008
文化祭が終わってから、はや1ヶ月が経とうとしていた。また定期テストの時期が近づいている。近ごろはこれといって事件も起こらず、平和なものだ。この調子なら、少しはテスト勉強をする時間が取れるかもしれない。
昼休みになって、いつものように化学部室へ昼食を摂りに移動しようとしていたマユリに、べつのクラスから訪問者があった。いかにも文学少女然とした女子だ。入学してからもう半年経つが、彼女のコトは記憶に残っていない。警備班として働き、それなりに顔は広いと自負していたのだが。
「えっと、わたしに何の用?」
「何って、図書館報の原稿を回収しに来たんだけど。今日が締め切りでしょ」
「……あっ」
図書委員には、カウンターの貸し出し業務当番とはべつに、もうひとつ仕事がある。それが学期ごとに発行される図書館報の原稿執筆だ。毎回ひとつテーマを決め、それに沿ったコラムを書く。ひとりあたりに課せられる分量は、400字詰原稿用紙で5枚程度だ。テーマに沿っていれば、何を書いてもいい。いかにもコラムといったカンジに書く者もいれば、辞書で引いた内容を延々書き連ねる者、掌編小説を書く者もいる。
前号のテーマは「夏色」だった。マユリはスクール水着の
2学期初日の委員会で、確か次号のテーマは「古典」に決定したのだった。しかし文化祭でゴタゴタしていたせいか、マユリは原稿の存在をスッカリ失念していた。まったく1文字も進んでいない。
警備班がいそがしかったせいで出来なかったなどと、口が裂けても言えない。言いたくない。警備班の仕事にプライドを持っているからこそ、言い訳の材料にはしたくない。けれども、ただ忘れていたと素直に告げるのも、それはそれで恥ずかしいものがある。
悩んだ末マユリは冗談めかして、「……原稿は、落とした」
「落とした?」
「うん。落とした」
落とした、とは出版用語で「締め切りに間に合わなかった」という意味だ。図書委員の文学少女なら、当然通じるものと思っていたが、彼女は首をかしげて、「落としたってコトは、一度は書いたんだよね? なら何とかもう一度書き直せないかな?」
「エッ? あ、いや、その……」
マユリにとって想定外なコトに、文学少女はこちらの返答を字義通りとらえてしまったらしい。彼女の脳内では、マユリが登校途中に原稿を風に飛ばされる光景でも思い描かれているに違いない。
「……ごめん。完ッ全に忘れてた。何も書いてないの」
「あー、そうなんだァ……じゃあしかたないね。次はよろしく」
それだけ告げて、文学少女はアッサリ引き下がってくれた。ほかの図書委員に原稿を催促しに行くのか、さっさと教室を出ていく。
マユリはおのれが恥ずかしくなった。いそがしさにかまけて図書委員の仕事を忘れていただけでなく、言葉をにごして気まずさをごまかそうとしたコトが。
なかば衝動的に教室を飛び出すと、マユリは文学少女を追いかけ引き留めた。
「ねえ! 締め切りはもうチョット延びたりしない?」
「早めに催促してるから。明日の放課後までなら待てるけど」
「わかった。ありがとう。……でもどうして、さっきはそう教えてくれなかったの?」
「ヤル気のないヤツに言ってもしかたないし。でも、今はもう違うみたいだね」
「うん。絶対書き上げるから。期待して待ってて」
マユリは教室へ戻ると、昼食を摂る時間も惜しんでノートへ向かい、原稿のネタを考え始めた。しょせんは原稿用紙5枚だ。たいした分量ではない――そう考えて、つい失笑する。小学生時代、マユリは作文が大の苦手だった。まずどう書き出していいかわからず、手が固まってしまう。書けるまで居残りさせられて、書かずに逃げたコトも一度や二度ではない。高校受験の際、通っていた塾で小論文対策をミッチリ仕込まれて、人並みに書けるようにはなったものの、苦手意識は抜けなかった。好きか嫌いかで言えば、間違いなく嫌いだ。
それがどういうワケか、今は妙にワクワクしている。あの文学少女を見返してやるために、サイコーにおもしろいコラムを書こうと意気込んでいる。きっとかつての自分が見たら、目を丸くしておどろくに違いない。
そうだ。何なら小説でも書いてみよう。現国の授業で、ちょうど森鴎外「舞姫」が取り上げられているところだ。アレの続きを書いてみるというのはどうか。太田豊太郎とエリス・ワイゲルトのあいだに生まれた子が、母親を捨てて母国で出世した父親に復讐する物語。アレコレ想像をめぐらせていたら、何だかとてもおもしろくなりそうな気がしてきた――1ヶ月後、発刊された図書館報でおのれの処女作を読み返し、あまりの駄作ぶりに悶絶するコトになるとは、この時点のマユリはまだ知るよしもなかった。
ロストボーイズ/三芳野高校文化祭実行委員会警備班 木下森人 @al4ou
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