幕間 ゼノス


 夜は闇を映し出す。そこは深淵よりも濃く、月光すら射さぬ森。中心にそびえる砦は、天空を突き刺すほどの高さである。奥が見えぬほどの広い区画一帯を黒煉瓦で囲んだ塀の真ん中にアーチ型の門があり、扉までは正方形の石畳が規則的に敷き詰められている。


 そこは、紛れもなく至高の美しさを追求し建築されたものだった。


 砦内も、広々とした大理石のホールが広がる。天井には豪奢な装飾を施した銀色のシャンデリア。まるで美術館にいるかのように数々の名画、彫刻が立ち並んでいる。


 そんな中、黒曜石で出来た円卓の前で優雅に腰かけている男が一人。


 ゼノス=リドリア。黒髪で痩せ細った鋭い瞳の男が書物を高速に這わせている。


「連れてきた者の名は?」


「アリスト教徒守護騎士パーシバル=セレル、そして聖女レイア=シュバルツです」


 サラは淡々とした表情で答える。


「……フフフ、そうか。聖女が来たか。彼女は実によい贄となってくれるだろう」


 邪悪な表情を浮かべて、ゼノスは笑う。


 数年に一度。強い魔力を持つ者を食すことによって、その若さを保つ魔法を編み出していた。すでに400年生きているこの男だが、その風貌は30代前半ほどである。


 初めて遭遇したときすでに、ゼノスはサラを捕らえ、自身のしもべとした。記憶を操作し、救助を求めさせることで魔力のある贄を連れてくる。こうしたやり方で、数百年以上、大規模な討伐隊を派遣されることなく生き延びている。


「そして、裏ギルド『セズラー』からはアシュ=ダール」


「アシュ=ダール……聞かん名だ」


「申し訳ありません。この男しか雇うことができませんでした」


「……で、どんな男だ?」


「ヘーゼン=ハイムの元弟子であるそうです」


 実に10時間以上、馬車で懇々とアシュの自慢話を聞く羽目になった彼女だが、参考になる情報は実にこれぐらいであった。


「ヘーゼン……ハイムだと?」


 即座に笑みを止め、忌々しげに右腕を撫でる。


 史上最高の魔法使いを挙げる時、必ずその名が出るほどの魔法使いである。光属性の魔法と闇属性の魔法を共に最高峰のレベルで扱うことができる生ける伝説だ。


 他ならぬゼノス自身も、彼には苦い過去を持つ。遥か昔、かつて造った砦を壊滅させられ、この右腕にも消えない大傷をつけられた。


「その元弟子というのは、聞き捨てならんな。優秀な魔法使いなら贄が増えるが……」


 ゼノスは立ち上がって、窓を開ける。外には鴉が屋根を覆いつくしていた。


『アシュ=ダールについて調べよ』


 そう命じると、一斉に鴉があらゆる方向に飛び去って行く。


「さて……サラ、君は戻っていい。家に戻った君はここでの記憶を失う。普段通りに、振舞って、普段通りに過ごすのだ」


「はい」


 深々とお辞儀をして、彼女は去っていった。


 黒い髪をグシャグシャにしながら、ゼノスは窓の下を見る。そこには、数千を超える死兵が働いている。彼らには、思考がない。喜怒哀楽がない。ただ、命令に従いその身が朽ち果てるまで動き続ける死体だ。


 死者の王ハイ・キング。そう呼ばれ、もう幾百年が経ったであろうか。魔法使いの魔力を喰らうことで、半永久的な生は得ることができたが、その分退屈なことも多くなった。


 贄を喰らうことは、若さを保つための作業。


 贄を狩ることは、至極の娯楽。


「……せいぜい楽しませてもらうとするかな」


 ゼノスは愉快げにつぶやいた。


 それから、数分が経過して薄緑色のセミロングをした美女がゼノスの側にやって来た。


「お食事ができました」


 誰もが瞳を奪われるほどの透明感のある肌。ランプの光を照らし出したような黄土がかった瞳が、その整った輪郭、各々の綺麗なパーツと相まって神聖な雰囲気を醸し出す。


 ゼノスは、彼女をマリアと名づけた。


「ありがとう。一緒に食べないかい?」


「はい」


 弾けるような笑顔を浮かべ、彼女は椅子に座る。ゼノスもまた席につき、並べたてられた料理にナイフを通す」


「聞いてくれよ。私に立ち向かおうとしている奴らがいるんだ」


「まあ、そうなんですか。なんて無謀な」


 彼女はさも驚いた表情を見せる。


「そうだろう? 本当に愚かな者たちばかりで辟易するよ。まあ、最終的には私の偉大さを示す結果になると思うがね」


「さすがはゼノス様です」


「しかし、気になっているのはアシュという魔法使いだ。他の者は情報があるが、この男の情報はほとんどない」


「さすがはゼノス様です」


「……」


 突然、立ち上がって料理をブチまけ、彼女の首を締めあげる。そのまま、ナイフでその首を切って机に置く。そして、頭部を開いて指を入れる。


「そうじゃない……そうじゃないだろう、マリア? この応対の時は、『まあ、それは心配ですね』だろう? そうじゃなければいけないんだよ、マリア」


「も、もももももももももうしわわわわわわわわけけけけけけけけけけけけけけ……」


「いいか! 君は完璧でなければいけない。完璧に僕のマリアとして生きなければ、君はただの人形だ。いいか? 聞いてるか?」


「あああああああああああああああありりりりりりままままままままままままままま」


「いいよ謝らなくていいんだ。僕が君を人間にする……人間にしてみせる。マリア……僕のマリア……」


 ブツブツとつぶやきながら。


 人間でいう脳の部分の構造を弄り修正していく。彼女は人間ではない。その肌の質感、身体のパーツの精巧さ、滑らかな動き、どれを取っても人間のそれとは変わらないが、ゼノスは彼女を『人形』と見なしていた。


 呼びかけられた声や行動によって、マリアの行動パターンは決まる。そこに、思考は伴わず決められた返しをするのみだ。こうして、覚えさせていないパターンは、一つ一つ修正していなくてはいけない。実に、100年以上の間彼はマリアを弄り、ここまでの精度にまで造りあげた。


 完璧な彼女を造り出す。


 ゼノスの表情はあまりにもいびつで歪んでいた。


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