 扉を開けて去っていくアシュを見送ったあと、ため息をついて身を翻すと、低い長椅子に大きな皿が置いてあった。

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