杖
朝日が差し込まぬ曇天の中、サモンは
「……ロイドか」
異質な空気を察知し。サモンは振り返ってサン・リザべス聖堂の入口を見つめた。
「ククク……音を立てていないつもりだったが。さすがは大司教と言ったところか」
そこには、不敵な笑みを浮かべている男がいた。白銀の軽鎧で纏ったこの無作法な男は、アリスト教最高位の建築物であるサン・リザべス聖堂には全く似つかわしくない。
『白の暗殺者』と呼ばれる彼に仕事を依頼するなど、自分には考えられぬことだった。アリスト教徒の証である白を基調とした装衣。それを身に着けているということはアリスト教徒である証であるが、目の前で無神経な笑みを浮かべる男が信者であることに、巻き起こる苛立ちを禁じ得なかった。
――もし、お前が本物のアリスト教の信者であったならそのような表情はできぬはずだ。
アリスト教徒に籍を入れ、神を信じぬ輩は多い。国家によっては、支払う税金などの優遇が非常に高く、アリスト教徒が犯罪隠しの温床になっているという批判も多い。そして、目の前にいる男は白を纏いながらも凄惨な殺しを請け負う、言うなれば張本人であった。
即刻、両手でその首を絞め殺してやりたい衝動に駆られたが、無論そんな事では事態の解決はないし、この心が晴れる訳もなかった。
そんなサモンの様子を見透かしてか、ロイドは再び笑った。
「何がおかしいのかね?」
いちいちカンに障る男だ。こんな奴を頼らなければいけない己の業に失望を禁じ得ない。
「あんた『慈愛の大司教』と呼ばれてるんだって? 今のあんたはそんな風には見えないな」
ロイドはそう言い放った。
――ふと、汚れひとつない鏡が目に入った。そこには、やせこけ、その瞳に力がなく、歪んだ表情を浮かべた老人がいた。
「ロイド。お前に問おう。君は神を信じるかね?」
「一番信じているはずのあんたがそんなザマじゃ、俺はゴメンだね」
ロイドは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……」
サモンは静かに目を瞑った。
「大司教様の御託はもういい。それで……聖櫃は今どこにいるのだ?」
「……ホグナー魔法学校にいることは掴めた。しかし、誰かはわからん」
「そんなの見つけるのは簡単だ」
その不吉な笑いがサモンの不安を募らせる。
「……方法は?」
今までアリスト教の指導者として、迷える者に正しい道筋を示して生きてきた。『どんな方法でも』とは言ったが、外法にはやはり抵抗を禁じ得ない。
「簡単さ。全員攫ってくるのさ。他は皆殺しにしてな」
サモンはロイドから与えられた答えに、気が遠くなる想いだった。想像しうる限り、最悪の回答だった。これまで無差別テロ行為を断固批判する活動を精力的に行ってきた。罪なき人々をも殺害するようなその所業は許されざる行為である、人々にそう訴えかけた半生だと言っても過言ではなかった。
今、己のやろうとしている所業に限りない罪悪感と嫌悪感を抑えることが出来ない。あの『闇喰い』に対抗するためとは言え、この男に頼ることに耐えようもない苦痛を感じた。
しかし、彼の言葉はある意味一番の近道だった。手がかりが15歳の子どもであるということしかないのだ。その中から対象を捜しだすことは容易ではない。方法は外法……それでも、やらなくてはいけないことはわかっていた。でなければ、いったい私たちの行ってきたことは何だったのだろうか。
「どうする、やるのかい?」
ロイドはまたしても皮肉めいた笑みを浮かべた。それは、アリスト教にとって犯してはならない禁忌。聖職者を名乗る自分にとっては、決して許されない過ちであることは理解していた。
ただ、それでも……
「迷った顔をしているが?」
そんな風にロイドに言われ、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
私がそんな事でどうするのだ。我々の仕事は迷える人々の救済と導きだ。私はなにも変わらない。たとえ、それが大きな誤りだったとしても。もはや、残された時間は幾分もない。なんとしても、これだけはやり遂げなければならない。
他に血が流れる前に、私がやり遂げなければいけないのだ。
「どうする? やるのか、やらないのか」
ロイドはそう言ってこちらに迫る。
答えはすでに決まっていた。
サモンは震えながら頷いた。私は喜んで地獄へ堕ちよう。それでいい。それでいいのだ。たとえ、人の道とは反していたとしても自らの信じる道を行くのだ。
「ふっ……」
ロイドはまたしても皮肉な笑みを浮かべた。
「なにがおかしい?」
「……あんたのような者を狂信者と言うのだろうな」
狂信者……今の私にふさわしい名だ。
「気に入った」
サモンは深く笑い、もう一度鏡を見た。もう、そこには以前の男はいない。ただ、盲信的な狂信者がいるだけだった。
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